大型アップデート到来
「わーっち! わっち、わっち、わっちわっちわっちわっちっち!」
「やめろ秀平。連呼されるとゲシュタルト崩壊しそうだから」
「……。わっちって何だっけ?」
「お前の認知能力が下がるのかよ。丁度いいから、これを機に俺を普通に名前で呼ぶと良い」
「わっち、アプデ!」
「スルーかい。って、アプデ? TBの? メンテナンスが終わったのか?」
現在の時刻は午後16時過ぎ、場所は学校の教室。
今日は長めのメンテが取られ、しかも15時終了予定からメンテ時間が延長されたらしい。
教科書をバッグに詰め、帰り支度をしながら秀平に応じる。
「今回はモンスターの狩猟が解禁だって!」
「狩猟だぁ? 何を今更。今までだって、散々モンスターを倒してきたじゃんか」
「ちょっと違うんだなー。これからは、食べられるモンスターのお肉とか体の一部とかがドロップするようになるんだってさ!」
「へー。でも、クラーケンは普通に体の一部が食用としてドロップしていただろう? あれはどうなるんだよ?」
「多分、あれは実装前のテストだったんじゃないかな? 特に問題が起きなかったから、満を持して他のモンスターにも適用されたと。前にモンスターの肉を食べたいって言ってたけど、今まではそもそもドロップしなかったんだねぇ」
「なるほど。でも、アプデってそれだけなのか? 凄いっちゃ凄いけど、大型アップデートにしては内容が寂しくないか? メンテに時間を掛けた割には――」
モンスターから食用部位がドロップするようになるだけだと、普通のアップデートで充分な改変に思える。
しかし秀平は、スマホを片手に腹の立つ顔で指を左右に振った。
鬱陶しいので掴んで止めようとすると、すかさず後ろにサッと引っ込める。
「これはわっちにとっては朗報だぜ? なんと! 今回から料理に……」
「料理に?」
「料理に……一定時間のバフ効果が付きます! わー!」
秀平がパチパチと拍手をする。
その音は放課後の喧騒の中へと、それほど目立つことなく溶けていった。
「おー……え、マジ? バフ?」
「マジマジ。わっちの今後の料理に期待大!」
「戦闘に料理が関わってくるのか。腕の振るい甲斐があるな!」
「おっ、珍しくわっちが熱いセリフを! やっぱ料理が絡むと違うねぇ」
それはその通りだ。
料理は俺にとって家事の一部だが、同時に趣味としての側面も孕んでいる。
料理部に入ったのも自発的なものであるし、まだ母さんが家事をしていた幼いころからプラスチック製の包丁を握って手伝っていた。
ゲームのシステムとはいえ、それが数値化して評価される……実に胸が躍る展開じゃないか。
俺は鞄の蓋を閉めると、気合を入れて席を立った。
それを見た秀平が、慌てて自分も帰り支度を始める。
「よぉし、そしたら早速……」
「早速?」
「……スーパーに向かうとするか。今日は夕方から特売の日なんだ」
「――!? わっち、そこは家に直帰して矢も盾もたまらずゲームにログインする展開じゃ……」
「何を言っとるんだお前は。現実での食料とゲームの料理、一体どっちか大事だと思っているんだ?」
「ゲー……現実!」
「一瞬でも迷う時点で、お前は人としてどうかと思う」
話をしながら下駄箱を通過し、学校の外へ。
今日はバイトが無いので、スーパーで買い物をしてゆっくり帰るとしよう。
カートを一度秀平に預け、特売品に群がるオバチャン達の間をスイスイと前へ。
気を付けないと肘が飛んでくる、足を踏まれる、酷いと全力でブロックと体当たりをされる。
要は慣れだ。
荒ぶる力の流れを読み取り、受け流し、時には利用し、しかし目的地は決して見失わない。
前へ、前へ。
そして俺は、その輝く白い10個の宝を二パック手にすることに成功した。
……。
「OK、卵の確保完了。一パック100円切ってるのはオイシイな」
「すげえ! あの怒号が飛び交う集団の中を掻い潜って……! わっちの方が俺より忍者っぽい!」
「……なあ。そんなことよりも、籠の中に入れた覚えのない菓子類が増えているんだが?」
「てへ」
「自分で買え。嫌なら戻してこい」
「そんな!?」
今夜は秀平の母親の帰りが遅いらしく、こいつも家で一緒に夕食を摂ることになっている。
後は鶏肉、玉ねぎ――ああ、ケチャップが残り少なかったな。
買っておいた方が良いだろう。
「秀平、お前も一緒にレジに並んでくれ」
「なんで?」
「特売のティッシュが一人一個限定なんだ。折角二人居るんだし、こういう時に買っておかないと」
「……わっちって本当に主夫だよねぇ。今すぐに一人暮らしを始めても、何も困らないんじゃない?」
それはどうだろう?
