夕食と近付く生徒会選挙
オリーブオイルの中でニンニクが躍る、踊る……。
この工程は弱火で時間をかけて、香りを引き出すためにも焦りは禁物だ。
赤唐辛子は種を取り除いたものを、パセリは生で香りが強いので量を加減して使用。
パスタの茹で汁を注ぎ、ソースがトロトロに乳化したら火を止める。
最後に麺と合わせて混ぜ合わせ……。
「ペペロンチーノ完成。ほら、持っていけー」
「おぉぉぉ、いい香り! 早速いただき――あ、そうだ亘。ゆかりんがお前とじっくり話をする時間が欲しいと言っていたぞ」
パスタを巻き付けたフォークを口に入れる直前、未祐がそんなことを言ってくる。
俺はエプロンと三角巾を外すと、普段は母さんが使っている席に置く。
そのまま自分も理世の隣に座り、待っていた理世と共にパスタの前で手を合わせる。
付け合わせはスープとサラダだ。
「緒方さんが? ……というと、何となく内容の想像がつくな」
もう時期が時期だからな。
……お、香りも塩気も良い感じ。上手くでき――辛っ!
どうもパスタの下に唐辛子が潜んでいたらしい。舌がヒリヒリする。
俺が口元を抑えていると、理世が気遣うような視線と共に水を入れてそっと差し出してくれた。
ありがとう、助かる。
理世はくるくると丁寧にパスタを巻いて小さな口に入れると、美味しいですとこちらに笑顔を見せてから会話を繋いだ。
「どの学校でも、そろそろ生徒会選挙ですからね。私の学校でも間近に迫ってきました」
「そういう貴様は出る気はないのか? どうせ推薦は山ほどあるのだろう?」
同じ学校に通っていた中学時代でも思い出しているのか、未祐がそんな質問を投げかける。
しかし理世は事もなげにこう返してきた。
「仰る通り推薦は受けていますが……私の学校の生徒会、進学校だというのに未祐さんと兄さんの高校よりも拘束時間が長いのですよね。学習塾もありますし、私はこれ以上兄さんと過ごす時間を一秒たりとも減らす気はありません。現状でも、推薦入試に必要な内申点は得ているはずですから」
「……はっ」
白けたような顔をした未祐は、次いでガツガツとペペロンチーノを貪った。
不機嫌そうな険のある表情がすぐに笑顔へと変わる。
「美味ーいっ! ……で、亘はどうなのだ」
「どうって?」
「生徒会選挙だ。委員長をした時の嫌な思い出があるのは分かっているが、ゆかりんに頼まれているのは副会長だろう? それとも、副でも嫌なのか?」
「嫌っていうか、それ以前に副会長は俺よりも緒方さんのほうがいいと思うんだが……何にしてもバイトとの兼ね合いがあるからなぁ。お前らの飯の準備もあるし、理世も今言ったけど、あまり放課後の活動が多いとな」
俺が副会長をやる場合、緒方さんはそのまま会計をやりたいのだそうだ。
何度何度も諦めることを知らない彼女の誘いを受けてはいるが、今日に至るまで色よい返事はできずじまいである。
未祐は俺の言葉を受けて、自分の目の前にある湯気の立つ料理たちを見回した。
「むう、それは由々しき事態だな。亘のご飯が食べられないのは困る! 非常に困る! 飢える! ――が、一緒に生徒会をやって欲しいという気持ち当然もある!」
「無理はいけませんよ? 兄さん。……絶対に無理はいけませんよ? いけませんからね?」
「近い、理世。分かった、分かったって」
瞳に映る自分の姿が見えるほど近付いてきた理世に下がってもらい、俺は水を一口飲んだ。
からんと水に浮かんだ氷が鳴る。
「うむ、そうだな……お前が体を壊したら元も子もない。誘っている側の一派が言うセリフではないが、くれぐれも慎重にな? 亘が断ってもきっと何とかする! ……ゆかりんが!」
「いやいや、下の学年の子だって入ってくるだろうし、少なくとも今の会長・副会長よりは戦力になるだろう? 病欠が多過ぎるからな、田沼先輩と鈴木先輩」
未祐が虚弱コンビと称したように、二人揃って体が弱いのだ。
他にも候補がいたのに、どうしてあの二人に票が集まったのかは未だに謎である。
「そういえば副会長が二人いるのでしたっけ? 兄さんたちの学校は。その鈴木さんと未祐さんがそうですよね」
「ああ。何か二人だったり、一人にして代わりに庶務がいたりと変動しているな。俺らが入学してから去年の選挙までは一人だったぞ?」
「一年生でやる気のある奴が名乗り出ると、二人目の副会長になるのだ。ゆかりんがやれ! やれ! とせっついてくるので、仕方なくな」
「……はぁ、そうですか」
それは知らなかった。
理世も緒方さんの根回しの良さに何とも言えない表情をしている。
きちんと仕事をやり切ることが前提になるが、前年度に副会長をやらせておけば生徒会長として推薦しやすくなるからな。
対抗馬らしい対抗馬もいないので、おそらく未祐はそのまま生徒会長に選ばれるだろう。
「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさまでした」
「お粗末様」
食休みを兼ねてのんびりと雑談をしてから食器を洗う。
テレビを見ながら三人でお茶を飲んでいると、スマートフォンに着信が入る。
メールのようだが、差出人は……
「秀平からか。何々……」
「む、大方TBへの誘いだろう? 違うか?」
「正解。もうちょっとしたらみんなでログインしようぜってさ」
未祐がクッションをくるくると回しながら訊ねてくる。
文面を見るまでもなく、この時間の秀平からの連絡は大抵そうだ。
今回も例外ではなくその通りだったのだが、最後の一文で公式サイトを確認してからインすることを勧めてある。
それを二人に告げると、同時に立ち上がって互いに嫌そうな顔を向け合う。
「亘、お前のパソコンで確認してからインするぞ! 理世は置いていこう!」
「兄さん、私と一緒に兄さんの部屋に行きましょう? 未祐さんは来なくていいです」
「……三人で確認してからインすっか。にしても、今日は長いメンテだったな? 事前にアプデ内容の告知もなかったし、どうなっているのか気になるな」
「そうだな、期待しよう!」
「ですが長い長いメンテで大型アップデートを期待するも、実はただのバグ取り、不具合修正だった……ということはありませんか?」
「貴様、何故そのパターンを知っている!? TBが初ネトゲだろう!?」
未祐が理世の言葉に驚愕した。
対する理世は涼しい顔で繰り返す。
「あるんですね? そういうことも。もしそうだったら肩透かしもいいところですが」
「くっ……ネガティブな発言は禁止だ! TBのこれまでの動きを考えれば、きっとそういうことはないはずだ! アプデに違いない!」
「ゲームによってはあるのか……秀平に訊けば、未祐以上にその手の体験談を語ってくれそうだな」
そんな話をしながら、俺は未祐と理世とを伴って二階へと移動した。