文化祭当日・その2
輪投げのほうは程々に、交代メンバーが時間通りに来たので移動を開始。
あの分だと、景品は夕方までもたないかもしれない。
しかし、客が来なくて閑散としているよりはずっといい。
小さな子がでっかい加地君を見て泣き出したのには困ったが……。
「なんだ? 入店待ちか……?」
調理室の前では、パンフレットなどを手に並ぶ人の列ができていた。
これは早くヘルプに入らないとまずいな。
掻き分けて進むと邪魔になるし、裏から回ったほうがいいか? などと考えていると、制服の上にエプロンをつけた部長が中から出てくる。
「何名様で――あ、亘ちゃん!」
「部長、駄目です」
「え?」
「接客が先」
「ああ!? し、失礼しました! 二名様ですね、奥の席へどうぞ!」
学生の接客モドキということで、父兄らしき中年の男女は笑って許してくれた。
でも井山先輩の場合、普段から実家のパン屋で接客しているはずなんだがな……。
席への案内を終えると、再びダッシュで入口を開けて戻ってくる。
「わ、亘ちゃん、大変なの! 真柴君がバキバキのガチガチで!」
「健治が? ――って、裏から行くんで引っ張らないでくださいよ!」
「いいから、早く早く!」
そのまま手を引かれ、仕切りがされた部屋の隅にある調理スペースへと放り込まれた。
中では、健治が鬼の形相でカップにミルクピッチャーを使って慎重に注いでいる。
ピッチャーを左右に揺らしながら注いで完成したのは、リーフ型のラテアート。
そこで止めていた息を大きく吐き、健治は目元を解してカップをウェイトレス役の女性部員に渡した。
文化祭の料理部のメニューはフルーツの蒸しケーキ、ミニピザ、冷凍してあるシューアイス、そしてこのラテ・アートとデザインカプチーノだ。
三種の中から食べ物を一つ選び、飲み物とセットで注文するという形式。
「相変わらず、見ているだけで疲れるな……健治の注ぎ方は」
周囲の部員まで力が入ってしまっているし、上手く完成すると健治と共に息を吐いている。
井山先輩の言葉の意味が良く分かった。
健治は割と器用で、練習期間内にある程度ラテ・アートもデザインカプチーノも形にすることができたのだが……その姿勢に関しては、この通りである。
俺が手を洗ってからエプロンとマスク、三角巾を着けていると、こちらに気が付いた健治が顔を向けた。
「――お、亘! ようやく来たか! すまんが、ちょっと休憩させてくれ……異常に肩が凝ってきた」
「ああ、ありがとうな。しばらく休んでいてくれ」
椅子に腰かけて目を覆った健治と入れ替わるようにして立つと、底の丸いラテカップを手に取る。
さてと、ここからは仕事の時間だ。
「岸上先輩! よかった、注文詰まっちゃってて……」
「任せっきりにしてごめんな。今からどんどん消化するから、サポートよろしく」
「はい!」
男子部員の担当であるコーヒーゾーンはほとんどフル回転である。
健治のおかげで仕事の分担は上手くいっているようだったので、俺はラテとカプチーノを注ぐことに集中する。
ハート型やリーフ型の絵は「フリーポア」と呼ばれる、ミルクの流れで表現する方法で。
複雑なものは「エッチング」と呼ばれる楊枝やスプーン、カクテルピンを使った手法で処理していく。
ベースはどちらもエスプレッソなのだが前者がラテ・アート、後者がデザインカプチーノと呼ばれるものに分類される。
「亘ちゃん、カプチーノ二つ追加で。クマさんとワンちゃんね」
「はい」
配膳・接客は井山先輩を中心とした女子部員の担当である。
それにしてもあみぐるみといい、ここのところファンシーな動物ものばっかり作ってるな、俺は……。
不意に、目の前のこれをちょっとリアルな犬とか猫の絵にしてやりたい衝動に駆られる。
TBにログインして、鍛冶場で武骨な鉄と向き合いたい気分だ。
そういえば俺も、最初のころはセレーネさんに力が入り過ぎだと言われたことがあったな……そう考えると、今の健治と変わらないじゃないか。
「副部長ー。なんか、メッセージ入りのカプチーノを彼女にあげたいって言われたんだけど。そういうのって、やろうと思えばできるの?」
「え? できるけど、文面は?」
「顔から火が出そうなほど恥ずかしいやつ」
「……分かった。心を閉ざして丁寧に書き上げるよ」
「あっはっはっはっは!」
「何故そこで大笑い!?」
「だって、あんまり副部長らしい台詞だったから。丁寧には書くのかーって思って。はい、メモ置いていくね。あとはお願いしまーす」
メモを見て、その通りに俺はメッセージをハートの中にエッチングした。
一生愛しているだとか一生守り続けるだとか、英語でそんな内容だった気がするが詳しくは憶えていない。
そんな精神力を削られる注文もこなしながら、俺は復活した健治と共に忙しく動き回っていた。
