シュルツ家における勤務初日
「何度見てもでかい屋敷だな……」
ここ、シュルツ邸を訪れるのはこれで二度目である。
しかし今回は日の高い時刻とあって、一層その大きさを鮮明に目にすることができる。
ここまでの移動手段は電車とバスで、一時間弱といったところか。
通うには少し遠いが、週に一度と考えればそれほど大変でもない。
「話には聞いていたが、本当にでかいな!」
「……改めて訊くけど、どうしてついてきたんだ? 未祐。マリーと遊びたかったのか?」
長大な門の前で、俺は隣に立つ未祐に視線を向ける。
家を出る時に理世と内緒話をした後で、どういうつもりか未祐はそのまま俺についてきてしまった。
理世もどうしたのだろう? こういう時、いつもなら未祐を止めてくれるはずなんだが。
特に何も言わずに、夏期講習へと行ってしまった。
「それもある! が、一番の目的は――」
「目的は?」
「一番の目的はっ! お前の執事姿を激写するためだぁっ!」
俺の質問に、未祐はコンパクトなデジカメを手にそう宣言した。
見覚えのあるそのカメラは、確か理世の持ち物だったような……。
そして未祐には悪いが、そんなものを着る予定は立っていない。
仕事用の服自体は、向こうで用意してくれることになってはいるが。
「……何を言っているんだ? 俺は執事服なんて着ないぞ」
「ははは、またまたー」
「清掃員だって言ったろ? 使用人じゃあるまいし、精々この上にビニールエプロンとか手袋、帽子を被るだけだろうよ」
「ははは、またまたー」
「……お前、話を聞く気ないな?」
「うむ!」
「そこだけ勢い良く返事をするんじゃねえ!」
これ以上の問答は無駄と考え、長い息を吐いてインターフォンを鳴らす。
誰何の声に名を名乗ると、やがて門が自動で横に開いていく。
お入りください、と機械越しに聞こえる声はどうやら静さんのものか。
「おおっ、自動!」
「立派な門だよなぁ……しっかし歩くと遠いな、ここから屋敷まで」
門から続く道を緩やかに上った丘の先に、屋敷の本体が見える。
二人でその道を歩き出すと、未祐が俺の言葉に引っかかったのか小首を傾げた。
「前に招かれた時はどうしたのだ?」
「車で中まで乗り入れて、屋敷の前で停車。だからこの道を歩くのは初めて」
「そういうことか!」
「ところでお前、マリーにちゃんと連絡はしたんだろうな? 俺の出勤に合わせて家を訪ねるって」
「問題ない。昨夜の内に済ませてある!」
「昨夜……? 昨日の晩からついていくって決めていたのに、何で事前に俺に教えてくれなかったんだよ?」
「あっ……」
「未祐? ――おいっ、未祐!?」
俺の追求に対し、未祐は全力疾走という形で応えた。
慌ててそれを追いかけ、二人で息を切らしながら屋敷入口へと到着。
すると、玄関の大扉がゆっくりと開かれ……。
このタイミングで初めて会う人が出てきたら気まずい。
どうにか息を整え――無理か!
