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別荘地の遊歩道

「――おわっ、とと!」


 やはりというか、長年乗っていないだけあって若干ふらつきが出た。

 体が乗り方を覚えていたので、乗れないということはなかったが。


「お待たせいたしました」

「あ、静さん。すみません、すぐに片付けますから」


 メイド服から涼し気な格好……爽やかなシャツワンピースに着替えた静さんが玄関ドアを開く。

 俺はその姿を見て、急いで自転車を元の位置に戻した。

 すると、横合いから何かが差し出され……。


「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 静さんからハンカチを受け取り、額に浮いた汗を軽く拭う。

 洗って返すと申し出たら、気にしないようにとの言葉と共にハンカチを回収された。


「私のようなつまらない人間と一緒に散歩など、とても亘様に楽しんでいただけるとは思えませんが」

「全然そんなことありませんって。行きましょう行きましょう」


 やけにネガティブな発言をしてくる。

 仕事ができる人なのに、自己評価が低いな……。

 彼女の気が変わらない内に、さっさと出発してしまうとしようか。




「こちらに進みますと、秀平様たちが向かわれた湖に。そちらの道は麓へと続いております」


 生真面目に静さんが周辺の道案内をしてくれる。

 道はきっちりと整備・管理されており、避暑地というだけあって風が涼しい。

 左右の樹から伸びる青々とした葉が、真夏の日差しが直接俺たちに届くのを防いでくれている。

 セミの喧しい鳴き声もどこか遠くに感じた。


「では、あちらは?」

「遊歩道ですね。途中の分岐を右に曲がりますと、ぐるりと回って別荘を出てすぐの……階段になっている道があるのですが、覚えておいでですか?」

「ああ、覚えています。あそこに出るんですか。じゃあそちらを通って戻ることにしましょうか?」

「はい。そういたしましょう」


 そのまま二人で遊歩道を進んで行くと、川が流れていたりと更に涼し気な雰囲気になる。

 胸一杯に森の中の空気を吸い込むと、川のせせらぎも相まって何だか癒されるような心地がした。

 遊歩道は静さんの言葉通り途中で道が別れており、登りルートに進むと滝などもあるらしい。

 今回はそちらのルートはスルーして、右に折れて別荘に戻る方を選択。

 一周の距離も丁度いいので、ウォーキングだけでなくランニングにも良さそうだ。


「……」

「……」


 すっかり会話が途切れ、俺の少し後ろを淡々と付いてくる静さん。

 マリーと歩いている訳でもあるまいし、できれば横に並んでほしいものだが。

 場を繋ぐために何か話すべきかと思い、俺が口を開きかけると……。


「先程の……」

「あ、はい。何でしょうか?」


 静さんの方から先に何かを言い出した。

 やや言い難そうにしていたが、歩みを止めてそのまま待っていると言葉が続いた。


「先程の自転車のお話なのですが。亘様は、乗り方はお父様に……?」

「ああ、まあ。父さんに買ってもらった当初、教えてもらったころは自転車がまだ大きくてですね……ハンドルもペダルも重くて、正直ちょっと怖かったですね。結局、乗れるようになった姿は父さんに見せられず終いで」

「そうですか……」


 そして再び沈黙が。

 静さんは何やら言葉を慎重に吟味しているような、そんな雰囲気である。

 付き合いが浅いだけに、こちらとしてもタイミングを計り難い。


「亘様」

「――! はい」


 綺麗に切り揃えられた前髪の下で、閉じていた瞼を開いて静さんが見上げてくる。

 緊張感が辺りを包んだ。


「私に、自転車の乗り方を教えていただけませんか?」

「……はい?」

「亘様のお話をお聞きしていて、思うところがありまして……もしお嫌でなければ、亘様に乗り方をお教えいただければと。私などに割く時間が勿体ないということは、重々承知しておりますが――」

「いえ! やりましょう、自転車の練習! そしてみんなでお出かけしましょう、是非! 時間なんて気にしないでください!」

「……ありがとうございます」


 静さんが礼の言葉とともに綺麗なお辞儀をする。

 何かと思えばそんなことか。

 変に身構えていたせいで、肩透かしを受けたような状態になってしまった。

 俺は小さく息を吐くと、体の力を抜いて静さんと視線を合わせる。

 それくらいならお安い御用だ。


「では、戻ったら早速練習しますか」

「はい。恥ずかしいので、できれば皆様のいらっしゃらない間だけお願いできれば……」

「ははっ、了解です」


 俺がその言葉に笑うと、静さんは若干むくれたような顔をした。

 それまでよりも少し解れた空気の中で、俺たちは遊歩道をゆっくりと歩いて別荘へと戻った。




 緊張を帯びた体が、ぎこちなくペダルを踏みしめる。

 車体は頼りなく左右に揺れ、それを正そうとハンドルを曲げすぎて更に不安定になる。

 それ以上ふらつかないようにと、上から力をかけて車体を安定させていく。


「は、離さないでくださいね? 絶対ですよ?」

「大丈夫ですよ。でも、少し安定してきたのでそろそろ――」

「!? ま、待ってください! 私がいいと言うまで離さないでください!?」


 別荘に戻ると、自転車の荷台を俺が抑えて静さんが乗るという体勢で練習を行った。

 しかしこの会話、これでもう似たようなものが通算で三度目である。

 自分の幼いころを思い出すな……俺もびくびくしながら父さんに離さないようにと必死にお願いしてたっけ。

 自転車はしっかりと漕いだ方が安定するということが、最初の内は分からないんだよな。

 思い切りの良い未祐なんかはあっさりと乗りこなしていたけれど、俺はその答えに辿り着くまでに結構な時間を要した。

 今の静さんと同じように、補助輪がないときは苦笑する父さんに支えてもらいながら練習していたものだ。


「い、いますよね、亘様!? 後ろにいらっしゃいますよね!?」

「いますよ。ちゃんと後ろも抑えていますから……まずは目線を上げましょう、静さん。最初の内は力んでいてもいいですから、視線は下ではなく前を」

「は、はい!」


 静さんは普段の冷静な様子からは考えられないくらいに慌てつつも、一生懸命にバランスを取りながら手足を動かしていた。

 さすがに一日で乗れるようにはならなかったが、もう少し練習すればみんなと一緒に移動することができるようになるだろう。

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