セーピア海域西エリア・レイド初戦
俺達の隊は甲板のギリギリ後ろ、クラーケンから最も遠い位置だ。
前衛部隊二つは触手を攻撃、時折薙ぎ払われるそれに対しては盾を構えたプレイヤーが、もしくは狙われているプレイヤーが攻撃方向を誘導しながら被害が最小限になるよう移動していく。
前衛部隊二つを壁にしながら後衛攻撃隊がWTとMPが許す限りに攻撃を続け――やはり、本体の位置が遠いだけあってメインのダメージソースはこの部隊となっている。そんな序盤の攻防戦。
「おくとぱすっ!?」
「死んだ!? 本体君、勇者ちゃん速攻で死んだよ!?」
「あー、いつものことなんで気にしないでください……」
キツネさんが幣と呼ばれる、木に二本の紙垂が付いた物を手に動揺を見せる。
驚くべきことに、船を掴んでいた触手を伝ってクラーケン本体への直接攻撃を決めたユーミルだったが……。
二撃目を入れたところで海側の触手の一つに薙ぎ払われ、艦橋付近に激突した上で落下ダメージも更に加算。
見事に計三回の大ダメージを受けて戦闘不能になった。
「相変わらずの死にっぷりですねぇ、ユーミル先輩。退くことを知らない。しかし、普通あそこまで無理をしてまで頭部を狙いますか?」
「近接は無理をせずに船に取り付いた触手を狙う感じが正解じゃねえかな。勿論、頭部の辺りに弱点はあるんだろうけど、リスクとリターンが釣り合ってない……ほら、真似した他の前衛が途中で落ちた」
シエスタちゃんと会話をしつつ、俺は詠唱を続けていた魔法を完成させる。
しかし、ユーミルの胆力は本当に凄いと思う。
相手がどんなに大きくても一瞬の躊躇もなく向かって行くのだから――結果すぐに死んだけど。
俺には絶対に出来ない芸当である。
かなり滑るであろうクラーケンの触手の上を走り抜けるのも、普通のプレイヤーには到底無理なことだ。
「っ、あいたたた――な、何のこれしきっ! 負けるかぁぁぁ!」
「あれ、もう生き返ってる!? 誰か勇者ちゃんに聖水使った?」
「すみません、リヴァイブWT入りました。次にユーミルが死んだらフォロー頼みます」
「本体君……なの? ノータイムで蘇生できるって、本当の話だったんだ……」
今のをノータイムと言うのは大袈裟だが。
俺はユーミルに向けていた白銀の『支援者の杖』を持ち直し、休まずにバフの詠唱を開始する。
大人数の戦闘で神官が最も気を使うところは、バフ・回復の被りという点に集約されると思う。
全体・複数を回復させる『ヒールオール』や『エリアヒール』のような魔法ならそれほど気にする必要はないが、WTの長い単体大回復魔法や蘇生が被ると特に悲しいことになる。
それを防ぐために、部隊とは別に4人1PTを組んで基本的にはその受け持ちを回復させることに決めてある。
俺の場合は前衛攻撃隊に居るユーミル、前衛防御隊に居るトビ、後衛攻撃隊に居るリィズの三人の回復・バフを担当するということだ。
もちろん、手が足りない場合には――
「本体君、ユッキーのガードアップ切れた! こっちWTだから、お願い!」
「はい、お任せあれ!」
このように声を掛け合い、互いに足りない魔法を補い合う。
俺がキツネさんに代わって『ガードアップ』を飛ばすと、それに気付いたユキモリさんがニッと笑ってサムズアップしてみせた。
中々に余裕がある様子で、実に頼もしい。彼はそのまま槍を構えて触手へと向かって行く。
俺は次にエリアヒールを準備し、状況を吟味しつつ慎重に狙いをつける。
「そこっ!」
回復の手が足りていない前衛の足元に回復陣を設置。
バランス型神官のプレイヤーが担当している前衛は、どうしても回復が不足しがちである。
それに対する補助も支援特化型の役目だと言えるだろう。
「あ、ありがとうございます! 助かりました!」
メイド服を身に着けたシリウスの神官の子が俺に頭を下げ、そのまま攻撃魔法の詠唱に移る。
代わりにバランス型にはこれがあるからな……余裕が出来たらどんどん火力担当にもスイッチ可能という柔軟性を持っている。
俺の隣で詠唱を続けるシエスタちゃんも、今のところ回復・攻撃と上手く魔法を回せているようだ。
メイド服と言えば、ヘルシャのリアルメイドである静さんことカームさんも支援型神官だ。
ヘルシャに向けて『クイック』と『エントラスト』をタイミング良く送り込み、ヘルシャは豪快に火魔法を連射。
炎に炙られた大蛸の体は変色しており、いかに彼女の攻撃が激しいかを物語っている。
更にヘルシャに加えてミツヨシさんの攻撃も的確で、二人のギルマスがダメージディーラーとしてそのまま後衛攻撃隊の中核を担っている。
リィズを含めた闇系魔導士達のデバフもようやく別個体扱いとなっている触手を含めて全てに掛け終わり、そこから一気にクラーケンに対するダメージが増え始めた。
戦局は優勢、このまま何事も無ければ数分で戦闘は終わるだろう。
しかしその時、HPが半分を切ったクラーケンが大きく膨らみ始めた。
お約束のHP減少がトリガーとなった特殊行動だろう。
「様子がおかしい、注意しろ! 防御隊、前へ!」
ミツヨシさんの声が響く。
彼の通りの良い声は、戦闘の激しい最中にあっても船の端々まで届いた。
前衛防御隊が盾を、或いは己の身を差し出すように一斉に壁となって構える。
大きく大きく膨らんだクラーケンの動きが一度静止し、次の瞬間――。
海水を多量に含んだ真っ黒な液体が、大型船に向けて勢い良く射出された。
「す、墨だ! 墨ぃぃぃぃ!」
「ぶぅあああああ!?」
「ゆ、ユキモリ殿が一瞬で――!?」
「やべえぞ! この墨、多分魔法属性だ! 重戦士は下がれぇぇぇ!」
「ああああああ!」
ここから見える前衛のHPバーが次々と赤く染まる。
ひでえ……初見の攻撃だから仕方ないとはいえ。
視界のデバフも掛かるようで、顔にまともに墨を浴びたメンバーはフラフラと右往左往し始めた。
続けざまに、瀕死の前衛メンバーに向かって触手が振りかぶられる。
これは不味いぞ!
