悪夢の森の無限十字路
「ヘーイ! ハハッ、いいぞグラドターク! 速い速い!」
「楽しそうだなぁ、弦月さん……」
「スピード全開ですね。怖くないのでしょうか?」
弦月さんがグラドタークに乗って、林道を走り回る。
ローゼの料理出品を済ませた翌日、俺たちは魔物肉を求めて王都から西方二つ目のフィールドである『悪夢の森』へと戻ってきていた。
俺は弦月さんの白馬の手綱を預かり、リィズと並んで彼女のグラドターク試乗を眺めているところだ。
今日の用事を済ませれば、そこでルストのみんなとはお別れとなる。
この『悪夢の森』のとある場所に、肉長老が教えてくれた魔物が出るらしいのだが……。
「ここ、道が入り組んでて全容がはっきりしない場所だよなぁ」
仕様なのか、このフィールドだけはマップの拡大ができなかったりとやけに不便だ。
しかも似たような景色が続くようになっており、距離感も狂いやすい。
俺の言葉を受けて、道を往復する弦月さんを見ながらローゼが発言する。
「途中に、進んでも進んでも全く同じ景色が続く十字路があったでしょ? 無限十字路って名前らしいんだけど」
「ああ、あったあった。マップにノイズが走って、完全に機能しなくなる場所だよな? 曲がらずにひたすら真っ直ぐ進めば抜けるって弦月さんが言うもんだから、一切曲がらずに進んだけど」
初見では間違いなく迷うだろう……と思いきや、一つ前の町である『ウェストウッズの町』のNPCに訊けば誰でも教えてくれる情報だという。
俺は知らなかったのだが、ルストのプレイヤーの間では常識なのだそうで。
また、その性質から隠し場所や財宝のようなものがあると推測し、敢えて十字路のルート開拓に挑戦し続けているプレイヤーもいるとか。
迷った場合には、全ての十字路の中央に設置されている光る木に触れると入口に戻されるらしい。
「肉長老によると、その十字路を一定の手順に従って進めば美味しい魔物がいる場所に出るって話でさ。エルデ、メモがあったわよね?」
「はーい。ハインドさん、どうぞぉ」
「どうも。ってことは一部のプレイヤーたちの、隠し場所があるかもって推測は合ってたわけだ」
「そういうプレイヤーの人たちには悪いけど、実際に探したんだとすれば無駄足だったと思うわよ。さすがにノーヒントは無謀でしょ。メモを見ればそれが分かるわ」
ローゼの言葉を聞きつつ、エルデさんからメモの書かれた羊皮紙を受け取る。
メモに視線を落とすと、十字路に東から侵入した場合と西から侵入した場合の二経路が記録されていた。
左、右、直進といったシンプルな指示が書き連ねてあるが……手順が軽く二十以上はあって、しかも一つでも間違えると辿り着けないらしい。
これはローゼの言う通り、ノーヒントで探すのは無理がある。
「その経路の通りに進めば、肉長老が言っていたモンスターに会えるはずよ」
「どんな魔物なのか、という詳しい情報は教えてくれなかったのですか?」
「なぁんにも。知能が高いから用心しろぉー、だけだったよね? あのおじいちゃん。とにかく美味い、泣くほど美味い! とか言ってたけどぉ」
「そうなのよね。推奨レベル50、そんでフルPTで行けって言ってたから強いんだとは思う」
「全員平均的なプレイヤーよりも装備は良いし、人数は足りてる。推奨レベルには届いていないけど、その程度ならどうにかなると信じたいな」
このメンバーの中でレベルが50とカンストしているのは弦月さんだけだ。
俺とリィズが48、ローゼが47、エルデさんが45。
誤差と言えばそれまでだが、果たしてこの差がどう響くか。
「――何はともあれ、まずは相手を見てみないことにはね」
「あ、弦月さん。もういいんですか?」
馬蹄の音が近くで止まったのを聞いて、俺は思考を中断して顔を上げた。
馬上のエルフ美女がにっこりと笑む。
「ああ、堪能させてもらったよ。やはり等級が上がると世界が変わる」
弦月さんがグラドタークから舞うように軽やかに降り、俺と手綱を交換する。
それを契機に各自が馬に乗り込むと、ゆっくりと森の中で移動を開始。
先頭は自然と弦月さんに、最後尾にはローゼがついてくれた。
「幸い、パーティのバランスは悪くない。こちらには支援の鬼たるハインドもいることだし――」
「いやいや、よしてくださいよ弦月さん。まぁ、同職のエルデさんもいますし回復に関しては心配いりませんよ」
「はいー、私も大体ハインドさんと同じスキル構成ですのでー。……サクリファイス以外はー」
『サクリファイス』のところで弦月さんとローゼが失笑に近い微妙な笑い声を漏らしたのは、イベントの動画か何かを見たせいだろう。
今では各職でスキル構成のテンプレートが攻略サイトなどで出来上がりつつあり、『サクリファイス』は当然のように支援型神官のスキル構成からは外されている。
