ウェントスとグラドターク
「そのハードルは重いので、男性四人で――マーカス様、間森様、ミゾグチ様、オチ様、お願いします」
「すげえ、カームさん……もう全員の名前と大体の腕力を把握してる」
「本当に凄いですよね……お屋敷でも、使用人の中では一目置かれているんですよ。お嬢様付きのメイドさんたちの統括も任されていますし」
「コースの組み上がりがとてつもなく早いでござるな……ただ――」
「ハインド様、トビ様、ワルター。あちらの水たまり作りの補佐をお願いいたします。遅れ気味です」
俺たち三人は顔を見合わせてから、弱々しい返事でカームさんに応えた。
一気に完成させようと提案したのは俺たちだが、少しでも手が空いていると即座に指示が飛んでくる。
休む暇がないので、結構キツイ。
しかしその分だけ、集団が非常に機能的に動いている感じだ。
「ここをふんだらいいの?」
「ふむだけー?」
「そうです。踏んで、魔法で出した土を均してくださいませ」
「おにぎりの数、このくらいでいいかしらねぇ? カームちゃん」
「人数と現時点での空腹度の減りを考えますと……もう少し多くてもいいかもしれません。あと二十ほど追加をお願いいたします」
止まり木の小学生組や、あまり足腰のよくないお年寄りたちにも適切な仕事を与えている。
早く作ろうとは言いつつも、一日作業になることを覚悟していたのだが。
「ハンマァァァァァァッ!」
「ハンマー! ですわ!」
「ハンマー! ですっ!」
「おーい、リコだけ外れてるよー。地面を叩いてるよー」
「あれ?」
「あの、そんなんだと杭を持ってるの怖いんだけど……お願いだからしっかり狙って?」
「ごめんごめん、サイちゃん! って、シーちゃんはさっきから何してんの?」
「見てる」
「見てるだけ!?」
ウェントスの育成に回っていたユーミル、ヘルシャ、ヒナ鳥三人もコース設営を行っている。
それから、サーラに来ていたシリウスのメンバー数人もありがたいことに参加。
今はそれらのメンバーが固定用の杭を木槌で打ち付けているところだ。
それにしても、地面をハンマーで叩くリコリスちゃんの姿……。
「刀鍛冶の時のトビを思い出すな」
「うん、拙者も自分でちょっと思ったでござるよ。傍から見ると中々に恥ずかしい……」
「そうなんですか? ……あ、でも二振り目からはちゃんと当たっていますよ。リコリスさんの木槌」
「おおう、仲間じゃなかったのでござるかぁ」
「お前は終始直らなかったものな。短刀とかの扱いは普通だし、持ってるものが重いと駄目なのか?」
「うーむ、どうもそのようで」
水たまり作り――要は水を溜めるための穴掘りなのだが、それに加わりながら俺たちはその様子を眺めていた。
その後、止まり木を含めた総勢およそ三十名がカームさんの指示により効率的に動いた結果……。
「完成だぁぁぁぁ!!」
「竣工! 竣工ですわぁぁぁ!」
ギルマス二人が大音声で宣言する。
本番で使用されるコースよりは小さくなったものの、必要な機能を備えたものができあがった。
サイネリアちゃんがすぐにでも使いたいといった表情をしているが、まずは満腹度の回復だ。
止まり木のメンバーが作ってくれたおにぎりを食べ、しっかりと礼を述べてから解散。
ウェントスを連れてようやく初使用ということになった。
「行くよ、ウェントス」
まだ馬体は小さいが……。
人が乗っても支障がないサイズになったウェントスが、サイネリアちゃんを背にコースに入る。
「スタートしましたね」
「あっ、でも最初のハードルの手前で止まっちゃったよ」
リィズとセレーネさんが柵の外、俺の横でそんな声を上げた。
サイネリアちゃんが飛び越えるようにウェントスを励ましているが……。
「駄目か……まだ育成が足りないか?」
「単純に勝手が分からないのではないか? 手本を見せれば飛び越えるようになると思うがな」
「手本か………………」
俺がヘルシャに視線を向けると、その場にいた全員が同じように注目した。
ウェントスを降りて手綱を引くサイネリアちゃんも、何事かとこちらに戻ってくる。
「あら、わたくし? お役に立てるなら喜んで手本でも何でもいたしますけれど……二つほど質問宜しいかしら? まず、手本ということでしたらグラドタークをお貸しいただけます?」
