必殺の一矢
唸りを上げて威嚇するオーガを前に、俺はセレーネさんを庇う様に立つ。
二人パーティで採れる選択肢はそれほど多くない。
セレーネさんの職業を考慮し、俺は迷わず前に出ることに決めた。
「セレーネさん! 俺が前衛……もどきをやるので、後はお願いします。奴の弱点は頭部です!」
「え、大丈夫なの? ハインド君は神官でしょ!?」
「お任せあれ。後衛職とは言え、こちらのレベルは30オーバー。耐えきってみせますよ!」
自分の三倍は背丈がある巨鬼に向かって飛び込んでいく。
……うわ、序盤のボスなのに近付くとかなり怖いな。
VRならではの実感を伴った威圧感と殺意に、思わず足が竦みそうになる。
こうして対峙してみるとユーミルやトビ、前衛連中の度胸は大したものだと今更ながらに思い知らされる。
後衛のままでは決して分からなかったであろう感覚だ。
「来いよオーガ! 棍棒なんて捨ててかかってこい!」
「ガアッ!」
「おわっ!」
まあ、捨てる訳がないんですがね! 凶暴な鬼には、人間の言葉なんて通じやしないのだ。
どうにか力のこもった一撃を躱すと同時に、自分に向けて『ガードアップ』を詠唱。
目の前で発動しても次の攻撃にはギリギリ――よし、間に合った!
「あぶなっ!」
続けざまの攻撃を避ける。
いつ攻撃を食らうか分からないが、これで数発までなら耐えられるだろう。
続けて『アタックアップ』の補助魔法を、矢を装填しているセレーネさんに向けて発動。
「ありがとう、ハインド君!」
その際に一瞬とはいえ、後ろを向いたのがまずかったのだろう。
背中に鋭い痛みが走り、気が付くと自分のHPが三割ほど減っているのが見えた。
吹き飛ばされなかっただけマシだとは思うが……
「――ッ! いってえなこの野郎!」
怒りに任せ、杖で連続で突きを繰り出す。
「でああああああっ!」
28、33、27、29、31、30。
オーガの腹部に計六発の刺突を入れたが、悲しいかな一発当たりのダメージは約30。
総ダメージは180に届かない程度、そしてオーガの総HPはおおよそ3000。
うん、無理だ。俺に百回以上攻撃しろとでもいうのか?
神官にもっと攻撃力を下さい、運営さん。
「グアアァッ!」
「あだっ!」
いかん、HPが!
残りHPが半分以下になり、俺は慌てて『ヒーリング』の呪文を詠唱した。
下級魔法特有の詠唱時間の短さによって、即座にHPが2割ほど回復。
が、慌てていたことで敵の攻撃タイミングを見誤り、オーガの動き出しに反応が遅れた。
棍棒が目前に迫り、再度攻撃を受けそうになったその時――
「ゴ……ガッ……!?」
「!」
オーガの胸部に、深々と太いクロスボウの矢――ボルトが突き刺さる。
それによるヒットストップにより、間一髪、俺は敵の攻撃を避けることに成功。
表示ダメージは708、スキルなしでこの威力は破格だろう。
「ゴメン、外した! 次で決めるから、十秒だけ待って!」
「了解!」
セレーネさんが次矢の装填に入る。
考えてみればトップクラスの鍛冶職人が作った一点物の武器だ、弱い訳がない。
外したという言葉も「急所から外した」という意味だろうから、射手として非常に頼もしい発言だということが分かる。
大ダメージを与えてきたセレーネさんの方に攻撃しようとするオーガの進路を塞ぎ、ヘイトを稼ぐ。
自分に『アタックアップ』そして通常攻撃と『シャイニング』で……よし、なんとかこっちを向いた。
オーガが俺に対して攻撃を再開。
二発目、三発目、四発目の攻撃が僅かに腕を掠めたところで、後方から風が吹き荒れ始める。
スキルの気配を察した俺は、オーガの五発目の攻撃を敢えてガードして受け止めた。
両手で持った杖の上から衝撃が伝わり、自分のHPが削れる。
俺のHPは残り少ないが――これで動きが止まったはずだ! 撃てぇっ!
