小春のお願い
電車内は休日ということで、通勤・通学者は少なく落ち着いた印象だ。
おかげで対面式の席に一人ずつゆったりと座ることができ、非常に快適。
「往復券……いや、距離が足りないか。確かバスの定期便が……」
「気にし過ぎではないか? そこまで高くは――」
俺が上げた視線に、未祐が言葉を詰まらせた。
そこまで怖い顔をしたつもりはなかったのだが、未祐は珍しいことにたじろいでいる。
「すまない、禁句だったな。私のは親の金な訳だし」
「ああ、いや……何て言うか、いつもの倹約といえば倹約なんだけど。今後も小春ちゃんたちのところに遊びに行く機会はあるかもしれないだろう?」
「ふむふむ、そうだな。それで?」
「移動費用が高いから行けない、お金がない、なんて断り方はしたくないじゃないか。だからなるべく安い移動手段を見つけておかないとさ」
少し移動時間は伸びるが、やはりバスが良い気がする。
駅前から出ている便であれば、確か乗り継ぎなしで近くまで行けたはず。
「そういうことか。では、自転車――」
「俺らの中で、自転車でこの距離を余裕! とか言っちゃうやつはお前だけだって」
「楽しそうなのに……」
「楽しそうって……目的がツーリングになっているじゃないか」
「おおっ!?」
「何でいつの間にって顔? お前が自分からズレていったんだからな?」
今日は小春ちゃんの頼まれごとを受けて、向こうの街へと移動中だ。
あちらから出向くという話もあったのだが、やはり距離が距離ということで強弁してこの形にした。
他の面子は残念ながら予定が合わず。ただし、夜間のログインは全員可能とのこと。
「ところで亘。今日は小春、どこで待っている感じだ?」
「家で待っていてもらってる。場所は把握しているんだし、駅まで来てもらうこともないだろう」
「そうか。しかし改めて、亘の荷物は多いな……」
「色々とサンプルを見せたくてな……ちょっと欲張り過ぎたか」
「私のほうに分割して入れるのだ。少しは軽くなるだろう!」
「ああ、助かる。それじゃ、あと一駅だし今の内に頼むわ」
横に置いてあったバッグの中身を、未祐へといくつか渡しておく。
やがて電車が止まり……。
「あらあら、ようこそいらっしゃいまして。どうぞ、上がってくださいな」
「こんにちは。お邪魔します」
「こんにちは!」
小春ちゃんのお母さんはとても穏やかな雰囲気を纏った美人さんである。
お父さんも優しい感じで……そんな家庭で伸び伸び育ったから、今の小春ちゃんがあるのだろう。
「小春ー! 小春ー!」
「――はーい! 今行きまーす!」
階下から大声で呼ばれ、小春ちゃんの少し恥ずかしそうな返事が聞こえてくる。
お母さんが俺たちに向き直り、頬に手を当てて笑う。
「この前は五人だったと思うけど……今日はカップルで来たのねー」
「カッ――!?」
未祐が慌てたように後ずさってから視線を右往左往させる。
言葉通りの男女一組を指しているのか、それとも恋人同士と認識したかは定かではない。
男一人で訪問する訳にもいかず、帯同してもらったのだが……。
と、そこで小春ちゃんが階段を下りてくる。
「お待たせしまし――どうしたんですか、未祐先輩? お顔が真っ赤で――」
「さあ小春お前の部屋はどこだ早く行こう今行こうすぐ行こう!」
「え? えっ?」
小春ちゃんの背を押して、未祐は赤い顔のまま先に二階へと上がってしまった。
取り残された俺はどうしていいか分からず、しばしその場で固まった。
「……」
「若いって素敵ねぇ」
「えーと……あの……」
「あ、どうぞどうぞ。小春の部屋は上がって左手の一番奥です」
「し、失礼します……」
俺はやや硬い足取りで二人の後を追うと、目的の部屋の前でノックをした。
その場で少し待つと、
「「「どうぞー」」」
三人分の聞き慣れた声がする。
扉を開けると、六畳ほどの小物が多い女の子らしい部屋が視界に飛び込んでくる。
「おー、小春の部屋に先輩と未祐先輩がいる。妙な感じ」
「家族と椿ちゃん、愛衣ちゃん以外で部屋に招いたのは先輩たちが初めてです!」
「あ、そっか……男がずかずか女の子の私室に踏み込むのは問題だったかな?」
「いえいえ、何を仰いま――はうっ!?」
「ど、どうしたのだ、小春!?」
「そういえば部屋に男の人が入ったの、お父さん以外では初めてです!」
「おっそい!? 遅いよ、小春!」
普段冷静な椿ちゃんが思わず全力のツッコミを入れる。
客間とかがあれば、そちらをお借りしたほうがよかったかな。
しかし、今日お願いされたことを考えると……。
「何してるんです先輩? 早く入って、寛いで良いんですよ?」
「あ、ああ……って、部屋の主みたいな言い草だね。愛衣ちゃん」
「まぁ、小春が機能停止しちゃったんで」
愛衣ちゃんが示した先では、その言葉通り小春ちゃんが固まってしまっている。
椿ちゃんが揺すっても反応が薄く、どうも復帰までに少し時間がかかりそうだ。
「似た者同士が揃って動揺してて、私としてはとても楽しいですが」
「……それはもしかして私のことを言っているのか? 愛衣?」
未祐が軽く睨むのに対し、愛衣ちゃんは視線を逸らして口笛を吹いた。
しかもそれがやたら上手く、未祐の怒りを余計に煽っている。
俺は椿ちゃんが差し出してくれた可愛らしいクッションを適当な位置に置くと、ひとまず部屋の隅に荷物を下ろした。