ティオ殿下と渡り鳥の訓練
ティオ殿下が俺たちのギルドに来てから数日が経過し、イベント開始が近付く中……。
はたきで埃を払うティオ殿下の近くで、俺はゴミを掃きながら移動していく。
「それにしてもティオ殿下、本当に上達なさいましたよね……家事全般が」
「ええ、本当にね!! 戦闘技能は何一つ学べていないのにね!! 何でかしらね!? おかしいわね!!」
妙に怒っていらっしゃるが、そういう行動ばかりさせているので当たり前である。
俺たちの話し合いで決まった殿下の育成方針だが……。
その時の様子を思い出すと、確かこんな感じだったはず。
「戦士団の兵士って、ほとんどが平民なんですよ。だから王族であるティオ殿下の方が異端なんですが……身分の違いもあってか、彼女は部下の気持ちが良く分からないと。その勉強のため、街を見たいと俺に声をかけてきたので一緒に視察をした――という流れです」
セレーネさんの質問により、俺がティオ殿下に声をかけられた一件の顛末を話し終える。
それを聞いたセレーネさんはこう提案した。
「だったら、その延長上の提案をすれば良いんじゃないかな?」
「と、言いますと?」
「彼女は平民を理解するためにどんな暮らしをしているか、どんなことを考えて生活しているのか知りたがっている。ここまでは大丈夫だよね?」
「感覚の違いを埋めたいということだな? 大丈夫だぞ、セッちゃん」
ユーミルの返答に頷くと、セレーネさんは話を続ける。
「本人に知りたい気持ちがあるのなら、話は簡単だよ。実際にそれを見せて、体験させてあげればいい」
「なるほど……確かに街の視察だけでは、彼女自身も物足りなさそうな表情でしたしね。俺もその方針、ありだと思います」
「え、でもそれだと戦闘で強くなったりはしません……よね?」
リコリスちゃんのその問いに、俺たちは全員揃ってやんわりと首を横に振った。
それがそうとも限らないんだよな。
「リコリス殿、彼女は部隊長にござるから。一見戦闘に関係なさそうでも、部下を理解することで指揮能力の向上に繋がると思うのでござるよ。ゲームシナリオ的には、ありがちな話でござるし」
「ああっ、なるほどです! ギルド戦にも委任システム? っていうのがありますしね!」
自分の興味がある分野に関しては頭が回るんだよな、トビは……。
確かに、この方針を採ることで戦闘NPCとして一番伸びるであろう能力はそれだ。
「後はアレですよね先輩」
「うん?」
シエスタちゃんが空になったカップを口で斜めにしながら、視線も向けずに話しかけてくる。
行儀が悪いと隣に座るサイネリアちゃんに窘められ、少しだけ体を起こして言葉を続けた。
「回復魔法って要は読みと状況把握、それから気遣いじゃないですか。そろそろきつそうかな? っていう人をなるべく早く見つけて、癒してあげる。聖女さんが色々な経験をすることで、もしかしたらそういうのにも結び付くんじゃないかなって」
「ああ、確かに。そうなったら理想的だろうね。そういうシエスタちゃんの観察力はかなりのものだと思うけど、普段から同じようなことを気にしているの?」
「まぁ、リコの動きが硬い時はわざと回復をギリギリまで遅らせたりもしますし……」
「えっ!?」
「他のNPCだったら使えない案って意味でも奇抜で面白いし、良い方針だと思いますよー。私もセレーネ先輩の意見に賛成です」
初めて聞いたといった様子のリコリスちゃんを華麗にスルーし、シエスタちゃんはそんな言葉で締めた。
唯一疑問の声を上げたリコリスちゃんが納得したことで、後は反対意見が出ずに方針が決定。
そんな経緯があり、今は……。
今は、俺と一緒にギルドホームの床を磨いているという訳だ。
方針が決まった直後にギルドホームの一室を汚れ・経年劣化・傷ありというアルベルトさんが装備に使っているものに似た設定に変更。
溜まる埃、汚れていれば容赦なく足跡の付く床、指紋の付いた窓に澱む空気。
「いやー、やることが多過ぎますね。広いだけに大変だこりゃあ」
「どうしてちょっと嬉しそうなの……? 理解に苦しむわ」
俺たちが掃除しているのは、殿下が使用している一番大きな部屋だ。
この一室だけを汚れる設定にしておき、少し時間が経った今、こうして掃除しているという形である。
「あ、それはいけませんよ殿下。これは平民だったら大抵やってるだろう掃除の体験……殿下の身近なところで言うなら、王宮のメイドさんなんかの気持ちを知るための訓練ですから」
「……そういえば、私付きのメイドの中にも貴方のように笑いながら掃除をしている者がいるわね」
