空を往く者たちの戦い 後編
かつてないノクスの様相に、相手が慎重に距離を取った。
何ともありがたい話である。
このスキルは時間をかけてくれればくれるほど、こちらが有利となる。
現在はどちらも互いに回復スキルを所有しているのでHPはフル、MPも自然回復とMPチャージでフルの状態。
「シエスタちゃん、マーネの準備は?」
「できましたよ。やりますか? 先輩」
「おうさ。やってやろうぜ」
折角待ってくれているのだ、こちらが最善と思うタイミングで仕かける。
この相手だ、何かカウンターとなるスキルを用意して待ち構えてはいるだろうが。
シエスタちゃんが俺と同時にニヤリと笑い、画面に向き直った。
ノクスの後方、マーネは現れた時からバフの有効範囲ギリギリで既に歌い続けている。
通常ならば、後のシエスタちゃんによる指示は位置取りくらいのものだが……。
「マーネ、二重歌唱発動。戦いの歌は継続、癒しの歌を追加でよろー」
マーネの声が二つに割れた。
力強い旋律と優しい旋律が混じり合い、不思議なハーモニーを奏でる。
ノクスの体には『戦いの歌』のバフに加え、継続回復効果を示す緑色のエフェクトが追加。
『二重歌唱』は通常一つしか発揮できない歌スキルの効果を、二つ同時に発動させるマーネが期限ギリギリに覚えたスキルである。
「うおおおおおお! 遂に来た! 来たぞぉぉぉぉ! ノクスもマーネも輝いているぞぉぉぉぉ!!」
「……」
「あ、遂にリィズ殿が黙らせるのを諦めた……」
「ま、まぁいいじゃないのぉ。ここは俺らも声援を送ろうぜ、トビ」
「そ、そうでござるな! 行けぇ、ノクス!」
「マーネぇぇぇ! 頑張れぇぇぇ!」
今一つ不揃いな声援ではあるが、むしろそれでいい。
もう細かな助言をどうこうという時期は過ぎたし、こちらとしても残りの時間の指示は決まっている。
準備は全て整った。
「さあ、ノクス……暴れてこい!」
ノクスの鳴き声が高らかに響き、八咫烏に向けて『ウィンドカッター』を放つ。
バフ効果によって威力が増大した魔法が、八咫烏の体勢を大きく崩す。
『――!』
幻獣二羽の――というよりも、二羽に指示を出しているプレイヤーの動揺が確かに伝わってくる。
ノクスが追撃をかけるため、八咫烏を追うが……。
間にフェニックスが割って入る。
さすがに切り替えが早い。
「先輩、どっちを先に倒すんです? この二羽を倒す順番って、結構大事になる気がするんですが」
「戦いの歌の性質上、耐久力の高いフェニックスを後にしたいところだけど……どうもそれを許してくれそうもないな」
「じゃあ、フェニックスを倒した後の残り時間次第ですね? 間に合うかな」
「やってみるしかない。倒した後に再生の炎があるから、それも考慮に入れなくちゃならないし。フェニックスを倒すまでの八咫烏の処理は――危ない! ノクス、アイスニードル!」
処理は作戦通りに、と口にしようとしたところで八咫烏がバフの大元――マーネに襲いかかる。
二重詠唱の影響で更に移動速度が落ちたマーネに、避ける術はないかと思われたが……。
すんでのところで氷柱が八咫烏を吹き飛ばし、事なきを得る。
「さすが先輩、どーもどーも。でも、ノクスがフェニックスに燃やされちゃってますけど?」
「これくらい大丈夫だ。癒しの歌ですぐに回復する。それよりも、シエスタちゃん」
「はいはい、了解です。ここからはかくれんぼの時間だー」