「――ッ!」
セレーネさんが歯を食いしばり、『ブラストアロー』が発動する。
鮮烈な速度で大気を切り裂きながら飛来した矢が、オーガの頭部に直撃した。
――表示ダメージ、3834。
完全なるオーバーキルである。
頭部は綺麗に吹き飛ばされ、首からは赤々とした断面が僅かに見え――って、グロいなぁ!
それ以上見たくないので、そこで目を逸らした。
血しぶきを上げながら、力を失った巨体が倒れていく。
――ただし、俺の方に向かって。
「ちょ、まっ、嘘だろおい!」
気付いた時にはオーガの体重がしっかりとのしかかり、杖は押すも引くも出来ない状態に。
矢の行方をボーッと見てしまったのが仇となった。
急いで杖を手放し、頭を抱えながらオーガの足の間に向かって飛び込んだ。
HP的に、これにのしかかられたら間違いなく死ぬ!
こんなのの下敷きになって死に戻りは嫌だぁ!
……祈りが通じたのか、オーガの体は地面に辿り着く前に爆散。
光の粒子へと変わり、俺はどうにか一命を取り留めるのだった……。
結果的に非情にダサい体勢になってしまったので、無言で杖を拾って立ち上がる。
そして何事もなかったようにセレーネさんの元に戻り――
「お疲れ様、ハインド君。その……余り、格好良かったとは言えないけど」
「分かってます、分かってますから……どうかそれ以上は……」
できれば触れないで欲しかったなぁ……とんだ醜態を晒してしまった。
今回の経験を通じて、前に出ると冷静な思考を保てなくなるというのがよーく分かった。
慌て過ぎなんだ、基本的に。度胸も根性も全く足りていない。
知っていたけど、俺に前衛としての適性は皆無らしい。
「で、でも、オーガの攻撃を受け止めた時には背中から気迫が伝わってきたよ。今だ、撃て! って感じで。私も思わず力が入っちゃった」
「そりゃどーも」
その言葉に違わず、正に目の覚める様な痛烈な一撃が飛んできたからな。
――ピロン。
セレーネさんも運動神経が悪いという点で俺の仲間かと思っていたのに、何気にハイスペック……。
――ピロン。
いや、でも見る限り走ったり歩いたりは遅いから、狙撃に限った話か。
――ピロン。
遠視というハンデを乗り越えて、非常に良い目をしていらっしゃるようで。
――ピロン。
……。
――ピロン。
「だあっ! うっせぇ!」
「!? どうしたの、急に!?」
「あ、すみません。メールが連続で着信したもので」
メールの着信音は本人にしか聞こえないのだ。
セレーネさんに断りを入れてから発信者を確認すると、五通とも全てユーミルからのものとなっている。
俺はそのまま内容を確認することなく、溜息をついてメニュー画面を閉じた。
「……いいの?」
「このパターンは、どうせ早く戻ってこいという催促です。もう着きますし、無視してさっさと行きましょう」
「う、うん。どうしよう、緊張してきた……」
「まあまあ。何とかなりますって」
ホーマ平原を抜ければ、ヒースローの街はもう目の前だ。
街の噴水前広場に集まっているユーミル達は、遠くから見ても一発で分かる存在感の強さだ。
奴ら、顔面偏差値が異常に高いからな……周囲のプレイヤーも遠慮がちに傍を通り過ぎていくか、チラチラ見ているかのどちらかが多い。
トビも戦闘中以外は覆面をしなくなったので、その場には美形しかいない空間が形成されている。
俺も知り合いじゃなかったら、この集団には気後れして近付かないだろうな……きっと。
そんなくだらないことを考えつつセレーネさんを伴って歩いて行くと、俺の姿に気付いたユーミルが手を上げる。
「おー、ハインド。やっと来たか! 待ちくたびれたぞ!」
「ん、今戻った。頼んでおいた買い物は済んだか?」
「食材、回復アイテムともに問題ありません。いつでも出発できますよ」
「ハインド殿の指示通りに、余裕を持って多めに買っておいたでござる。今、そちらの分も渡すので――」
「あ、ちょっと待った。その前にだな……って、あれ?」
セレーネさんを紹介しようと思ったら、俺の後ろにいたはずの彼女の姿が見当たらない。
視線を動かして姿を探すと――あ、居た居た!