「純粋に掃除が好きな場合もあるでしょうけど、大抵はしんどい仕事の中で達成感を膨らませながらやる気を維持している訳です。その人が俺と同じであるならば、掃除前と比べて磨かれた床や窓、払われた埃を見て、達成感から笑っているのでしょう」
「少し分かる……ような」
「それに対して殿下ができることは……そうですね」
あくまでも気持ちを知ることが大事なので、王宮に戻ったら自分で自分の部屋の掃除をしろということではない。
彼女ができることは別にある。
俺はティオ殿下が掃除を行った窓を見た。
やや仕上げが甘いそこを確認すると、殿下と視線を合わせる。
そして率直に指摘を開始。
「水拭きの後の乾拭きが甘いですね。これでは後から水垢になりますよ」
「――は? 私に喧嘩を売ってるの?」
「待った待った! 話を最後まで聞いてください!」
殿下にえらい形相で睨まれた。
立場上、これだけストレートに駄目出しをされたことはないだろうからな……。
好感度が著しく下がっているのを感じる。
「ですが、掃除前にあった汚れは綺麗に落ちています。これは殿下が力を込めて丁寧に水拭きしてくださった結果ですから……乾拭きまで手を抜かずに、しっかりやれば満点です。初めて日が浅い割には、大変お上手ですよ」
「あ、うっ……わ、私の才知を持ってすれば当然よ!」
落としてから持ち上げると、分かり易く顔を赤らめて喜んだ。
凄くコントロールが楽な性格だ……ともあれ、殿下にして欲しいのはこういうことである。
上に立つ者として、どう使用人や部下たちに声をかけるか。
「殿下は王宮内で掃除をしている使用人を――まぁ、そもそも要人の前で掃除をしている姿を見せてしまうこと自体ミスでしょうけど。掃除に限らず、働いている使用人を偶然見かけた時にはどう声をかけていらっしゃいますか?」
「え? どうだったかしら……」
「無視するか、言っても素っ気なくご苦労、もしくはご苦労さま――とだけ声をかけていませんか? そしてミスを見つけた時に、その追及だけに終始していませんか?」
「……」
そうだったかも、という顔で黙り込むティオ殿下。
実は事前に普段のティオ殿下の様子を王宮で聞き込みして、それで得た情報だったりするが……。
ここであえて言う必要もあるまい。
そして、そういう態度を取られた人間がどう思うかを今から体験してもらいたい。
「では、殿下。今、殿下が掃除が終えた窓がここにあります」
「はい? そ、そうね」
「それを俺に報告してみてください」
「? それに何の意味が――」
「まあまあ、やってみてください。物は試しです」
不審そうな顔をしながらも、殿下は大人しく従ってくれるようだ。
このように根っこは素直な性格なので、教え甲斐があると言えばあるな。
ティオ殿下が腰に片手を当てて、誇るようにもう片方の手で窓を示して宣言する。
「ハインド、窓拭きが終わったわ!」
「――あ、はい。いいんじゃないっすか? お疲れさまでーす」
「ハインドォォォォーッ!!!!! アンタねぇぇぇっ!!!!」
「ぐええええっ!? 揺すらないで、揺すらないでください!」
襟首をがっちりホールドして揺さぶられた。
三半規管が悲鳴を上げ、視界がグラグラと不安定になる。
「はぁ、はぁ……」
「うぇ……で、殿下が今まで使用人や戦士団の部下たちにしていたのはこういうことです……」
「あぁ!?」
「誰だって褒められると嬉しい、自分がやったことを認められると嬉しいんですよ。だから正しい評価を下してくれて、上手くやれたら素直に本心から褒めてくれる人の下に付きたい……と思いますね。少なくとも、俺だったら」
「じゃ、じゃあ私のじんぼ――コホン! 私が今一つ部下たちや使用人たちと打ち解けることができないのは……」
「やって当然、できて当然という態度が鼻に付くからではないかと。ですので、労いの一言を工夫するだけでも印象が変わると思いますよ。是非やってみてください」
「くっ……随分はっきり言うのね、ハインド」
「すみません」
「でも、おためごかしばかり言う者たちの言葉よりもずっと……」
その言葉の続きは聞こえなかったが、顔を上げた殿下の表情は今までとほんの少しだけ違っていた。
掃除にも熱が入り、分からないことは俺に訊いてどんどん上達していく。
見違えるように綺麗になった大部屋の中で、俺の労いの言葉にティオ殿下が笑顔で応えた。
成長著しいな、こちらまで嬉しくなる。
「殿下、今度は物作りの見学でもしてみませんか?」
「あら、良いわね。エスコートしてくださる?」
「エスコートのマナーなんぞ俺は全く知りませんが、それでも宜しければ」
折角なので、このまま他の体験もさせてみようじゃないか。
俺は掃除用具を片付けると、ティオ殿下の手を取って大部屋から移動を始めた。




