駿馬の大移動と馬の挙動について
「ハインド。例の件はどうなっていますの?」
数時間前までとは打って変わり、ヘルシャはしゃっきりとしている。
今夜はまだシリウスのホームにいるが、集団PKへの警戒は未だ継続中。
俺たちが張っている間に戦闘になった回数は三度、結果は初回が数人を残して撃退。
二回目、三回目は半数ほどを撃退。
直近の戦果を見て、シリウスは馬の代替えを決意。
「いくら速いっていっても数が数だからなぁ……。昨夜は、出発の準備で丸々一晩かかったらしいぞ。そんで今日の夕方辺りに出発だから、早くてもまだ国境付近じゃないか?」
「そうですの。待ち遠しいですわね」
ヘルシャからの依頼を受け、俺たちはパストラルさんに連絡。
今夜、百頭近い駿馬と名馬三頭をこちら――商業都市アウルムに運んでくる手筈だ。
ちなみに連絡を受けたパストラルさんは、大口注文ですね! と、大層喜んでいた。
そんな俺たちの話を聞いて、ユーミルが素振りしていた剣を止める。
というか、会議室で素振りすんな。
「そういえば、護衛は必要ないのか? 馬はPKにとって重要なのだろう?」
「要らないだろう。PK連中の馬も速いけど、それを速度で振り切れないような馬を売る気はないし。それに、止まり木の平均レベルを考えれば――」
「そうだった! チビたちもじいばあズも、意外と強いのだったな! 心配して損した!」
この場にいるのはまだ三人。
笑顔で再び素振りを始めるユーミルを、ヘルシャが呆れた目で見ている。
「そこまで豪快に安心されると、逆に俺が不安になってくるんだが。名馬持ちのPKなんてものも、俺が知らないだけでいるのかもしれないし……あー、でも馬の仕様を考えれば、万に一つも奪われることは……」
「馬の仕様?」
俺の呟きに、また剣を止めてこちらを見る。
忙しいやつだな。
「……どうして、仮にもトップランカーである貴女が馬の仕様も把握していないんですの?」
「意味が分からないよな? 絶対こいつだけだよ、そんなの」
「そういうのは全部ハインド任せだ! 悪いか!」
「悪いわ! 少しは自分で調べてくれっていつも言っているだろう!」
「断る! お前に訊いた方が百倍速いし、ただ調べるよりもずっと楽しい!」
「なっ、ぐっ……!」
最後の一言のせいで怒るに怒れない。
俺が言葉に詰まっていると、何やらヘルシャが頷いていて……。
「なるほど、そうやって籠絡しているんですの」
「籠絡? 何の話だ?」
「それも天然で……やりますわね」
「ったく……もういい。だったら、今からお前に馬の仕様を全部叩き込んでやる」
「今からか?」
「今から。みんなには居場所をメールしておく」
近場のフィールド――『ゲンマ台地』でいいだろう。
メールをさっさと済ませ、ユーミルを部屋の外へと引っ張っていく。
ここ『ゲンマ台地』は、かつて宝石が多く産出された歴史があるそうだ。
TBの宝石というと属性石か、もしくは換金用の宝石の二種に大別される。
フィールドを探索――宝石はスコップ・シャベルではなく、広く出回っているツルハシに対応。
稀に良いものが採れるそうで、何人かのプレイヤーがあちこちの壁に取り付いて作業している。
「……で、何でドリルまで来るのだ?」
「貴女、わたくしにあそこで一人ボーっと突っ立っていろと仰るの!? 横暴ですわ!」
「そうは言っていないだろう!? 貴様こそ、残されるのが寂しいなら寂しいと素直にそう言え!」
「さささ、寂しくなんかありませんわ!」
「厩舎じゃ狭いから、ここに来たけど……失敗だったかな」
ただでさえ二人とも目立つ容姿なのに叫ぶから、不必要な注目が集まっている。
抑え役になれる――セレーネさん、ワルター、カームさんの内の誰か一人が来るまで待つべきだった。
この二人が揃うと手が付けられん。二人とも声がでかい。
「あー、ほら、みんなが来る前に説明を終わらせるぞ。ユーミル、何から聞きたい?」
「む、そうだな……ならまずは、どうなったらPKに馬を奪われるのか――だな!」
「いきなり本題から行きましたわね……」
「説明の順序的には微妙だが、ユーミルならそう言うと思ってた。じゃあ、実演込みでなるべく分かりやすくやってみっか」
「おー!」
ここにはそれぞれ自分の馬に乗ってきた。
実演とは言っても実際に戦闘不能になる訳にはいかないので、それらしくグラドタークを動かしながら説明することにしよう。
「――と、その前に復習を。馬のHPが0になり、戦闘不能になった時はどうなる?」
「蘇生は不可、負傷状態で最後に立ち寄った街の厩舎に強制移動――だったな? 普通の馬は一定時間のパラメーターダウン、レンタルは返却時に死なせた回数に応じて金を取られる! どうだ!」
「そこからですの? 基本中の基本ですわね……」
「俺たちはグラドタークを戦闘不能にさせたことはないから、念のためな。で、分かりやすくするために、敢えてPKの視点から説明するぞ。持ち主がいる馬を奪うには、当然馬は戦闘不能にしちゃいかん。持ち主が馬から降りている時か、騎乗中の持ち主だけを狙って攻撃する必要がある。相手の馬を奪うには、まず持ち主を先に戦闘不能にすること。これが基本な。で、その後に――グラドターク!」
グラドタークに触れ、やや遠くに見える木を指差す。
神獣ほどとはいかないが、簡単な命令なら馬も理解して従ってくれる。
グラドタークが素早く木に向かい――
