飼育の助言者
「きゃっ!」
ノクスとマーネを見つめるティオ殿下の傍に、水飛沫が飛び散る。
悲鳴は上げているものの、殿下はとても楽し気だ。
「もう……本当に水浴びが好きね、この子たち」
正確には女官さんに命じて持ち込ませた、だが。
王宮内にあるだだっ広い殿下の「自室の一つ」、そのテーブル上には浅く水の張られた桶が鎮座している。
その中で水を羽に含んでしぼんだノクスとマーネが、水を浴びて気持ちよさそうに体の汚れを落とす。
桶の下の敷かれた豪奢なテーブルクロスの上に水滴が大量に落ちているのだが、良いのだろうか? これは……。
「そういう殿下は鳥好きですよね。わざわざご自分のお部屋に桶まで持ち込むとは」
「何よハインド。私が鳥好きだったらいけないって言うの?」
照れ隠しなのか、赤い顔で睨まれたが別に他意はない。
これだけ好きなのに、自らで飼っていないのが不思議といえば不思議だが。
「そうは言っていませんよ。色々教えていただけて、俺たちとしては大変助かっていますし」
「どうして殿下はいつも無駄にツンツンしてるんです? 私はそっちのほうが気になり――」
「うるさいわよ、シエスタ!」
シエスタちゃんの口元には笑みが浮かんでいる。
昨日辺りまでは口数が極端に少なかったが、今日になってようやく他人に構う余裕が出てきたらしい。
「すっかり元通りですね、シエスタさん……」
「何はともあれ、イベント開始に間に合って良かったよ……ところでリィズ。さっきから何を見ているんだ?」
「イベントページで、順序の確認を――ああ、やはり美獣コンテストが一番最初ですね」
詳細な日程は確か、今日になって発表されたばかりだ。
椅子に座ってページを確認中のリィズによると、イベントは美獣コン、補助技能コン、バトル選手権の順で進行するとのこと。
「バトル後は疲労でパフォーマンスが落ちるケースもあるし、最後にするのは妥当か」
「そうですね。もしバトル後に美獣コンテストという順序でしたら、疲労のケアが必要になるかと思っていましたが……必要ありませんでしたね」
「いやいや、考えてくれていただけで助かる。そういう事前準備は大切だからな」
「おー、妹さんは気が利きますねぇ」
いつの間にか殿下との話を切り上げたシエスタちゃんが、会話にスッと割って入ってくる。
リィズは本当、気が利くよな。
俺がど忘れしていたり確認を怠ったりしているところをすぐに教えてくれる。
しかし、シエスタちゃんの言葉には続きがあるようで……。
「まあ、先輩絡み限定なんでしょうけど」
「当たり前じゃないですか。私の中の優先順位は、いつだってハインドさんが一番ですから」
「……」
居心地が悪くなりそうな会話の流れに、俺は逃げ出そうとしたのだが……。
シエスタちゃんが俺の服をがっちりキャッチして引き戻す。
何でそういう時だけ機敏に動くかな? 観念して元の席に座る。
「改めて聞くと、酷いブラコンっぷりですよねー。仲間内だと、今更誰もツッコミ入れませんけど」
「ブラコ……?」
聞き慣れない単語に、ティオ殿下が不思議そうな顔をする。
それに対してシエスタちゃんが解説し……。
「兄弟に執着心を持つことをブラザーコンプレックス……略してブラコン。同様に姉妹に執着することをシスターコンプレックス、略してシスコンって言うんですよー。私たちの世界では」
「へえ、執着心……なるほどね。確かにリィズはそのブラコン? とかいうやつで間違いないわね」
「黙りなさいシスコン殿下」
「なっ!? 私のどこがシスコンだって言うのよ!?」
ああ……殿下、何だかんだで女王陛下のことをかなり気にしているからな。
しかしこのまま喧嘩に発展しても困るので、水浴びが終わったノクスとマーネを清潔な布の上へ。
俺の仲裁を当てにして事態を引っ掻き回したシエスタちゃんにも、マーネを渡して会話のかじ取りに参加させる。
「大体、前からリィズは慇懃無礼というか私に対して――」
「殿下」
「何よ!?」
「水浴び後に、二羽の羽の手入れの仕方を教えていただけると……」
「すみません、やり過ぎました。誘導したのは私なんで……このクッキーに免じて許してください」
「いや、それ俺が殿下に持って来たやつだよね?」
そんなやり取りを見て、殿下が肩の力を抜いて椅子に座り直す。
「……はぁ、もういいわ。リィズ、そっちの棚の上にある包みを取ってくれる?」
「分かりました……」
リィズもシエスタちゃんに何か言いたげな視線を送っていたが、やがて殿下の指定した棚のほうへ近付いていく。
元に戻ったっていうか、パワーアップしていないか? シエスタちゃん……。
「体育祭から解放された反動ですかねー?」
「だから、心を読むのはやめてね? そろそろ自重してくれないと、話が進まないんだけど」
「そうですね。これ以上は殿下に部屋から追い出されそうだし」
「分かっているならやめなさいよ!?」
「こう、毛並みに沿って優しくね?」
「どっちも羽毛が多いですもんねー。あ、このブラシ凄い」
殿下がリィズから受け取った包みの中には、ブラシが二本入っていた。
それを使って二羽の羽繕いを行っていく。
ブラシで撫でると、羽には輝くような艶が現れ……。
リィズがそれを間近で眺めてから、殿下へと視線を戻す。
「これ、油ではないのですよね?」
「違うわよ。鳥類には羽に油を分泌して纏う種もいるけれど、フクロウやカナリアはさっき見た通りだもの。油は使えないわ」
「たっぷり水を含んでいましたからね……全く撥水していませんでした」
「フクロウは羽音を出さずに飛べるように、羽に毛が多いらしいからな。水浴びは好きだけど、濡れると途端に重くなるんだよな」
だから油を塗って艶を出すのは合わない訳だ。
その点を殿下はきちんと考えてくれたらしい。
「これは希少な銀サボテンの繊維で作ったブラシでね。もっと柔らかいものは人間の化粧道具にも使われるんだけど、それで撫でるとこんな艶が出るのよ」
「光の粒が乗っているかのようですね。非常に綺麗です」
「でしょう? このブラシはあなたたちにあげるわ」
殿下が気前よくブラシを俺とシエスタちゃんに押し付けてくる。
……いいのだろうか? 希少品であるならば、価格もそれ相応に高いはずだが。
俺たちがどう答えたものか見合っていると、殿下が笑みを深くする。
「気が引けるなら、前に私に装備をくれたでしょ?」
「ギルド戦――もとい、国家間演習の時のお話ですか?」
「ええ。あれのお礼だと思ってくれればいいわ。それでも足りないと思うのならば……また遊びに来なさい。ノクスとマーネにも会いたいし、話し相手になってくれるだけでも嬉しいわ」
「あれ、殿下が急に素直に……」
「シエスタちゃんがからかうからでしょ……ありがとうございます、殿下。大事に使わせていただきます」
「「ありがとうございます」」
俺たちの礼の言葉に、殿下はプイッと顔を背けた。
耳が赤くなっているので意味がない気がするが……。
その後も殿下から羽や爪の手入れのやり方をしっかりと教わってから、俺たちは王宮を辞した。