あんな木の陰に……手を取って連れてこようとすると、顔を横にぶんぶんと振った。
そのままゴニョゴニョと小声で何かを俺に告げてくる。
「え、何ですか? ――恥ずかしい? このままじゃまともに話せないかも? ……分かりました。なら俺が間に入りますんで、心配しないで――え? 別に良いですよ」
よもや、ここまで酷い人見知りだとは思わなかった。
ちょっと気遣いが足りなかったな……。
それと、あいつらの見た目がいかんのか。
無駄にキラッキラしてるもんね。
美形が相手だとより緊張すると言っていたので、それを考慮に入れたらこうなってしまうのかもしれない。
「む? 誰だ、ハインド。その女は」
「……誰でもいいです、何処の誰かなんて今は関係ない。それよりも、どうして貴女はハインドさんの背中に張り付いているんですか? 貴女の出方によっては、私、とても許せそうにないのですが……」
「ッ!?」
「り、リィズ殿、抑えて抑えて。ハインド殿、その女性は一体……?」
リィズの恫喝でちょっと涙目になったセレーネさんが何か言いたそうだったので、俺は口元に耳を近付ける。
うん、うん……まあ、徐々に慣れるしかないっすなぁ……悪い奴ではないんですよ、ええ。
取り敢えず、ここは三人にセレーネさんを紹介せねば。
「この人はセレーネさんだ。俺の鍛冶の師であり、イベントの時にメテオグレートソードを一緒に作ってくれた恩人でもあるんだぞ。感謝しろよ、特にユーミル」
「おお、そうか! あの剣はもう手放してしまったが、凄い威力だったぞ! こうしてオーラを取れたのは、貴女のおかげでもあるのだな。ありがとう! ……それと、名前は知っていても会うのは今日が始めてだな。よろしく頼む!」
ユーミルがにこやかに握手を求める。
俺の背後からおずおずと手を出し、セレーネさんは怖々とだが握手に応じた。
こういう時には、ユーミルの空気の読めなさと強引さが素直にありがたい。
その行動で少しだけ緊張が解けたのか、セレーネさんが再び俺に耳打ちをしてくる。
「あー……はい。セレーネさんはこう言ってる。私の極度の人見知りが原因で、失礼な態度を取ってしまい申し訳ありません。私のプレイヤーネームはセレーネです。どうぞよろしくおねがいします……だそうだ」
「これはまた、変わったお人を連れてきたでござるな……あっと、失礼。拙者はトビでござる」
「リィズです。しかしハインドさん、どうしてこのタイミングでこの方を連れてきたんですか? 別に、ギルドホームの建設が落ち着いてからでも……」
「いや、彼女は単に鍛冶職人として紹介したかったわけじゃなくてだな……」
俺はそこで一呼吸置いた。
リィズがやけに不機嫌な以外は、ユーミルもトビもセレーネさんの存在を受け入れつつある。
これなら言っても大丈夫だろうと思う……多分。
「――実は、セレーネさんにも俺達のギルド立ち上げに参加して貰おうと思ってな」
「え……? それって、どういう意味ですかハインドさん?」
「そのままの意味だよ。このままパーティに入って貰って、五人で一緒に砂漠を目指す。本人の承諾は既に取ってあるから、後はお前ら次第なんだが。どうかな?」
俺の言葉に、ユーミル、リィズ、トビの表情が固まる。
なんて顔してるんだよ、三人とも。
「「「ええ!?」」」
そんなに驚くことか!?
三人が同時に上げた大声に、背中のセレーネさんがびくりと肩を震わせた。