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シュルツ家の使用人たち

 タイを締めて鏡を確認する。執事は身だしなみから。

 シュルツ家の屋敷で勤務を始めて通算10日ほど。

 この格好をするのにも段々と慣れ――


「嫌な慣れだな!?」

「ど、どうしたんですか師匠!?」

「あ、悪い司。何でもない、何でもないんだ……」


 何が執事は身だしなみから、だよ。俺は清掃員だぞ。

 確かに、これが屋敷内での正装だということは理解できる。

 大抵の客がアポイントメントを取ってから来るものの、不意の来客というのもないではない。

 その時にゴムエプロンだったり頭に頭巾を付けた人間が出くわすのがまずいというのも間違ってはいない……気はする。

 しかし……。


「やっぱり落ち着かん。大体、こんな高級な服を着て掃除をするってのがおかしい。不合理だ」


 俺が毎回着替えに使わせてもらっているのは、司が泊まり込んでいる部屋である。

 司の部屋は趣味のカメラとコルクボードに貼られた写真が目立つ程度で、綺麗に片付いている。

 初日に使った部屋は本来マリー用の試着室だそうで……。

 あれだけ広い部屋が丸々一個人の試着室とは恐れ入るが、それ以上に雇われの人間が何度も利用していい部屋ではない。

 俺が自分の格好を姿見で確認しつつ渋い顔をしていると、司が苦笑を漏らす。


「師匠、毎回同じことを仰っていらっしゃいますよね……?」

「そうは言うが、来るたびに前回着たはずの執事服がパリッとしているだろう? クリーニング代とかを考えるとな……」

「あ、クリーニング代はかかっていませんよ?」

「そうなのか?」

「高級な洗剤などは使っていますけど、専門業者などは介していません。師匠のお召し物は基本的にボクがお洗濯を」

「……司が?」


 コクコクと司が頷く。

 初耳だ……聞くと、シュルツ家の使用人がまず覚えさせられることは己の身だしなみを整えること。

 自分の身だしなみが整っていない者が、他人の世話などおこがましいとのことで……。

 その中に洗濯の項目も含まれているそうだ。


「……これだけ綺麗だから、てっきりクリーニングに出しているものかと。凄いじゃないか、司。いつもありがとうな」

「そ、そんな! シュルツ家では普通のことですよ、ボクが特別凄い訳じゃないです!」


 そう謙遜しつつも司は照れて顔を赤くしている。

 ただ、俺はそんな司に感謝しつつもこう続けた。


「でも、ごめんな。掃除で手を抜くことはできないから、今後も執事服は汚すと思うけど――」

「はい、もちろんです! 師匠に教えていただける清掃技術に比べたら、これくらいの手間! なんてことありませんから!」

「そっか。じゃあ、そろそろ行こうぜ。……ちなみに、その高級な洗濯用洗剤ってのはどんなやつなんだ?」


 道々、そんなことを訊きつつ……。

 仕事場に着くと、無駄口を叩いている暇はなくなる。

 そこは戦場だ。


「司」

「! ……はい!」


 今日は大物、個室などではなくエントランスホールの清掃作業。

 作業中の口数は最低限に、使用人は屋敷内を騒がしくしてはならない――とのこと。

 伝わるだろう時は手振り身振りで役割分担、特に司ならそれで十分察してくれる。

 使用人の人数はセキュリティの関係で屋敷の大きさの割にそれほど多くない。

 それに時間が無限に与えられている訳ではなく、丁寧さだけでなく効率も求められる。

 特にここ、エントランスホールは屋敷の顔。

 ……いや、これだけ門から屋敷まで距離があるんだ。

 外観、庭園が嫌でも目に入るのだからそうとも言えないような?


