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リラックスタイムのすすめ

 俺は配膳用のカート――キッチンワゴンを押しながら呻いた。

 扉の装飾が一段と豪華だ……他の部屋とは比較にならない。


「……で、勝手に入っていいってのは本当か?」

「止めに入りませんと、お嬢様は際限なく仕事をしてしまいますから」

「それはどういう?」


 見れば分かるとばかりに、司は小さく頷いて質問を躱すと扉をノック。

 使用人同士、通路での私語は慎むべきだという都合もある。


「お嬢様、司です。ししょ――亘さんと一緒にお茶をお持ちしました」


 司の言葉に返事はない。

 もう一度ノックと共に声かけをしてから、司は「失礼いたします」との言葉と共にドアに手をかけた。

 扉が開かれると、そこには――


「……」


 大きな白木造りのデスクを使用し、一心不乱にPCを操作するマリーの姿が。

 時折、積み上げられた資料に目を走らせては――あ、髪が引っかかった。

 苛立ち気味に髪を掻き上げると、先端のロールした部分がぱよんと跳ねる。

 それだとドリルっていうか、まるでスプリングみたいだ。

 しかしマリーのやつ、全くこちらに気が付かないな。


「……どうするんだ? 司」

「お嬢様のお体に触れず、驚かせずにこちらに気付かせてください」

「こんなに集中している相手をか? 難しいな!」


 若干声を荒げるも、それでもマリーは気付かない。

 凄いな、マリーは……仕事に全神経を傾けるその姿勢に、思わず尊敬の念が湧く。

 しかし触れるのは厳禁、音も駄目となると――視界を遮るのは……いや、駄目か。

 マリーを驚かせる可能性がある。

 悩んだ末に、俺はキッチンワゴンへと目を向けた。

 それから司のほうに視線をやると、司は肯定するように首を縦に振る。


「……それじゃあ、やってみる」


 なるべく香りが立つように、しかし万が一にも資料などに飛沫がかからないように紅茶を注ぐ。

 まあ、放っておいても香りが立つ高級品ではあるのだが……手は抜かない。

 夏摘み――セカンドフラッシュのダージリンが、特徴的な果実のような香りを放つ。

 その芳醇な香りは、作業に没頭するマリーの鼻腔をくすぐり……。


「――はうあっ!? このマスカテルフレーバーはっ!?」

「――ッ!?」


 声を上げず、ソーサーを取り落とさなかった俺を誰か褒めてほしい。

 マリーは叫びつつ資料を散乱させながら、両手をテーブルについて勢い良く立ち上がった。

 そして視線は即座に、俺が手にした紅茶を捕捉。


「……!」


 キラキラした表情で俺の次の言葉を待っている。

 そういや、前に言っていたな。

 シュルツ家の長女たるもの、欲を素直に曝け出す訳にはいかない――だそうだ。駄々漏れているが。

 了解、ここは例の定型文の出番だな。


「ええと……そろそろ休憩にいたしませんか? お嬢――」

「そういたしましょう!」

「待てっ、残りは“様”だけだぞ!? 我慢しろよ!」

「後一文字分だったんですけどね……」


 司がお茶請けのスコーンを用意しながら苦笑した。




 今更な話だが、紅茶一つあれば上機嫌――と言っても過言ではないほどマリーは紅茶党だ。

 その採点は辛く、今までは散々な結果に終わっていた訳だが……。


「んっ……ひとまず合格ですわ! ワタル!」

「よっしゃ!」


 最高、とまではいかないまでもマリーから満足そうな笑顔と一定の評価を貰うことができた。

 ひとまず、と言っている辺りまだまだ上を目指すように、とも取れるが。


「後は礼儀作法ですわね。シズカとの練習はどうなっていますの?」

「静さんの指導、かなり細かいし一切妥協しないんで厳しいけど……特に問題なくやれているよ」


 俺の返答に二人は妙な顔をした。

 マリーが肩を竦め、代弁するように司が口を開く。


「あの……それだけ、ですか?」

「それだけだが?」

「シズカの指導を受けてそれで済むのは、ワタルくらいのものでしょうね……」

「えっ? 何でだ? 今一つ、話が見えないんだが……」


 二人によると、静さんの指導を受けて泣かされた使用人は多いのだとか。

 無表情で淡々とミスを指摘してくるので、静さんが作り出す独特の緊張感も相まり、段々と生徒側の使用人は委縮していき……。

 結果、逃げ出すものが続出。

 そして最後には、何がいけなかったのかと首を捻る静さんが残される――というのがいつものパターンらしい。


「……それ、ちゃんと意思疎通できていないだけじゃないのか? 静さんは厳しいけど、できないからって怒ったりは絶対にしないじゃないか」

「その通りですけれど……シズカのほうに、できない人間への配慮が足りないという問題もありますわね。滅多に人を褒めないでしょう?」

「典型的なデキる人、ですもんね。静さんって」

「そうか? 自転車の練習を見てた感じだと、才能に拠らない努力家だと思うんだが……」

「「……」」


 司はニコニコと、マリーはむくれた表情でこちらを見た。

 何だ、その反応?