「あんな風に真っ直ぐは走らないけど、飼い主を失った馬はランダムな方向に逃げ出す。そして一定時間後に、持ち主のプレイヤーが戻された町か村へと帰還するかさせられるって流れだな」
「どういう意味だ? 自力で帰る場合もあるというのか?」
「馬が持ち主に懐いているほど、速い時間で自力で持ち主の下に戻ってくる。馬が自力で戻ってこない場合で、かつPKに捕獲されずに放置された場合だけだな。システム側で強制転移させられるのは」
「戻される」のはよほど懐いていないか、それがレンタル馬の場合だけだ。
すなわち馬との付き合いが長く、また、しっかり世話をしているプレイヤーほど馬を奪われ難いということになる。
「そういうことか……で? 逃げ出した馬を奪うには?」
「後は野生の馬の捕獲と一緒だ。手順を思い出せるか?」
俺は指笛を吹いてグラドタークを呼び戻した。
戻ってきたところで、その首を軽く撫でてユーミルの返答を待つ。
「ええと……捕まえて、餌をやって敵意を鎮めて、後は……ロデオ!」
「思い出しますわね、貴女が制したあの暴れ馬」
「うむ、あれは大変だった。しかし仮に私がPKの立場で、グラドタークを捕まえようとか考えた場合は……」
ユーミルが腕組みをしつつ、目を閉じる。
一拍置いて目を見開き、そして叫んだ。
「とんだ無理ゲーだな! 奪えるか、こんなもの!」
自分が連れてきたほうのグラドタークをぺしぺしと叩く。
すげえがっしりしているよな、グラドターク……。
「無理ですわね。まず、コレに追いついて捕まえられるプレイヤーってTB内に存在しますの?」
「トビみたいに縮地を使えればだけど、追いついたところでなぁ。その辺りの奪取難易度は、お前らが今言った馬の能力、それと飼い主にどれだけ懐いているかで大きく変わってくる。今回止まり木が輸送してくる馬たちだと、育成完了直後だからあまり懐いていないという点では奪われやすいといえばやすいんだが……」
「全て駿馬――能力が高いから、捕らえて奪うのは容易ではないということか?」
「そうなるな。しかも集団PK自体、馬を奪うのには向いていないからな」
まあ、そもそも止まり木なら人数も多いしレベルもそこそこだ。
例の初心者狩り連中の標的にはなり得ないし、偶然出くわしたところで彼らのレベルから言って撃退できると踏んでいる。
パストラルさんの任せてほしいとの発言もあり、護衛は必要ないという結論に。
「ふむ。止まり木とぶつかった場合、大人数同士だから当然乱戦になるものな。戦っている最中に、目当ての馬を見失いかねん」
「狙うならピンポイントで、しかも事前に上質な餌を用意して、捕獲・給餌・暴れる馬を乗りこなす……の三つをこなさなくてはなりません。面倒尽くしですから、馬を奪うためにPKをするような輩はかなり稀ですわね」
ユーミルとは違い、馬の仕様も状況も理解しているヘルシャが補足を入れてくれる。
頭の中で話を整理しているのか、しばらく沈黙してからユーミルが顔を上げた。
「そうかそうか、おかげで色々と理解できたぞ。ところで、PKたちとの戦いで馬の乗り降りをしていていくつか気になっていた点があるのだが」
「ああ、いいぞ。今の内に何でも訊いておけよ」
「では、纏めて疑問点を解消させてもらおう! まずは一つ目。先日の戦いでPKたちの馬が、PKが降りているにも関わらずリィズのダークネスボールに吸われていたのだが? ダメージもしっかり入っているようだったし……誰も乗っていない時の馬は、無敵ではなかったのか?」
「それはあれだ。降りてから数秒間は、馬が無敵じゃないから。だから――」
俺はグラドタークに乗り、ユーミルから少し距離を取った。
そして直線ではなく円を描くようにユーミルに接近、走るグラドタークから跳び降りた。
グラドタークはそのままの方向にしばらく走り、それから足を緩めて停止。
「降りる時は、こうやって戦う相手に対して馬を逃がすように降りると馬がダメージを負い難い。無敵までの時間を稼げるからな」
「おおーっ! ……今、降りた時に転びそうになっていなかったか?」
「るっさい! そこは見なかったフリをしろよ!」
大体、ユーミルのようにグラドタークから簡単に跳び降りられる方がおかしいのだ。
今のだって、かなり速度を緩めてから降りたのだし。
「って、それは事前に教えておかなければならなかった項目ではありませんの? 対PK戦のような馬が絡む戦いにおいては、重要なことでしょう?」
そんなヘルシャの指摘に対し、俺は苦い表情をせざるを得ない。
ヘルシャもPKたちに馬をつっかえさせるというミスを犯しているが、あれは予め敵のいないほう――乱戦になっていない場所に馬を逃がしておいたが故の失敗だ。
その方向にPKたちが逃げ出してしまったので、仕様をしっかり理解した上での事故と言ってもいい。
「そうなんだよな……それについては、完全に俺の手落ちだ。でもこいつ、この前はグラドタークを上手いこと逃がしながら跳び降りていたんだよな。だから今の今まで、てっきり知っているものかと」
「また天然ですの? 嫌な女ですわね、全く……」
「よく分からんがドリルに貶された!? 何故だ!」
「才能とか運動神経への嫉妬ですわ! ふんだっ!」
「そういうところだけ素直になるのはどうなんだ? ヘルシャよ……」
ちなみに、グラドタークは多少攻撃を受けたところで簡単に戦闘不能になるようなHPはしていないのだが。
その後もTBの馬に関する知識をユーミルの頭に叩き込みながら、俺たちは他のメンバーのログインを待つのだった。