咄嗟の攻防だったので、敵のスキルもそう強力なものではない。
火を振り払ってフェニックスに『一閃』を決め、僅かな隙を作りノクスに新スキル――切り札の発動を命じる。
「ノクス、ダークミストだ!」
ノクスの体から闇が溢れ、周辺一帯を一瞬で夜へと変える。
新スキル『ダークミスト』はこの通り、黒い霧を放って相手の視界を阻害するスキルだ。
もちろん、こちらのバフのエフェクトなども見えなくなる。
霧の中で金色の目だけが怪しく光り――闇の中でも最高に目立つフェニックスの首元に、鋭い爪を突き立てた。
「フフフ、捉まえたぞ。ノクス、そのまま落とせ落とせ! 低空に連れ込め!」
「先輩、悪ーい顔してますね。是非その顔で私も捕まえ――」
「……シエスタさん?」
「何でもないでーす」
そのままギリギリと締め付けながら、フェニックスを森の中へと引きずり込む。
八咫烏は――どうやら低空飛行で森の中に入ったマーネを完全に見失ったようだ。
闇の中と言っても薄明るいので、真っ黒なカラスの体は却って目立つ。
フェニックスの明かりを頼りにこちらに向かってレーザーを放つが、有効打にはならない。
歌声を頼りにマーネを探そうにもプレイヤー側には音の方向までは分からず、神獣の聴覚に任せればあるいは……といったところだが。
「果たしてすぐに気付けるかな? 簡単なようで難しいぞ、この状況で冷静な判断を下すのは」
「いかん、ハインドがいつになくノリノリだ!? 珍しい!」
「そんなに頭脳戦が楽しいのかね? 敵に回したくない男だよ、本当」
「かしらもそう思うか!? 私もだ!」
頭脳戦というよりも、これは初見トラップに近いものだが。
それを実現するために、この段階に至るまでスキルの使用に厳しい制限をかけて戦ってきたのだ。
我慢の連続だった前試合までを考えれば、楽しくて当然だ。
闇の中、森の中で激しい殴り合いが始まる。
フェニックスは自己再生スキルを使用したのか、ノクスが殴っても殴ってもHPが物凄い勢いで回復していくが……『戦いの歌』は普通の強化バフとは違う。
内容は攻撃・魔力を「徐々に増加」させるスキルであり、効果時間はまだ半分を過ぎたところ。
つまり……
「ノクス、アイスニードル!」
このバフのピークは終了直前にあり、後半になるほど強力なものとなる。
特大氷柱と化した『アイスニードル』を受け、フェニックスの体が大きく傾いだ。
二発、三発と続けざまに命中し、木に不死鳥が縫い付けられる。
後ろを振り返り、リィズに『戦いの歌』の残り時間を確認した。
もうそれだけか……ここで潰しておかないと、マーネのMPを全消費したこちらの負けになる。
畳みかけるぞ!
「ノクス、一閃! これで決めてくれ!」
援護に来た八咫烏の攻撃を躱し、「森の忍者」が音もなく枝を蹴りつけて飛び立つ。
ノクスの突進に合わせ、氷柱に縫い付けられたままだったフェニックスが炎を爆発させる。
これがフェニックスの出せる最大のスキルだろうか?
しかし、地を這うように飛んだノクスにほとんどダメージはない。範囲の設定ミスだ。
そしてノクスは氷柱が消え、解放された直後のフェニックスごと――燃え盛る大木を羽で真っ二つに斬り裂いた。
大木が周囲の木を巻き込んで崩れ、フェニックスは小さな火種となって地面に落ちた。
次、八咫烏! 余韻に浸るにはまだ早い!