「――順調ならそれで構いませんわ。でしたら、次の時間まではここでわたくしの話し相手になって頂戴な。ツカサと一緒に」


 マリーが紅茶を優雅な動作で、もう一口。

 その言葉からして、仕事の区切りはそれなりに良かったのだろうか?


「ああ。ところで、マリーはいつ休んでいるんだ? いつも、俺が来た時の夕方辺りからはフリーのようだけど」


 例の雑談と俺の紅茶を淹れる練習を兼ねた勤務外活動は、それこそ雇われた当初からだ。

 なかったのは、パーティに行くとかで退屈そうな顔をしながらマリー自らが中止を告げてきた数回程度のもの。


「休日という意味でしたら、仕事が片付けば纏まって取っていますわよ? 夕方は……そもそも、夕方以降に働くのっておかしくありませんの?」

「お?」

「夕方、夜は体を休めたり遊んで英気を養う時間でしょう? 職種によっては仕方ないとはいえ、必要に駆られない限り遅くまで働くメリットが分かりませんわ」

「おおー、なるほど……そこら辺はマリーの出身国的な考え方なのか」

「シュルツ家は遡れば移民ですし、混血ですけれどね。やはり、生まれた国の考え方などには影響されますわ」


 しっかり休んでいるから、あれだけ集中して仕事に取り組めると。

 オン・オフの切り替えがはっきりしているんだな。


「だから夕方はいつも俺を呼ぶのか。じゃあ、もしかして今日も――」

「これで終わりにいたしますわ。いつもより少し早いですけれど、ワタルの紅茶が美味しかったから……構わないでしょう?」

「何だそりゃ……」

「それだけリラックスできた、ということですわよ。さあ、ツカサもっとわたくしをリラァッッックスさせなさい!」

「外国人が英語を日本のカタカナ語みたいな変な発音で言っとる……」

「確かに、混沌としていますね……」


 給仕のついでに妙な注文を受けたが、これも仕事の内か。

 カップを傾けるマリーから少し距離を取り、司と小声で相談する。


「急にリラックスさせろって言われてもな……司、何かいい考えはあるか」

「うーん……すぐには思い付きませんけど……あっ」

「どうした?」

「いえ、ボクたちは日本人なので……何か日本的なリラックス法があったらなって思ったんですけど。さっき、働き方の違いのお話を聞いたばかりなので」

「日本的なリラックス法ね……」


 そんな相談をした結果、どうなったかというと……。


「はふぅぅぅぅぅぅぅ……」


 数分後。

 マリーは多数敷かれたタオルの上にある、湯気の立つ桶の中へと足を突っ込んでいた。

 足は靴もソックスも脱ぎ、素足の状態だ。

 こいつは、いわゆる――


「いいですわねえ、足湯……全身を湯につけるのとは、また違った趣がありますわー……」


 ついでにメイドのカミラさんがマリーの肩をマッサージ。

 普段は白い頬を上気させ、スカートから覗く足を湯の中で組み替える。

 綺麗な足してんなー……にしても。


「だるんだるんじゃないか……いいのか、そんな姿を――いくら友達とはいえ、部外者の俺に見せて」

「わたくし、ワタルにはいずれ身内のような存在になってほしいと思っていますの。ですから――はふぅぅぅ……」

「あーあ……」


 フニャフニャと、後半は言葉にならない。

 書類が片付けられた執務室の中で、マリーは今にも眠ってしまいそうな状態である。


「あはは……だ、大成功でしたね? 師匠」

「ちょいと効き過ぎているようだがな。さて……そろそろ時間だし、俺は訓練に戻るよ。静さんを待たせる訳にはいかないしな。司、付き合ってくれてありがとうな」

「はい、師匠」

「ワータールー」

「……マリーも、またな」

「ふわーい……」


 退室する際に声をかけると、これまたすっかりふやけた声が俺の耳に届いた。

 やっぱり見ていて面白いやつだな、マリーは。

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