何しろ、放っておくには心配な家族と幼馴染が三人も居るから。
スーパーから家に帰宅し、秀平と一緒にリビングでお茶を飲みながら小休憩。
その後は、未祐と理世からそろそろ帰るという連絡を受けて調理開始だ。
「で、今夜のメニューは何?」
「さっきスーパーで卵を買ったじゃん? それをたっぷり使ったオムライスにしようかと」
「おー、いいね! 卵の状態は?」
「無論、半熟トロトロで」
「ィヤッホゥ!」
卵は直前に焼くとして、チキンライスはある程度完成させておいて大丈夫だ。
秀平はサラダを担当、同時進行でコンソメスープも俺の指示を受けながら作ってもらう。
玉ねぎをみじん切り、熱したフライパンにバター、刻んだ玉ねぎ、鶏肉を投下。
塩コショウをし、火が通ったところでケチャップを加える。
余計な手は加えず、シンプルに。
秀平の方はサラダがレタスを水切り中、スープもあともう少しで完成する。
そこまで料理が進んだところでインターホンが鳴った。
「おっ、秀平出てくれ。多分未祐か理世のどっちかだ」
「あいさー」
バタバタと秀平が玄関に向かう。
そして数秒後、一人で慌てて戻ってきた。
「あれ、どうした?」
「わっち、鬼と般若が……」
秀平の怯えた表情を見て、俺は状況を察した。
その予想を裏切ることなく、未祐と理世が睨み合ったままリビングに入ってくる。
これ、先月喫茶店で見た光景と一緒だ……またかち合ったのか、お前ら。
まずはさっきからお腹が鳴っている、未祐のオムライスから。
リビングのテーブルに四つ置かれた、チキンライスの一つに出来立てのオムレツを乗せる。
「食べていいか!?」
「どうぞ。真ん中から割ってくれよな」
「うむ! ……ふぉおおおお! トローッ」
湯気を立てながら、半熟の玉子がゆっくりと滑り落ちる。
未祐はスプーンを握りしめたまま目を輝かせた。
「本当に喧しい女ですね」
「ああ!?」
もう食事時だというのに、二人は未だに喧嘩を止める気配が無い。
俺はいがみ合う二人の肩を叩いた後、視線が集まるのを待って何も言わずにニッコリと笑った。
ただし怒りのせいか、ほとんど顔の下半分しか表情が動かなかった自覚があるが。
「……お、お先にいただきまーす」
「に、兄さんの分のコンソメスープを持ってきますね……」
「二人ともいつまで経っても学習しないねぇ。わっち、次は俺の玉子を焼いてよ」
「ああ。少し待っててくれ」
オムレツは一つずつしか焼けないので、食べるのは熱い内、出来上がった順からだ。
自分の分のオムレツを乗せ、フライパンを置いて戻るころには未祐は半分ほどオムライスを平らげている。
秀平はオムライスの上にケチャップで顔文字を書き、片方の眉毛の辺りまで手を付けていた。
遊んでんなぁ……別にそれくらい構わないけど。
「で、理世。お前は俺のオムライスに何をしている?」
「え? 兄さんの名前を書いていますけど?」
「――っ、げほっ、げほっ!」
何を見たのか、コンソメスープを口に含んだ秀平がむせる。
理世が持ったケチャップの下では、ハートマークで囲った「亘」の文字が鎮座していた。
「何だこの恥ずかしい料理は!? 食べ難くなるからやめてくれ!」
「では、こちらの理世バージョンを兄さんに……兄さんが私を食べて、私が兄さんを食べるという――」
「より食べ難くなった!?」
「フン! こんなもの、こうしてやる!」
「あっ!?」
未祐が俺の未使用のスプーンを掴み、ケチャップの文字を平らに均す。
そのおかげで食べやすくはなったが、再び睨み合いを始めた二人に俺は全力のデコピンをお見舞いした。