「亘サン?」

「あ、はい。何ですか? カミラさん」

「階段のほうが終わったのデ、亘サンに確認をお願いしマス」


 ここにいる人数は全部で四人。

 たった今、俺に話しかけてきたのが外国人メイドで赤毛のカミラさん。

 俺と司とカミラさんで三人、そしてもう一人が同じく外国人であり執事のパオルさん。

 使用人は日本人と外国人が半々で、カミラさんは日本語は通じるものの少し訛りのようなものがある。


「ちっ……」


 この舌打ちをした金髪の青年がパオルさんだ。

 執事長のお孫さんで、年齢は俺の一つ上……らしい。

 訊いてもいないのに、自分からそう語ってきたので知っている。

 自分は目上の人間だから敬えと言いたいのだろう。

 大体、俺が彼に会って最初の言葉が――


「余所者が……お嬢様に気に入られているからって調子に乗るなよ」


 これだったので非常に分かりやすい。

 使用人――ではなく、実質掃除バイトである俺のような存在は屋敷の中ではとても珍しいと司が教えてくれた。はっきり言えば悪目立ちするのだろう。

 とはいえ勤務態度は至って真面目な上に口撃以外に目立った嫌がらせなどもないので、俺としては特に問題なし。

 いくら舌打ちしようと、手を止めず、その舌打ちの際の唾などが飛んだりしなければいくらでもどうぞ、といったところだ。


「……うん、手すりはこれでいいと思います。次、俺と一緒に壁の装飾の溝をお願いします」

「はい、かしこまりまシタ」


 掃除は何よりもやり残しがないかの確認、それと妥協――このくらいでいいかという甘えた心構えをなくすことが大事だ。

 無心に埃やチリを集め、拭き、磨き、確認……その繰り返しだ。

 特に一般家庭と違うのは、今俺がカミラさんと並んで始めたあちこちの壁や柱、扉の上などにある装飾の掃除が必要なこと。

 脚立を使用して高い位置にあるそれの埃を払い、必要であれば仕上げ剤で艶を出す。

 ……同じ規模の屋敷でも、これだけ掃除が面倒な装飾も今時ないんじゃないか?

 ちょいちょい古風なんだよな、この屋敷の造りって。

 ――っと、ここは光沢を出しておいたほうがいいな。


「どうぞ、師匠」

「ありがとう、司。気が利くな。そのまま補助に回ってくれるか?」

「はい」


 パオルさんは……ああ、もう一つ脚立を持って来て横に並んだ。

 こんな具合だから、多少嫌味でもどうにかしようという気が起きないんだよな。

 ちなみに使用人の中でも仕事内容には差があり、こういった肉体労働系の仕事は見習いだったり主人たちの仕事の補佐に向かない者が割り当てられるとのこと。

 司とカミラさんは見習いなので分かる。

 しかしパオルさんの場合は違ったような……。


「……」


 目が合うと無言で睨み返された。

 まあ、これ以上は邪推になりそうなので掃除に集中、集中。

 装飾が面倒な分だけ、やり甲斐は生まれる。

 特に、元々使っている素材が俺のような一般庶民には理解できないほど高額なものだ。

 磨けば、それだけ――


「よし、次に行こう」


 本来の輝きが蘇る。

 脚立を降り、カミラさんとパオルさんの間から未清掃の区間へ。


「し、師匠! 師匠が担当した一画だけ眩しいです! しかも速い!」

「本当でス……これでは浮いてしまいマスネ。どうしマショウ?」

「なっ……!?」

「あ、えーと……では、時間がかかってもいいので均一な状態になるようお願いします。丁寧にやれば同程度になるはずですから。他の範囲は俺がカバーしますんで」

「お、俺には無用な提案だ! お前と同じ仕事程度、こなして見せる! そこで見ていろ、岸上!」


 パオルさんの動きが俄かに真剣味を帯びる。

 おお、速い速い……しかも俺がやった部分よりも綺麗にしようと躍起だ。

 カミラさんも触発されたのか、今まで以上に布を持つ手に力が入った様子。

 パオルさんには見ていろと言われたが、それでは時間が来てしまうので自分も作業を再開。

 天井は先に終わらせていたので、難敵の装飾、窓、そして床を磨き上げ……。

 やがてパオルさんが懐中時計を取り出し、告げる。


「……終了だ。しばらくここで待っていろ」


 パオルさんが階段を上がっていく。

 その間に俺たちは掃除用具を片付け、最終確認を行う使用人――まあ、要は上級使用人的なものだ。

 いつもはマリー付きでメイド長補佐である静さんが来て確認することが多く、問題なければそれで終了ということになる。

 そうして俺たち三人が掃除を終えたエントランスホールで整列して待っていると、階上から現れたのは……。


「ふむ……」


 絵に描いたような背筋の伸びた老執事、パオルさんの祖父である執事長だった。

 ――うわ、何でだ!? 仕事ぶりがどう評価されるのか、緊張してきた。

 最初にご挨拶をさせてもらって以来だな、俺が見たのは……。

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