「避けろぉぉぉ!」
それは誰の叫びだっただろうか?
トビが必死にヘイトを稼ごうと焙烙玉を投げるのが見えたが、触手の進路は変わらず。
もはや同盟の半壊は必至かと思われたのだが――直後、轟音。
「え……!? 何、今の!?」
「セレーネさん!」
呆然と呟くキツネさんの横で、俺は救いの主の名を叫んだ。
耳をつんざくような轟音と共に、鉛の塊がクラーケンに次々と浴びせられる。
試射した限りでは決して真っ直ぐは飛ばない砲弾なのだが、セレーネさんの持ち前のセンスによって五門全てがクラーケンを捉えた。
プレイヤーが出せるものとは桁が一つ違うダメージが表示され、クラーケンが怯んで攻撃が止まる。
甲板上のプレイヤーのほとんどは、その光景に呆気に取られていたが……。
「な、何をぼんやりしていますのっ!? 今の内に立て直しますわよ!」
「――はっ!? イ、イエス、マム!」
前衛で生き残った者達が、ヘルシャの言葉を受けて戦闘不能の者に次々と聖水を使用する。
そして俺を含む後衛支援隊は、回復魔法を一斉に詠唱開始した。
回復力は低いものの、『エリアヒール』と違い必中の『ヒールオール』が同盟全体に何度も降り注ぐ。
海に落ちたメンバーは上がってくるのが大変そうだが……。
縄梯子が何本も降ろされ、濡れネズミとなった数人が息を切らしながら戦線へと復帰。
泳げない場合はHPを支払うことで、甲板上に即座にリポップすることも可能である。
こんな仕様なので、場合によってはHPを支払ってしまった方が戦線復帰が早いかもしれない。
鎧が重いプレイヤーは言うまでもなく沈むので、こちらの手段を取らざるを得ないのだが。
そして同盟を窮地から救った大砲の砲身がWTに入って煙を上げる中、戦闘が再開された。
「はああああっ!」
ユーミルが吠え、『バーストエッジ』で船に取り付いていた触手の一本を切断。
俺のフォローによって再度の『バーストエッジ』でもう一本の触手にも止めを刺し、クラーケンのHPも残りの触手の数も僅かとなる。
戦いの終わりが見え始め、同盟メンバーも俄然勢いを増してきた。
……?
何だろう、船の内部で何かが動く音がするんだけど。
大きな物がレールか何かを通って移動しているような?
しかし、耳に入ったミツヨシさんの激励の声によって俺の意識は戦場へと引き戻される。
「もう少しだ! 手を休めるな!」
「ラストアタックは私がいただきますわ!」
ヘルシャが『レイジングフレイム』の詠唱を終え、劫火が手の中で吹き上がる。
魔力を帯びた『エイシカドレス』が呼応するように赤く輝き、ヘルシャの姿を美しく彩った。
クラーケンのHPは残り僅か。
邪魔をすることもあるまいという空気が周囲に流れ、クラーケンに対する攻撃がピタリと止む。
「お嬢様、綺麗……あのドレス派手で凄いね、本体君。あれって君が作ったヤツだよね?」
「あのドレス、あんな機能があったんですねぇ……」
「知らなかったの!? 作った本人が知らないってどういうこと!?」
ギリギリで仕上げたから、検証なんてしてる時間が無かったんだよなぁ。
キツネさんとそんな話をしている間にも、ヘルシャの手の上で『レイジングフレイム』の炎が徐々に大きくなっていく。
そして遂に、それが放たれる……かと思われたのだが。
――皆が見守る中で轟音が五つ響き、音がした数と同じだけクラーケンに黒い塊が突き刺さる。
「あ」
「あ……」
「あー……」
「お嬢様……おいたわしい……」
そのままHPを散らしたクラーケンは、ずるずると水の中へと沈んでいくのだった。
振り上げた拳ならぬ、振り上げた炎の行き場を失ったヘルシャは顔を真っ赤にして震えている。
砲撃管制室にはこちらの様子が伝わり難いだろうからな……これは仕方ないだろう。
この戦いのMVPは、どうやらセレーネさんで決まりのようだ。