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即席執事の訓練風景

「え? 兄さん、今日もマリーさんのところですか?」


 リビングで出かける準備をしていると、理世が部屋に入ってくる。

 この少し大きめの荷物を見ての言葉か、これは。

 喫茶店に行く時の荷物は財布とスマホを持つ程度だが、今日のようにシュルツ家に行く時はボストンバッグが必要だ。

 水場の掃除なども考慮し、着替えを持って行かなければならない。特に靴下。


「そうなんだよ。ほら、例のお茶会とかいうやつの指導も受けなきゃならんから」

「ああ……あのこの世のものとは、俄かに信じ難い行事のためですか」

「――だよな!? そう思うよな!?」

「に、兄さん?」

「す、すまん。あの屋敷にいると、自分の中にある常識が歪みそうでな……」


 前回のシュルツ家への出勤からまだ数日。

 祝日を利用して、更には静さんのスケジュールの都合から、短い間隔でまた執事服を着る羽目に。

 声を荒げたことで乱れた呼吸を整えていると、理世が思案気な顔をする。


「そうですか……でしたら、私と沢山お話して感覚を正常に戻しましょう。もちろん、守秘義務に関わることは無理にお訊きしませんから」

「ありがたいけど、仕事の話なんか聞いてもつまらないだろう?」

「兄さんがしてくださる話なら、私は何でも楽しいですよ?」


 理世が笑顔でこちらを向く。

 この優しさ、もう少しだけ俺以外に振りまいてもいいと思うのだが。


「……お前はいつもそう言ってくれるよな。今日は塾だったっけ?」

「はい」


 時計を確認すると、理世の出発にはちょうどいい時間だった。

 俺の出発時間にはまだ早いが……夜勤明けで寝ている母さんの食事の準備、OK。

 書き置きも問題なし。


「途中まで一緒に行こうか。というか、時間に余裕があるから送って行くよ」

「いいんですか?」

「ああ。早速で悪いけど、歩きながら話を聞いてくれよ」

「……はいっ!」


 しっかり戸締りをしてから、俺と理世は外へ。




 皿を持つ時は指の根元を使い、指紋がつかないように。

 これは手袋をしていてもいなくても同じで構わないそうだ。

 音を立てないよう軽食の乗せられた皿をテーブルに置く。


「お見事です。飲食店で働いていらっしゃる経験が活きていますね」

「ありがとうございます」

「ですが、指を伸ばすと所作が美しく見えます。少し休憩を挟んだら、もう一度やりましょう」

「……うっす」


 掃除業務はそこそこに、シュルツ家のとある一室を利用して静さんと一緒に給仕の練習中だ。

 これは最初のステップで、それなりに自信があったのだが……静さんの目から見ると完璧には程遠いらしい。

 駄目出しの嵐を受け、足踏み状態だ。心が折れそう。


「しかし、こんなペースで茶会に間に合うんですか?」


 椅子を勧められ、俺は長い長い息を吐きながら深く腰かけた。

 タイを緩め、髪をくしゃりとかき混ぜる。


「……亘様は基礎ができておりますから。十分間に合うのではないかと」

「基礎……というと?」

「直立した時の姿勢、立ち位置、歩き方などですね」

「ああ、それも給仕と同じですよ。ウチのマスターを手本に練習しました」

「素晴らしい方なのですね」

「ええ。俺もああいう年の取り方ができたらなぁ……と、常々思いますよ」


 静さんが頷き、隣の椅子に音もなく座る。

 名は体を表すというか、静さんは口数が少ない。

 更に屋敷内は防音されており……。


「……」

「……」


 聞こえるのは呼吸する音と服の擦れる音くらいか。

 別荘で一緒に過ごした経験がなければ、この沈黙は気まずかっただろうな……。


「……あの」

「何ですか?」


 五分ほど経ってから発された言葉に対する自分の返事は、少し掠れていた。

 あー、こういうのも気を付けないとな……給仕って、黙っている時間が長いし。


「こういう時、どんな話をするのが普通なのでしょうか?」

「どんな話って――あれ? メイド流の話術みたいなのってないんですか?」

「応答は問題なくできるのですが……」

「あ、マジであるんですか。メイド流話術……でも、自分からは何を話していいのか分からない?」

「……お恥ずかしい限りです」


 メイド流話術の中身が気になるところではあるが。

 それにしても……


「どうして急にそんな? 静さん、愛想が足りないっていう意地悪なお客様がいても涼しい顔だったのに。ヘルシャだって、面白い話をしろ! とかいう無茶振りを突然したりしてこないでしょう?」

「それは……」


 姿勢を変えながら問いかけると、静さんがテーブルへと視線を落とした。

 言い難いことなのだろうか?