「こんにちは、師匠、未祐さん! ……あれ、どうしてそんなに息が上がっているのですか?」
扉から顔を出したのは、司だった。
一瞬ほっとしたのも束の間、俺の隣に立つそいつは「何でもない!」と答えてずんずん中へと入って行く。
そんな未祐の様子に嫌な予感を覚えながらも、俺は司の案内で中へ。
そして、とある部屋で作業着だという言葉と共に渡された服に着替えていたのだが……。
「やけに仕立ての良いズボンだな……でも、元のジーンズの方が丈夫じゃないのかこれ? 上は白いシャツって、本当に作業着か?」
汚れに強そうな服には見えない。
困惑しつつも、これが仕事着だと言われれば従うしかない。
パリッとした服装でフィッティングルームのカーテンを引くと……。
「「むふふふふふ……」」
スーツ、ウェストコートにネクタイを持ったマリーと未祐が、俺を待ち構えていた。
後ろには申し訳なさそうな顔をした司と静さんの姿が。
「――っ!」
もはや疑う余地なく嵌められたことを悟った俺は、脱兎の如く駆け出した。
しかし二歩目を踏み出す前に、二人にがっしりとホールドされてしまう。
「は、離せっ! 清掃員として雇うって、マリーも言ったじゃないか!」
「清掃員ですわよ? ですが、一人だけ如何にも清掃員です、という格好をしていたら悪目立ちいたしますわ!」
「諦めろ、亘! かずちゃんもお前の執事服姿の写真を心待ちにしているぞ! さあ!」
「や、やめ――分かった、着る! 着るから、そんなに良い生地の服をぞんざいに扱うなぁ!」
「師匠、観念する理由が変ですよ!?」
最終的にその高級なスーツ一式が皺になるのが忍びなく……俺はすごすごとフィッティングルームへと引き返した。
そして再度、カーテンを引くと――いつの間にか履いてきていたスニーカーが片付けられ、サイズぴったりの革靴が置いてあった。
用意周到なことで……げんなりしながらも、それを履いて執事服が完成。
「ほれ、着替えたぞ。これで満足か?」
「おおおぉぉぉっ!!」
未祐が俺の周囲を移動しながらシャッターを切りまくる。
鳴っている音からして、どうやら連続撮影モードのようだ。
未祐の撮影技術はかなり低いからな……理世の入れ知恵だろう、おそらく。
「師匠、素敵です! 格好いいです!」
「ありがとう、司……服に着られていないか? コスプレ染みていないか? 見た感じ、明らかに中身の自分が服に負けているんだが」
こうなるであろう懸念と、この服で掃除をするプレッシャーが怖くて着るのが嫌だったのだが。
しかし司は、そんなことはないと全力で首を横に振る。
「ボクなんかよりもずっとお似合いです! 今後ともご指導、よろしくお願いします!」
「いや、この場では司のほうが先輩なんだからな? というか、マリー。本当にこの格好で――マリー?」
こちらを向いたまま固まるマリー。
その口の端からは、少しだけ涎が垂れ……。
そんなマリーの背後に静さんが音もなく近付くと、背中に気付けの掌底を入れ――
「はうっ!?」
マリーの口元をハンカチで拭うと、また元の位置に戻った。
一体何が起きたのかとマリーが視線を左右に向けるが、静さんは黙したままだ。
使用人として、今のようなお嬢様に対する処置は正しいのだろうか……?
「マリー、どうしたんだよボーっとして」
「い、いえ。あなたが余りにも、わたくしが思い描く理想の執事像で――」
「にわか執事に何を言ってんだ……この屋敷にはそれこそ“本職”がゴロゴロいるんだろ? 俺なんかを褒めたって仕方なかろうに」
「確かに所作は素人同然ですわね。でも、そういうことではなくて……ワタル、何も訊かずにわたくしが指示する通りの台詞を言ってくださらない?」
マリーが俺の耳元に口を寄せる。
このお嬢様からはいつも香水か何かののいい香りがする。
その台詞とやらは、特に難しいものではなかったが……。
「……何だそれ。何か恥ずかしいから嫌だ」
「そう仰らずに! 一度だけ、なるべく自然な所作と共に! 噛まずにとちらずに、労わりの心を込めて!」
「………………」
無理を押しての願いといった風情の割に、注文が細かい。
が、頑として譲る様子がないので、俺は指示されたそれっぽいポーズと共にその台詞を口にした。
「そろそろティータイムはいかかでしょうか? お嬢様」
「ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「ドリル、鼻血出てるぞ」
「いたしましょう、ティータイムに! わたくし、超休みますわ! ……あら、ワタル。わたくしの紅茶はどこに?」
「ねえよ。それから、まずはその鼻血を何とかしろ」
結局、マリーの鼻血は静さんと司が何とかしてくれた。
一体俺のどの部分が、マリーの理想の執事像とやらに合致したのかは謎である。
「亘、今のもバッチリ写真に収めたからな! イイ感じだ!」
「できれば消してくれるとありがたい……」
既に屋敷に入って結構な時間が経過したというのに、一向に次の段階に移れない状況に頭が痛い。
大丈夫かな、この仕事……。