「……イベント以外では使いませんけどね、あんなロマンスキル。デスペナ嫌ですし。ついでに言うと、この面子だと蘇生の出番なんかも余りなさそうですが」
「アンタんとこの勇者と違って、バランス型の騎士はアベレージの高い継戦能力が売りだもの。何度も蘇生されているようじゃ、それこそ前にいる意味がないわ。折角出した魔法剣も消えちゃうし」
「私の方はどうしても軽戦士に近い性能だからね。自分の集中力、それと相手が回避の難しい攻撃をしてくるか否かに左右される。もしもの時は頼むよ、ハインド」
真っ先に蘇生のことを考えてしまうあたり、俺もかなりユーミルに毒されている。
それにしても、全員高レベルプレイヤーだけあって自分の職への理解が深い。
指揮は弦月さんに任せればいいし、これならよっぽどの敵以外は倒せるだろう。
……などと、フリのつもりは決してなかったのだが。
無限十字路を肉長老の情報に従って進んだ俺たちは、その「よっぽど」の方の魔物に出くわしてしまった。
「――くっ、何ですかこれは!? ユーミルさんの呪いですか!?」
「言ってる場合か! リィズ、そこ進路に入ってる! 走れ、止まるな!」
今は敵の姿が見えていない。
あるのは地鳴りと、木々をバキバキと蹴散らしながら進む激しい音だけだ。
――それが徐々に近付き、赤い目をした猪が涎を垂らしながら森の中から広場へと突進してくる。
モンスター名『レクス・フェルス』、猪の王。
恐らくだが、分類はクエストやフィールドに時間・場所限定で現れる『特殊ボス』と呼ばれる類のもの。
体長10メートルはあるだろう、恐竜のような巨大な大猪の体躯が迫る。
「はぁ、はぁ、はぁ……い、息が……はぁ、ふぅ、ここならっ……!」
リィズが速いとは言い難い足で必死に走り、どうにか突進から逃れる。
どうもルストは地形を利用する狡猾な敵が多く……しかもモグラの時と同じランダム攻撃だから手に負えない。
唯一の救いは赤い線が地面に走り、システム側で事前に突進する猪の進路を知らせてくれること。
それを目印に、林から林へ広場を経由して抜けていく猪の突進を躱す。
「みんな、落ち着いて! 慣れてしまえば、突進のターンと広場にいるターンで攻撃がパターン化されている分、楽なはずだ! 突進が終わって広場に現れると同時に、一気に火力を叩き込む!」
おお、弦月さんが俺が言いたかったことを全部代弁してくれたぞ。
突進のターンの内に、躱しながらバフや回復をしっかり行っておかなければ。
彼女の言う通り突進の速度に慣れてしまえば、一斉攻撃の猶予を与えられているようなものになる。
「来るぞ! みんな、構えて!」
突進ターンが終わって飛び出すと同時に、『レクス・フェルス』が強烈なストンピングを放ってくる。
弦月さんが体を回転させつつ繰り出される巨木のような足をギリギリで躱し、更に躱しながらカウンターで矢をどんどん放っていく。
その踊るような、或いは曲芸のような姿は華麗の一言。
彼女の隣で戦うローゼが、それを見て啞然とした様子で口を開けている。
しかし直ぐに頭を振ると、自分も前へ。
「エルデ、アタシにクイックを頂戴! エントラストも!」
「今準備するよー」
エルデさんに呼びかけつつ『ジャッジメントソード』を発動。
白色に輝く伸びた剣を振り回し、ローゼが走る。
その持続時間が切れたところで、エルデさんの『クイック』によりもう一度光る剣を解き放つ。
前言通り、ユーミルの攻撃型とは違って安定した動きをするほどにローゼが与えるダメージが伸びていく。
弦月さんのように全回避とはいかないが、盾を使ってしっかり被ダメージをコントロールしている。
俺は弦月さんに切れたバフを掛け直しつつ、ローゼに回復を。
リィズは『レクス・フェルス』に次々とデバフを使用していく。
が、リィズが放った『ガードダウン』と『スロウ』は失敗の判定が表示された。
「……!? ハインドさん、この猪デバフが通りにくいです!」
「通ったのはアタックダウンだけ……魔法抵抗が高いのか? 知能が高いってのはそういう……?」
「いや、少し違うようだ! 動きが変わった!」
大猪が吠え、その場で奇妙な動きを始める。
体を左右に捻り、地面に両足を交互に打ち付けると……体の周囲に茶色の光が回り出した。
このエフェクトは、まさか!?
「まずい!? 弦月さん!」
「――このっ!」
弦月さんが矢を放つが、その「詠唱」はプレイヤーのものと比べ非常に速かった。
大きな魔法陣が足元に出るや、異変は即座に訪れる。
地面が立っていられないほどに不自然に上下に揺れ、為す術なくHPが減少していく。
全員がその範囲内で、逃げ場などなかった。
土の範囲大魔法『アースクエイク』……そして揺れが残る中、『レクス・フェルス』が地を蹴って駆け出す様子が見え――。