 でも、相談に乗るにしても理由を知らないことには。


「メイドとしてパワーアップするためですか? それとも……誰か、特に仲良くなりたい相手でもできました? と、パッと思い付くのはこの辺りですけど」

「……はい」


 静さんがためらいがちに頷く。

 ――あ、しまった。

 返事はしてもらえたが、並べて訊いたらどちらに対しての肯定なのか分からないじゃないか……。

 声を発したタイミングで測ろうにも、間があったせいで分からない。

 後者なら相手が誰なのか気になる。気になるなぁ。


「最終的には、相手の興味を惹ける話をできるのが一番だと思いますけど」

「……初対面だったり相手のことをあまり知らない場合は、どうすればよいのでしょう?」


 仕方ない、どちらでも使える方法を言ってみることにするか……。

 俺にはユーミルほどの積極性はないので、参考になるか分からないけれど。


「一般論で申し訳ないんですけど、相手が答えやすい質問をするのが良いって聞きます。社会人なら仕事内容を訊いてみたりとか、後は……服装とか持ち物についてとか。この場合、褒めながらだと尚良いそうですよ」

「ご趣味をお訊きしたりなどは……」


 趣味かぁ。

 前に家事全般、特に料理が趣味だって答えたら何とも言えない顔をされたことがあったな。


「個人的な意見ですけど、それってかなりハイリスク・ハイリターンな項目だと思います。趣味を答えて、ふーんって顔をされると結構堪えますよ。じゃあ何で訊いた!? って叫びたくなりますね。大ダメージです」

「そうなのですか……」

「互いの趣味が合致すれば最高なんですけどね。もういっそのこと、その後は趣味についての話だけでもいいくらいに。でもそうそう上手く行くもんじゃないんで、どうしても探り探りになりますよね」

「なるべく無難、かつ相手が答えやすいものですか」

「ベタですけど、無難でも今日はいい天気ですね――みたいなのは駄目らしいです。そうですね、って答えたら話がそこで終わっちゃうんで」

「つまり、話が広がらないものは選ぶべきではない?」

「らしいです。あ、でも」


 俺はそこで一旦言葉を切った。

 静さんが表情を変えずに、目だけをどうしたのかと問いた気なものにする。

 どうせこんなマニュアル通りの答え、静さんなら既に頭に入っていそうだしな。


「無理に話をしなくても、別にいいと俺は思いますけど。それに静さん、人の話を聞く時はちゃんと頷いてくれますし」

「……それは当然のことでは?」

「その当然が心地良いんじゃないですか。例えば、妹――理世なんかもそれほど話すほうじゃありませんけど、ちゃんと俺の話に頷いてくれて。やっぱり嬉しいんですよね、それだけで」

「理世様の場合は、亘様限定の態度という気もいたしますが」

「あ、あー……で、でも、もし静さんが積極的に話をできるようになりたいのであれば、また自転車の時みたいに練習相手になりますよ。お嫌でなければ、ですが」

「……ゲームの中でお嬢様を励ましてくださった時もそうでしたが」

「はい?」

「亘様は、その人の在り様を否定しないのですね。在るがままに受け入れ、それでいて司のように変わりたいという思いは後押ししてくださって……」

「は、はあ……」


 何だ、急に褒め――これ、褒められているんだよな?

 日和見主義でしょうもないやつだと罵られている訳ではないよな?


「ありがとうございました、亘様」

「え、ええと……お役に立てて何より、です?」


 役に立ったのかは微妙だが、話はそこで途切れた。

 再び訪れた沈黙は、先程よりも柔らかい空気で……。


「亘様、今度は指先を意識するあまり音が。神経質な方に給仕を行う場合、その程度であっても嫌な顔をされてしまいますよ」

「……うっす」


 しかしながら、その後の指導の細かさ・厳しさに変化はなかった。

 思った以上に奥が深いな、給仕って……。

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