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喫茶店とお嬢様

 肺一杯に空気を吸い込む。

 鼻腔を深みのある独特の香りが抜けて行く。


「……紅茶もいいけど、やっぱり俺はこっちだなぁ」


 マスターの淹れるコーヒーはやっぱり最高だな。

 エプロンを締め直しながら、店内の香りにそう呟く。

 休憩時間はまだ残っているが、お客さんが増えてきたみたいだからな。

 さて、残りも張り切って働くと――


「確かに、ワタルがそう言う気持ちも分かる味ですわね」

「……何でここにいるんだ? マリー」


 カウンター席でマリーがカップを傾けていた。

 しかも今の呟き、聞かれていたのか!?


「何でとはご挨拶ですわね。客に対して」

「あ、いや、すまん。マリーが忙しいのを知ってるから――今、まだ15時ですよね? マスター」

「そうだね」


 マスターは動じることなく時計を確認して教えてくれると、自分の作業に戻る。

 他のお客さん……注文待ちや会計待ちはいないか。少しだったら話せるな。


「どうしたんだ?」

「今日は仕事がいつもより早く終わったんですの。わたくしの有能さに震えなさい!」

「お、おお……凄いな?」


 つまり、手が空いたから来たと。

 マリーの屋敷からこの店まで、結構遠いのにな……。

 今日はTBでシリウスが馬を購入してから四日、休日である。

 独特のポーズを決めるマリーに若干怯みつつも、店員としての責務を果たすために問いかける。


「ケーキなんかもあるけど、いるか? すぐに出せるぞ」

「何ケーキですの?」

「モンブラン」

「秋らしくていいですわね。いただきますわ」


 そういや、今日はマリーのお供がいな――あ、出入り口の横にスーツの女性ガードマンが立ってる。

 しかし、執事もメイドもいないとは珍しい。

 ケーキはそれほど高級な食材を使っている訳ではないが、マリーの口には合ったようだ。

 ゆっくりと時間をかけて味わい、コーヒーをおかわり。

 その時、店の入口扉の鈴が鳴り――


「――ふおっ!?」


 続けて素っ頓狂な声が耳に届く。

 見ると、秀平がビビりながら店内に入ってくるところだった。


「いらっしゃい、秀平君」

「いらっしゃい」

「こんにちは、ですわ」

「あ、ああ、何だ、マリーっちのとこの……あれ、マリーっち!? どうしてここに!?」


 店内の状況に動揺しつつも、秀平がマリーの隣に座る。

 あのボディガードさんとは顔見知りなので、それに対して特に反応はない。

 でも、やっぱりあんなところに立たれるのは営業妨害だよな……。

 他のお客さんも、出入りする時にやはり気になるようだ。


「……いかがですか? あなたも一杯」


 と、ここでマスターからのさり気ない一言。

 するとそれに対し、マリーが答える。


「ミーラ、いただきなさい」


 ミーラさんっていうのか、あの人。

 彼女は短く返事をすると、マリーと秀平から離れた位置……カウンター席の端に座った。

 秀平がマリーの陰でほっとしたように息を吐く。

 うん、立っているせいもあって圧迫感があったよな……。


「で、秀平。何にする?」

「あ、日替わりケーキセットで。マリーっちと同じやつ。それと一緒に掲示板見ようぜ、的な?」


 それは注文に混ぜ込まないんで欲しいんだが……。

 店の外に秀平の顔が見えた時点で、そういうことだとは思ったが。


「……だったら、もうちょっと待っていてくれ。あと少しで仕事、終わりだから」


 毎度毎度、勤務中に相手ができる訳ではない。

 マスターは全然迷惑そうな顔をしていないけれど、あまり喋ってばかりだと折角の静かな店内の雰囲気が損なわれる。

 他のお客さんはいい気分ではないだろう。


「あら? 早番ですの?」

「いや、今日はマスターたちの都合で閉店時間が早いんだ。表に張り紙がしてあっただろう?」

「そうでしたの。だったらわたくし、ちょうどいい時間に来たんですのね」

「そうなるな」


 今日は17時には閉まるので、普段のマリーの仕事ペースだと間に合わなかったはず。

 しかし、ミーラさんが座ったことで圧迫感は減ったが……外国人が二人いるだけで、結構店内の雰囲気が変わるな。

