亘の編み物教室 その1
「まずはおおよその大きさを決めよう。小春ちゃん、ご両親の体型を教えてくれる?」
玄関先、それから最初にご挨拶に伺った時の印象では確か……。
小春ちゃんが顎先に人差し指を当てて上を見る。
「お母さんが155センチで……」
「うむ、普通だな。あの年代の人だと……平均より少し下くらいか?」
「そうだな」
「お父さんが、160――」
「……小春?」
愛衣ちゃんが半眼を向ける。
それに対し小春ちゃんは表情を引きつらせ、次いでがっくりとうなだれながら言葉を続けた。
「159センチです……」
「ひ……ん゛ん゛っ!」
「いいんです、未祐先輩……背が低いんです、お父さん……」
私の背も伸びないんでしょうか……? と、小春ちゃんが呟く。
ちなみにだが、小春ちゃんのお父さん世代の成人男性の平均身長は大体170ちょっとだったはず。
確かに遺伝もあるのだろうけど、食生活や睡眠量なども大事と聞くしな。
しかし、無責任に「伸びる」と言い切ってしまうこともできない。難しい。
俺が何も言えずにいると、小春ちゃんがパッと顔を上げる。
「未祐先輩はどうやって背を伸ばしたんですか!? 体のメリハリもですけど!」
「私か? そうだな……」
未祐が俺のほうをちらりと見る。
頼むから、いい感じのアドバイスをしてやってくれよ。
「まず第一に、良く眠ること!」
「TBのログアウト後はなるべく早く寝ます! しっかり寝ます! 他には何かありますか?」
「次に、亘の手料理を良く食べること! 毎日三食で味も栄養バランスも最高!」
「ウチに亘先輩はいません!?」
「あのさ、そこは置き換えようよ小春……お母さんのご飯でいいじゃない……」
椿ちゃんが苦笑しつつ立ち上がりかけた小春ちゃんを掴む。
そして反対側の愛衣ちゃんが横になりながら一言。
「同じものを食べている妹さんはどうして小さいんでしょうねえ。ね? 小春」
「そういうこと言うのやめて、愛衣ちゃん!」
「うん。黙って光のない目でこっちを見る理世先輩の姿がチラつくよ……」
小春ちゃんと椿ちゃんがぶるっと体を震わせる。
まあ、ポル君みたいな人種があっさり負けを認める目力だもんな……。
そんな理世に慣れている未祐はこう続けた。
「うむ、実際に目の前で言ったらそうなるだろうな。ヤツと私の違いと言うと、ズバリ! ……何だ? 亘」
「そこで俺ぇ!?」
急な振りに思わず動揺する。
ホルモンバランスだとか体の丈夫さなんかは遺伝と同じで、どうにもならない面がある。
それを踏まえて今の話題は普段の生活がどうかという話なので、違いと言うと……あれだな。
「あー……そりゃあ、食べる量と運動量だろう。同じものを食べていても差が出るのは当然じゃないか?」
「――だ、そうだ! よく食べ、よく動き、よく眠れ!」
「うーん、当たり前のことでも未祐先輩が言うと物凄い説得力です! 今まで以上に頑張ります!」
前向きに話が収束したようで何より。
……盛り上がるのは結構だが、そろそろ本題に戻りたいところ。
「先輩、今って何の話してましたっけ?」
お、愛衣ちゃんナイス助け船。
これは乗っけてもらわんと。
「マフラーの長さの話だね。巻き方にもよるんだけど、背が低いなら相応に短くていいかな」
「そういう意味では、初心者の小春的にはいい話ですねー」
「かもね。小春ちゃん、お母さんとお父さんはマフラーをどういう巻き方してる? 持って来たのを使っていいから、再現してみてよ」
「あ、はい! 分かりました!」
小春ちゃんがマフラーを手に立ち上がる。
続いて椿ちゃんが立ち上がって手を貸し、俺が長さを考えるために立ち、未祐は何となく俺と一緒に立ち上がった。
「うおー、下から見ると凄い圧迫感だー」
「そう言いつつも全く動く気配がない愛衣ちゃんはさすがだよ。愛衣ちゃん、俺のバッグからメジャー出してくれない? 手巻きのやつが入っているから」
「あいあいさー」
そうしてメモなど取りながら大体の長さを決定。
目標に到達できるかは小春ちゃんの根気次第である。
編み物は一にも二にも根気が必須だ。
次、マフラーのデザインについてだが……。
「初心者に柄って入れられるものなんですか?」
「もちろん入れない方が簡単だよ。でも、縞模様くらいなら途中で毛糸を変えればいいだけだから」
「へー」
「やるならシンプルなものがいいと思うぞ。張り切って難しい柄に挑戦した結果、ハートがギザギザのデコボコ――みたいな。な? 亘」
「それは……歪な愛みたいで悲しいですね。人には渡せません」
「未祐先輩、見てきたように言いますねー。実体験か何かですか? 先輩もご存知で?」
「同じ学校のとある女子がね……」
本人の名誉のためにも、そこまでで俺は言葉を止めた。
失敗例として出した未祐も、小春ちゃんを思いやってのもので貶めるつもりで言ったのではないのだろうし。
彼女、難しいと言ってもどうしてもって聞かなかったんだよな……。
結局、彼氏の誕生日に間に合わないと泣きつかれ、付きっきりで解いて直してと大変だった。
「ま、まあ、小春ちゃんは技量に見合ったものを選択しようね?」
「分かりました! じゃあ、具体的にどういう柄があるのか教え――」
小春ちゃんが言いかけた直後、ドアがノックされる。
俺たちが硬直していると、
「小春ー? ジュース持ってきたわよー」
「あ、えとえと……」
この慌てよう……当日まで秘密にしておきたい感じか?
俺は未祐と頷き合うと、素早く編み物のサンプルをバッグにしまっていく。
瞬く間に全てをしまい終えると、小春ちゃんに視線を向けてお母さんに応えるよう促す。
「おー、ナイスコンビネーション」
「い、今開けるよ、お母さん!」
「うん。お盆持ってるから開けて開けてー」
くぐもっていた穏やかな声がクリアになる。
ふと、勉強机にオレンジジュースとお菓子を置いたお母さんが貯金箱の辺りに目を止めた。
「あら……?」
「お、お母さんもういいでしょ!? お菓子とジュースありがとう、それじゃ!」
「あらあら? ふふっ、みなさんごゆっくりー」
そして小春ちゃんに背中を押されて部屋から出て行く。
小春ちゃんは閉めたドアを背にして長い息を吐いた。
「ふー、危なかったです……」
お母さん、何となく察しているんだろうな……。
まあ、小春ちゃんはバレていることに気付いていないようだし、ここは黙っておこうか。
あのご両親の様子なら、そういうことも含めて上手く気持ちを汲み取ってくれるだろうし。