老練の剣士
ギルドホームを出て足を止めたのは、歩いてすぐの場所。
広がる一面の畑、等間隔に植えられた樹木、草を食む牛や羊……。
「農業区ではないか!? それも止まり木の!」
「見ての通りだ。で、リコリスちゃんに剣技を教えてくれるのが……」
「わしですな」
背筋が綺麗に伸びた老年の男性が、軽鎧を纏って笑いかける。
出迎えてくれたのはバウアーさんだ。
それから後ろには、いつも通り奥さんのエルンテさんとお孫さんのパストラルさんの姿もある。
「むっ、バウじい! どういうことだ、ハインド?」
「ヒナ鳥の三人は知っていると思うけど――」
「あー、そうでしたね。バウアーさんはフェンシングの……」
「あっ!」
シエスタちゃんの言葉を切っかけに、リコリスちゃんも出会ったころに見たバウアーさんの戦いぶりを思い出したようだ。
期待に満ちた目でそちらを見ている。
それにバウアーさんは笑みを深くすると、洗練された所作でお辞儀をした。
「わしの経験でお役に立てるのでしたら、喜んでお教えしましょう」
「ありがとうございます! その……私のために時間を使ってもらっちゃって、ええと……」
「よろしいのですよ、リコリスさん。若者は遠慮せずとも。年寄りはそうやって若者に構ってもらえると、嬉しく思うものです。それに、わしは既に仕事を退職した身。時間はたっぷりとありますので」
うーん、老紳士……。
止まり木に在籍するおじいちゃんたちの中でも、バウアーさんは抜群に上品だ。
バイト先のマスター、史郎さんといい勝負。
どちらも手本にしたい理想の男性像といった感じである。
「年寄りの冷や水にならないようにね、おじいちゃん……」
「大丈夫よ、パストラル。海外にいた時もね、おじいさんは私が危ない時はいつもヒーローみたいに助けてくれたのよ? 例えば――」
「その話、いつも長くなるよねおばあちゃん? ……みなさん、どうぞごゆっくり。何かありましたらご連絡ください。すぐに行きますから」
嬉しそうに語り出したエルンテさんの背を押して、パストラルさんが一礼してから去って行く。
今日も止まり木はみんな、生産活動に精を出している。
こちらへ、と促すバウアーさんに導かれ、俺たちは止まり木のギルドホームを訪れた。
簡易的なものではあるが、ここにも訓練所は設けられ――というか、単にホームの庭をそう設定できるというだけなのだが。
ギルドホームの庭で、バウアーさんによるリコリスちゃんへの剣術指導が始まった。
「……ハインド。疑う訳ではないのだが、バウじいの強さってどうなのだ? 装備はセッちゃん製だからいいとして、レベルが未カンストだが」
「レベルはあまり関係ないな、純粋な剣技の話だから。バウアーさんの強さは、うーん……無駄がないっていうか隙がないっていうか……まあ、見ていれば分かる。まずは模擬戦から入るみたいだから」
向き合う二人の姿に、何事かと小さい子たちが集まってくる。
そしてこちらに来た子に神官服の裾を引かれ――え、お菓子? もちろん持ってきたよ。
俺は群がる子どもたちに、フルーツを練り込んだ飴を次々と取り出して配った。
「ほら、並んで順番にな。ちゃんと人数分あるから」
「ありがとう、お菓子のお兄ちゃん!」
「ありがとー!」
「ありがとうございます、お菓子の先輩」
「うむ、ありがとう! お菓子のハインド!」
「……何でお前らまで並んでんの?」
気が付いたら、子どもたちに混じって眠そうな子と表情以外はあまり子どもっぽくない女が並んでいる。
二人して片手を上に向けたまま差し出し、無言で見つめてくる。
俺は仕方なくその手に、包装紙に包まれた飴を一つずつ乗せた。