 ちょっとだけ、海外の喫茶店にいるみたいな気分だ。




 やがて他のお客さんが帰り、後片付けも終了。

 秀平のほうを見ると……。


「あ、やっぱりマリーも残ってたのか」

「PK関連の情報を中心に見るのでしょう? わたくしにも関係ありますもの」

「意外と暇なんだね、マリーっち」

「……はい?」

「あー、秀平。ちょっとこっちに来い」


 無神経な言葉に、マリーの怒りが爆発する前に……。

 俺は秀平を引きずっていって説明した。

 数秒後、秀平はボディガード――ミーラさんのプレッシャーも受けつつ、マリーの前で平伏していた。


「――亘君。ゆっくりしていっていいけれど、戸締りはしっかりね。休憩室の飲み物はお友達にも飲んでもらっていいから」

「あ、はい! ありがとうございます!」

「うん。それじゃあ、お疲れ様」

「はい、お疲れ様でした!」


 マスターが一瞬顔を出し、そのまま裏口から退店。

 この状況にも動じていないとは……。


「ワタル、お店の鍵を預かっていますの?」

「ん、まあ……」


 使う機会は滅多にないが、俺はマスターから店のスペアキーを預かっている。

 ケーキの仕込みで遅くまで残ったり、もしくは朝早く来たりする時くらいか。

 あ、あとは掃除の手が止まらなくなった時。


「去年はこの店、本当に色々あったもんねぇ。そりゃ、わっちの信用は抜群っすわ」

「そうなんですの? その話、興味がありますわね」

「いやいや、今はやめておこうぜ。ありがたくも、店で話をしていっていいって言われたけど……一時間ぐらいが限度だろうから。TBの掲示板を見て、解散しようぜ」


 俺は休憩室から電気ポット、湯飲みを四つとティーバッグを取ってテーブル席に。

 放っておくと何も飲むことが許されないだろう、ミーラさんにだけハーブティを淹れて勧めてくる。

 ミーラさんはカウンター席に座ったまま、視線をこちらに向けつつも動いていない。


「……ありがとうございます」

「いえ」


 寡黙なのか、勤務中だから静かにしているのか判断つかないな。

 テーブル席に戻り、マリーと秀平にも湯飲みを配って自分の分の――杜仲茶でいいか。

 カフェイン少なめだしな。


「ワタル、わたくしの分は?」

「もう勤務時間外なんで、セルフでよろしく。色々あるから、好きなのを選んで自分で淹れてくれ」

「承知いたしましたわ」


 マリーが長い指でティーバッグを開け、しげしげとそれを眺めてから湯飲みに摘まんで入れる。

 それを見た秀平が首を傾げた。


「……ありゃ? マリーっち、意外と素直に従うんだ。お嬢様のお約束に沿わないの?」

「何ですの? そのお嬢様のお約束って」

「自分で茶なんか淹れられるかってーって、怒り出してみたり」

「どこの世界にそんな横暴な人間がいますの……?」

「ティーバッグを見て、何ですのこれはー、みたいな」

「高級なティーバッグというものもあるんですのよ? わたくしだって、見たことくらいはあります」

「へー。そんなものが……」


 感心しつつも、ちょっと残念そうな顔をする秀平。

 それにしても……。


「以前に見たものが高級品であることは否定しないんだな」

「必ずしも高ければ良い、というものでもありませんけれどね。適正な環境で高いものは、それなりの理由がありますもの。シュルツ家の人間がそれを見誤ることはありませんわ」


 あ、何かミーラさんが物凄い勢いでマリーの言葉に頷いている。

 俺の勘違いでなければ、忠誠心が透けて見えるような動きだ。


「それと秀平、ティーバッグって基本的に普通に茶葉を買うよりも高いんだぞ?」

「え? そうなの?」

「市販品の安いやつは、純粋に安い茶葉を使って大量生産しているってだけの話だし。高いのは小分けになっている分、同じ茶葉で缶入りのやつよりも値段が上がったりするぞ。手間も材料費もかかるから」

「それは知らなんだ……先入観って怖いねぇ。っとと、それよか掲示板掲示板!」


 秀平がタブレットPCをバッグから取り出す。

 杜仲茶を一口含んでから、俺はそれに注目した。

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