「そりゃ構わんが。手本のレベルは高いほどいいもんな。で、もう一つ訊きたいことってのは?」
「グラドタークの全力の手本を見せて、ウェントスはやる気をなくさないかしら?」
「馬は知能が高い方だっていうけど、そこまで自分との差とかって分かるものなのか? ……ともあれ、性格は大事か。どうなの? サイネリアちゃん」
柵の内側のサイネリアちゃんに声をかけると、ウェントスに視線をやってから口を開く。
「ウェントスはやんちゃで負けん気が強いので、もしかしたら却ってやる気に火が付くかもしれません」
「私もそう思うぞ! 現に、放牧中にウェントスは大人の馬をいつまでも追いかけていたからな!」
ユーミルがサイネリアちゃんの意見を後押しするようにそんなことを言う。
リコリスちゃんとシエスタちゃんも、同じ光景を見ていたのか口々に賛同の言葉を並べ立てる。
最後にヘルシャに視線を戻すと、大きく頷いた。
「では、グラドタークで手本をお見せいたしますわ」
「あ、ありがとうございます、ヘルシャさん! 録画しても構いませんか?」
「ご要望とあらば何度でもお見せいたしますけれど……そうですわね、それがいいでしょう。では、一層気合を入れて臨みますわ」
話がまとまったので、ヘルシャには俺のグラドタークを貸すことに。
数度の軽い練習を経てから、ヘルシャが録画用に全力の手本を見せると宣言。
ちなみに、グラドタークは初手からハードルを軽々と飛び越えてみせた。
ヘルシャの馬術も含め、両者ともさすがの実力である。
スタートの合図はトビが、お手製のスタートレーンの前でバーを動かして行う。
「行くでござるよ? 三、二、一……開始!」
「――参りますわ!」
ヘルシャが力強くグラドタークの脇腹を蹴り、蹄が踏みしめた土が舞い上がる。
グラドタークの巨体が跨ぐようにバーを軽々と越え、スピードを落とさずに砂地を、岩場を抜け、水たまりを物ともせずに移動して駆け抜けていく。
俺たちがその大胆かつ繊細な走りに見惚れていると――すぐ近くから、ブルルルと鳴く声が。
「!?」
驚いて音の発信源を見ると、鼻息を荒くしたウェントスがその場で足を踏み鳴らしていた。
これは……サイネリアちゃんやユーミルたちの言う通り、ウェントスの負けん気が発揮されている?
その後、障害物走を終えたグラドタークとヘルシャが悠然とこちらへ戻ってきた。
俺たちはそれを拍手で出迎える。
「素晴らしい走りでした、ヘルシャさん! 本番までに、今のリプレイを何度も見ることにします!」
「とっても素敵でした! その、こう……グラドタークがぎゅんって! ぎゅんって!」
「悔しいが、馬術ではとても敵わんな。見事だったぞ、ドリル!」
「それほどでも――ありますわね! さすがわたくし! おーっほっほっほ!」
「おお……何という高笑い。あれだけ型に嵌まった笑い方が似合うお人も稀でござろう」
「……確かに」
ヘルシャはトビの言葉通りに、胸を反らせて上機嫌に笑い続けている。
まあ、実際にそれだけの走りを見せてくれた訳だが。
グラドタークとヘルシャによる手本となる走りが終わり、今度は再びウェントスとサイネリアちゃんの出番となる。
「な、何だか興奮状態ですけど、大丈夫ですかね? ウェントス……」
「その昂ぶりが良い方に作用することもありますから、まずはやってみましょう。話はそれからですわ」
ヘルシャの言葉にサイネリアちゃんが頷き、走り出したウェントスは最初のハードルで……。
「へうっ!?」
「ああっ、サイちゃん!?」
「――!? サイ、しっかり!」
「は、ハインド君!? サイネリアちゃんが!」
強烈な体当たりを行った。
振り落とされるサイネリアちゃん、倒れるハードル、少し進んでから背に主が乗っていないことに気付き、すごすごと戻ってくるウェントス。
結果として完全に気合が空回りした形だ。競技的には、落馬による失格となる。
サイネリアちゃんはウェントスに懐かれてはいるが、それとこれとは別の話のようで……。
まだまだレースに必要な強固な信頼関係の構築には、残念ながらまだ至っていないらしかった。