休憩所と三つの匂い
マール共和国の海は南国風で、全体的な気温も高めだ。
システム上の設計で、濡れた装備や衣服もすぐに乾かすことが可能。
なのにどうして目の前の焚き火が必要なのかと問われれば、それは料理のためであると答える。
木箱が積み上げられていたりと、過去に倉庫にでも使っていたかのような休憩所……。
10階層に存在しているそこで、『スピンスターフィッシュ』に追い立てられるように辿り着いた俺たちは一息ついていた。
「ぜぇ、ぜっ……せんぱっ……なに、作って……」
「あ、無理に喋らなくても。ほら、ゆっくり呼吸して」
体力のないシエスタちゃんにしてはとても頑張ったと思う。
火を起こし終えた俺は背中を撫でて、呼吸が整うのを待ってから水を渡した。
「んぐ……んぐ……ぷはぁー。どうもです……」
「お疲れ様。どう、まだ頑張れそう? 20階層に到達したら周回もある訳だけど」
「不安定な足場にも慣れてきたので、徐々に適応できるかと。早歩きじゃなく走れって言われたら、今この場で即座にログアウトしますけど」
「それは言わないから安心してくれ」
入り江のダンジョンだけあって、走ると海水で足元が滑って非常に危ない。
ボス戦の広間がどうなっているのか分からないが、通路ではあまり派手に動くと転びそうだ。
焚き火の向こう側から回り込んで、フィリアちゃんがシエスタちゃんの傍にしゃがみ込む。
「……シエスタ、湿布貼る?」
「おー、是非是非。効くんですよね? 先輩」
「不思議なことに、HPが減っていなくても疲れに効くよ。効く気がするだけかもだが」
「それ言っちゃったらVRで感じる疲れ自体が気のせいですし。フィリー、貼っておくれー」
生足を晒すシエスタちゃんに対し、フィリアちゃんがペタペタと湿布を貼っていく。
俺はその間に料理の準備を……。
「はー、極楽極楽……」
「……シエスタ、おばあちゃんみたい」
「もーおばーちゃんでいいですよー……本当に効きますね、これー……ふぃー……」
「よーし、投擲アイテムの再確認終わり――ってシエスタ殿、湿布くさっ!?」
手首やら腰元やらを触っていたトビがシエスタちゃんの方を振り返って鼻を摘まむ。
俺も手を止めて視線を向けると、シエスタちゃんの足は湿布まみれになっていた。
「むっ、トビ先輩。遠足の次の登校日を思い出す反応……」
「現実でも似た状態になったのでござるか……? 何となく想像できるでござるが」
「山登りなんて嫌いです」
「休まずに参加しただけ偉いよ、シエスタちゃん……」
サイネリアちゃん辺りが尻を叩いているのもあるんだろうけど、言動の割に案外真面目である。
今回の遠征もちゃんと参加してくれているし、戦闘も攻撃に回復に大活躍だ。
湿布の束をインベントリにしまったフィリアちゃんが首を傾げる。
「ちょっと、貼り過ぎた……?」
「ううん、ありがとうフィリー。私はこのままダンジョンを歩きますよー」
「しかし、その臭いは問題でござるな……これから食事でござるし」
「あー、そうですね。すみません。上に装備を着けましょう、ブーツ系でも」
「一時は良くとも、ブーツに臭いが移るのでは? 後が大変でござるよ」
「洗浄ボタンがあるじゃないですかぁ。あれって自分も装備品の臭いも消えますし、大丈夫大丈夫」
「あ、そういえばそうでござるな」
その時、メニュー画面を開いて作業していたリィズが顔を上げる。
行っていたのはキツネさんへのメールである。
「ハインドさん。やはり、潮の満ち引きであのヒトデの活性度は変わるそうですよ」
「あー、やっぱり。キツネさん、伝え忘れか……聞いていた様子と齟齬があると思ったら」
「シエスタさんにとっては朗報ですけれどね」
「はい? 何です何です、妹さん」
這うようにずりずりと、立ち上がりもせずに湿布まみれのシエスタちゃんがリィズににじり寄った。
その臭気と動きにリィズが僅かに眉をひそめるが、何も言わずに話を続ける。
「さっきまで満潮だったので、活動のピークは過ぎました。今のダンジョン内のヒトデは、刺激してもそれほど集まってこないそうですよ」
「なんとですと!? ……ということは」
「歩いて移動できそうだね。潮の満ち引きのタイミングは?」
「周期表を送ってくださいました。それによると、しばらくの間は大丈夫です。情報抜けはともかくとして、さすがマール所属のプレイヤーですね」
「おー……これ以上足を酷使する必要がなくなって、安心しました」
他人事のように言っているが、シエスタちゃんとどっこいの低体力のリィズも嬉しいはずだ。
今も微妙に足が震えているのが見える。
後でこっそりリィズにも湿布を貼ってやるか……見栄っ張りだから、みんなの前では嫌がるだろうし。
シエスタちゃんがブーツを装備して、休憩所に置かれた板の上を転がってくる。
「……安心したら何か食べたくなりました。先輩、お食事のメニューは?」
「市場で買った魚をシンプルに焼こうと思っているんだけど。塩焼きで。悪いけど、物理組は最後にバフの上書きで干し肉をかじってくれ」
「了解でござるよー。焼きサバ楽しみぃ!」
「……楽しみ」
料理のバフは最後に食べたもので上書きされる。
魚系は基本的に魔力上昇バフなので、物理攻撃力が必要な前衛二人は上書きが必要だ。
そう考えるとどのパラメータが上がっても得をする騎士は、こと食事に関してはお得な存在である。
「魚もいいですけど、私は甘い物の気分です。先輩、何かありませんか?」
甘い物ねえ……インベントリに入っているものがいくつかあるが。
適当に漁ってみると、中から常備しているバナナとリンゴが出てきた。
その二つを見たシエスタちゃんが目を光らせる。
「先輩先輩、そのリンゴを串に刺して!」
「え? あ、はい。いや、え?」
「そのまま焚き火へゴー! 昔お父さんにやってもらったことがあります」
「焼きりんごかよ……アルミホイルないし、鍋でバターとか使ったほうが美味しくできるぞ」
「じゃあそれで」
指示が適当過ぎる……しかし、リクエストは理解した。
俺はまず鍋を吊るすためのハンガーを組み立て、焚き火に設置。
鍋を火にかけて、切り分けたリンゴをバターと共に温まった鍋の中に入れた。
シエスタちゃんの想像するようなワイルドな丸焼きにはならないが、甘味としては合格だろう。
「うおおっ、焼き魚の香ばしい匂いと甘い匂いが混ざり合って……キツイでござるぅ!」
「確かにちょっと気持ち悪い。でも、りんごのほうはもう蓋したからすぐに落ち着くはず」
「私はさっき貼ってもらった湿布のせいで、鼻がバカになってて分かりません」
「私も……今、洗浄ボタンを押したばかり……」
「はぁ……」
最終的には休憩所の匂いも落ち着き、和やかに食事を楽しむことができた。
次はようやくこのダンジョンの20階層へ向かうことになる。