「ハインド、私は苺味がいい」
「先輩、私はオレンジのが好きです」
「うっさいわ! ほら! ったく……セレーネさんも食べます? 飴」
「あ、ありがとう。これはレモン味かな?」
「ですね。リィズもサイネリアちゃんも、どうぞ」
「いただきます」
「本当にマメなかたですよね、ハインド先輩って……ありがとうございます」
自分も口の中に飴玉を一つ放り込んでから、模擬戦を行う二人に目を向ける。
こちらがやや騒がしく観戦しているにも関わらず、二人は剣を抜いて静かに対峙したままだ。
それにシエスタちゃんが首を傾げる。
「あれ? リコならこの状態のこっちを見て、涙目で“ちゃん見てよ!”的な反応するかと思ったのに」
「ふむ……おそらくだが、そんな余裕はないのだろう」
「ああ。リコリスちゃん、完全にバウアーさんに気圧されてるみたいだ」
バウアーさんはフェンシング独特の構えをしたまま動かない。
剣先はリコリスちゃんに向けられたまま微動だにせず、バウアーさん自身は力みのない姿勢で腰を落としている。
リコリスちゃんが硬く急拵えのサーベルを握ったまま喉を鳴らした瞬間――バウアーさんが小さく足を動かす。
対するリコリスちゃんは反射的に大きく、荒く前へと踏み出した。
それを見たユーミルが、飴玉を舌で頬側によけつつ叫ぶ。
「まず――もご、それはまずいぞ、リコリス!? この飴玉と違って!」
「やかましいわ!」
「誘いに乗せられた!」
ユーミルの言葉通り、バウアーさんは攻撃せず、ほんの少し足を動かしただけだった。
その場で悠然とリコリスちゃんを待ち構えている。
そして――一閃。
「ふえっ!?」
リコリスちゃんが強烈な突きによるカウンターを胸の辺りに受け、天を仰ぐ。
そのまま土埃を上げながら剣も盾も落とし、地面の上へ。
フェンシングにおける三種の競技……フルーレでもエペでも、サーブルであっても有効となる一撃。
「あいたた……な、何が……」
「ほほっ。想像以上のスピードに些か驚きましたぞ、リコリスさん」
「あ、ありがとうございます……えーと……」
リコリスちゃんがバウアーさんに助け起こされながら、事態の把握に努めようと頭を捻る。
ユーミルは俺を見上げて感嘆の声を上げた。
「はあー、強いなバウじい……私も師事したいくらいだ。滑らかなせいか、速くないのに速く見えるような……そんな不思議な動きだった」
「ハインドさんの仰る通り、一切無駄のない動きのようですね。美しさすら感じさせます」
「スキルなしの自前の技術を使ったカウンターだからなぁ。しかし随分と派手に転んだもんだな、リコリスちゃんは」
「リコリスちゃん、自分から踏み込んだのに直前で一瞬引いちゃったみたい。そこを見逃さずにバウアーさんが刺突を合わせた……そんな風に見えたけど」
「――おお、セレーネさんは素晴らしい目をお持ちのようですな。その通り」
バウアーさんがセレーネさんを褒め称え、リコリスちゃんはサイネリアちゃんに拾ってもらった武器を下を見たまま受け取る。
子どもたちは今の一瞬で終わった戦いの凄さがよく分からなかったようで、飽きた数人は農業区やフィールドに向かって行った。
あっさりと負けたリコリスちゃんが俯く様子に、俺はさすがに落ち込んでいるかと思ったが……。
「リコ、大丈夫?」
「うん……ありがと。私は大丈夫だよ、サイちゃん。バウアーさん!」
「何ですかな?」
「今日からしばらくの間、よろしくお願いします! 私もバウアーさんみたいなカウンター、してみたいです!」
どうやら杞憂だったらしい。
リコリスちゃんはやる気満々で次の指示を待っている。
バウアーさんが笑顔で頷き、俺の隣に立つユーミルも嬉しそうに笑った。