「シエスタちゃん、癒しの歌を幻惑の歌に!」
「マーネ、戦いの歌をキープ! 癒しの歌を幻惑の歌に!」
シエスタちゃんらしくない張りのある声。
森に響く優しい歌声が不可思議なものへと変化し、暗闇の中をノクスが残像を出しながら飛ぶ。
対する八咫烏は、滞空して迎え撃つ構えを見せる。
羽を広げ、予備動作か何かなのかノクスの姿を数秒間見つめると――序盤のものとは比較にならない数のレーザーを一斉に放った。
しかし狙いはあまり正確ではなく、ノクスはそれを楽に回避したのだが……。
通り過ぎたはずのレーザーが急激に向きを変え、ノクスを正確に追尾してくる。
「げっ、ホーミング機能!? これじゃあダークミストも残像も意味ねえ!?」
「み、導きの神だからですか? ずるい! せせ、先輩! 戦いの歌は防御補正ないんですよ!? 当たったら負けちゃう!」
「お、落ち着いて! ここは――」
「狼狽えるな、二人ともっ!!」
ユーミルの叱責が飛ぶ。
その声を聞いた俺の脳裏に、前衛の心得がふっと浮かんだ。
相手が勝利を確信した時こそ――そうだった。
「……怯まず、前へ! ノクス!」
隣に立つシエスタちゃんが俺の服の袖を強く掴む。
追って来るレーザーを掻い潜るように飛び、木の周囲を旋回し、美しい残像を発するバレルロールをしながら前へ前へとノクスが舞う。
スキルの硬直で止まる八咫烏に飛び付き……ノクスが八咫烏を木に叩きつけた。
同時に、追尾していたレーザーが全て消失する。
ノクスは続けて鉤爪を立てると、木に擦り付けるようにしながら八咫烏と共に下へ下へと落ちていく。
八咫烏のHPが木の突起に当たる度に激しく明滅し、枝が折れる渇いた音が連続して耳に届いた。
パラパラと残骸が落ちる地面の上で、大ガラスが動かなくなる。
――直後、炎が周囲を照らした。
「リィズ、バフの時間!」
「残り10です!」
フェニックスのスキル『再生の炎』。
パーティが全滅した時、一度だけHP三割程度で蘇生させるフェニックスの目玉とも言えるスキル。
小さな火種と化していたフェニックスが再生し、横たわる八咫烏の体も炎に包まれる。
これがあることは分かっていたが、『戦いの歌』の残り時間が苦しい。
『再生の炎』の演出をそれこそ焦れるように、早く終われと念を送りながら画面にかぶりつく。
「「「早くしろぉぉぉぉ!!」」」
思わず叫んだ直後、再生が終了した八咫烏とフェニックスが並んで飛び立ち――
「ノクス、ウィンドカッターだ! 撃て、撃てぇぇぇ!!」
効果切れ間近の『戦いの歌』、その効果が乗った魔法による一撃。
『戦いの歌』が初期スキル・初級魔法に過ぎない『ウィンドカッター』の威力を限界まで引き上げ、恐ろしい音を立てて大気の刃が復活直後の幻獣に迫る。
それは戦闘で散った木の葉を斬り裂きながら、二羽の纏う『再生の炎』を一瞬で吹き散らした。
俺とシエスタちゃんは、それを放心したように固まって見ている。
誰よりも早く反応したのは、当然ながら傍観者である神様たちで……。
『試合終了ー! ええと、何かこう……何かこう、凄かったですね! ベームちゃん!』
『見事な試合……熱戦でしたね。ノクス・マーネコンビによる得意エリアへの誘導、スキルへの理解など、見るべきところは多かったように思います。負けはしましたが、オルトゥス・カエルム側の対応も見事でした。特に終盤、一度も背を向けなかったところを個人的には評価したいと考えます。ノクスは常に追撃を視野に入れた動きをしていましたので、もし一時退却を選んでいた場合……もっと早期に決着がついていたことでしょう。引かない姿勢という点では、オルトゥスのスキル・導きの光に対するノクスの動きも――』
『はい、ありがとうございまーす。ご覧の通りトーナメント四回戦、第一試合の勝者はノクスちゃん・マーネちゃんコンビになりました。おめでとう!』
戦闘神ベルルムの長い解説を遮り、動物神アニマリアが勝者を宣言。
戻ったノクス・マーネを出迎えた俺たちは、しばらくしてから礼拝所へと戻された。