しかし……。
「副部長、副部長を注文されたんだけど」
「は?」
「だから、副部長を注文されたんだってば」
その途上、急に珍妙なことを同学年の女子から告げられる。
ニヤニヤしながら同じ言葉を繰り返し、親指で客が座るスペースのほうを示す。
説明する気が全くなさそうなので、俺は仕切りから顔を出して客席の様子を窺った。
「――おっ!」
見覚えのある、というかほとんど毎日見ている長い黒髪の女が物凄い勢いで手招きしてきた。
対面には緒方さんが座って、すまなそうな顔で同じくこちらを見ている。
俺はそれを把握すると、顔を引っ込めて調理スペースへと戻った。
後輩の男子がその行動に目を瞬かせる。
「あれ!? いいんですか、副部長!」
「何が?」
「副会長を放っておいて……」
「こんだけ忙しいのに、未祐のボケに付き合ってる暇はないだろう? ちゃんとした注文が来たら、他の客と同じように対応するけど」
「すげえ……俺だったら、あんな美人の幼馴染に呼ばれたら飛んで行くのに……」
「俺も俺も」
それは君たちが奴の中身を知らないからで――いや、不毛だからやめよう。
だが、健治が取りなすようにこんなことを言う。
「行ってやれよ、亘。未祐ちゃん、放っておくとこっちに乗り込んでくるぞ」
「あー……確かにやりかねんな。健治、悪いけど少しの間だけ頼むわ」
「任せろ。休憩も兼ねて、ゆっくり話してきていいからな」
俺はマスクと三角巾を外し、テーブルへと向かった。
未祐は健治の予想通り、椅子から腰を浮かせた状態で止まっている。
危ない、本当にもう少しで調理スペースに乗り込んでくるところだった。
「……お客様、ご注文は?」
「うむ、私はとりあえず亘を注文したぞ! そしたら本当に来たから、それでひとまず満足だ!」
「俺は非売品だし、食えないんで。で、ご注文は? もうお昼だし、お腹空いてるんだろう?」
「フッ……お前が傍にいるだけで、私はお腹いっぱいだ……!」
「何言ってんのお前」
未祐が決め顔で言葉を放った直後――盛大にグーっという音が鳴り響いた。
完全に嘘じゃねえか。
そのまま机に突っ伏し、未祐は脱力した。
「えっとね、岸上君。校門の受付関係とかがやっと落ち着いて、それから私たちここに来たのよ。さっきからずっと未祐のお腹が鳴っててうるさいから、何か食べさせてやって。変なことばかり言ってるのも多分、空腹のせいよ」
「お腹が空いた……」
「空腹を堪えてまでかますようなボケじゃなかったと思うんだが……空きっ腹なら、シューアイスは避けた方がいいかな。フルーツの蒸しケーキとミニピザがあるんだけど、どっちがいい?」
未祐は少しだけ悩んだ後に、ミニピザを選択。
緒方さんは蒸しケーキを選択し、二人ともコーヒーに関しては任せるとのこと。
一度調理場へと引っ込み、料理とデザインカプチーノを用意して配膳へと戻ってくる。
「お待たせしました。一応言っておくが、未祐。くれぐれもカプチーノは先に飲むなよ? ミルクが多かろうがコーヒーなんだから、胃が荒れるぞ」
「分かっている! マルゲリータとコーンの二つか、美味しそ――む? このカプチーノの絵柄は、まさか!」
「これってドラゴン……よね? 岸上君、どうしてドラゴン?」
「アイスドラゴン! アイスドラゴンじゃないか!」
「アイス……?」
未祐、正解。
TBのアイスドラゴンを思い出しながら、爪楊枝を使って竜がブレスを吐いている場面を表現してみた。
かなり簡略化した上に茶色と白しか色がないので、俺がどのドラゴンをイメージしたか分かるのは一緒にプレイしていたメンバーだけだろう。
「なんか凄い迫力……けど、普通女の子にこんなの出す? これって、どちらかというと男の子向けの絵柄じゃない?」
「おおおおお、格好いいぞ! 確かに男向けかもしれんが、ゆかりん! 私は気に入った!」
「あんたはそうでしょうけど……」
「いや、実は何ていうか……可愛いのばっかり描くのに飽きちゃって。そんな絵柄ですまんね、緒方さん。では、ごゆっくり」
「待て、亘! そんな理由!? そんな雑な理由でこうなったのか!? おーい!」
残念ながら、別にそれ以上の理由はない。
おまかせされたので、単純にそれまでと違う系統の物を描きたくなっただけだ。
それからしばらくすると、二人は料理を完食して去っていった。
時間を確認すると正午を過ぎ、今はやや客足が落ち着いてきたところだ。
午後三時くらいになれば、体育館でやっている劇なども一旦終わる。
そうすれば、ここもまた混み合ってくることだろう。
今の内に、材料の在庫確認や休憩を取って――そういえば、セレーネさんこと和紗さんとか理世、母さん辺りがまだ来ていないな。
全員午後になるとは言っていたが、一体いつごろに来るのやら。