憧れと幼い記憶と現在地
「おおー……」
昨夜のうちに終わった決勝戦のリプレイ。
それを俺はリビングで、家事の合間に繰り返し見ていた。
「また見ているのか?」
未祐が後ろを通りがてら、俺の手元を覗きこむ。
再生機器はスマートフォンなので、一緒に見ようとすると必然、距離が――うん、近いな。
近いというか、頬同士が密着しているな。
相変わらず距離感がバグッている。
押すな押すな。
「いやぁ、あまりにも格好よかったからな。ソラールも、アルベルトさんも」
もう面倒なので気にせず、そのままの体勢でのんびりと感想を述べる。
画面内では、長物の武器を荒々しく振り回す豪傑二人が、何度も交錯する様子を映しだしている。
誇張抜きで映画を見ているような気分だ。
「俺もこんな動きをしてみたかったよ。VR機器がなぁ。現実の身体能力を突破できない仕様なばっかりに……」
コントローラーで操作するタイプのゲームなら、俺だってそれなりに見栄えのいい動きをさせられる。
だが、TBはVRゲームだ。
そして俺の運動神経は十人並み……よりも、少し、ほんの少し下である。
身体能力そのものは平均よりあるのだが。
「まるで秀平みたいな発言だな! 前に亘“現実を蔑ろにせずにすむ、いい塩梅”とか言っていなかったか?」
「……言ったかも」
TBで強くなるには現実で体を鍛えないといけない。
ゲームの中に籠もりきっていると、どれだけゲーム内で活発に動いていても、現実の身体機能が衰えて弱くなる。
昔のゲームにはないこの感覚が、いいことだし面白いと思ったのだ。
今もそれは変わっていない。
いないが……叶うなら、俺もVR内で超人的な動きをしてみたかった。
「しかし未祐、よくそんなの憶えていたな。一言一句違わないんじゃないか?」
「私は自分の興味があるものと、好きなものへの記憶力は高いほうだぞ!」
「……」
それ実質、告白のようなものでは? と思ったが、特に口にはしない。
その発言の割に、ゲームの仕様なんかは記憶してくれないなぁ……というのも含めて。
「それにしても、こんなふうに動きたいか。亘もちゃんと、男の子していたのだな」
「そりゃな。昔からサポーター的な位置に立ちたいと思っていたわけじゃないぞ」
それこそ、普通に騎士とか剣士とか好きだったと思う。
あと武士。侍。刀。
刀は日本男子永遠のロマン。和弓もいいぞ!
「ただ、さ。止まっているボールを蹴ろうとして空ぶったり。とある女の子より腕力が弱かったり足が遅かったりとか。まあ、そいつの身体能力と運動神経、千人だか万人に一人くらいの傑物クラスだったわけだけど」
「……なんか、すまん」
じっと見ながら話していると、さすがに自分のことだとわかったのだろう。
未祐が気まずそうに視線を逸らした。
「遅かれ早かれってやつだ。早めに他の道を模索できたから、よかったと思っているぞ。今では」
「今では!? 恨めしく思っていた時期もあったと!?」
「女の子に負けてプライドが傷つかない男の子って、あんまりいないんじゃないか?」
いいとか悪いとかでなく「人間の男」という生物の本能に刻まれている部分だと思う。
古代、農業が発展するまでは女性と分業して、主に男が狩猟などをしていたわけだから。
だから身体面での負けを受け入れるまでにはちょっと……いや、かなり時間がかかった。
「幼稚園時代にはもう、現実を見せつけられていたからな」
「……重ねてすまん」
幼かったわたるくんの心は、同じく幼稚園児だったみゆちゃんにボキボキに折られたのである。
再生・再建に多少の時間がかかっても仕方のないことだろう。
しかし俺たち、出会ったのがそのころというのもあって、割と幼い時代の記憶を憶えているな。
「あー、亘。そういえばだな? 幼稚園で同じうさぎ組だったあっくんとかトモくんとかって……」
「未祐も憶えていたか。かけっこで未祐に負けて、顔真っ赤にして泣いていたよな。半ギレ大泣き。先生も大慌てで」
「今までなんで泣かれたのかわからなかったが、あれそういうことだったのか……」
小さいころは女の子のほうの成長が早いというが、未祐に関してはそういうレベルじゃなかった。
ぶっちぎり。
ぶっちぎりで同年代の誰よりも足が速かったし、跳ぶし、しかもタフで元気だった。
将来はオリンピック選手で金メダルだな! というのが、大人も含めた当時の周囲の評価だった。
「あと、ほら。小学生低学年のころ、未祐にいじわるしてきたガキ大将の鈴木くん」
「……そういえば、ドッジボールとかサッカーの勝負でボコボコにした記憶が」
鈴木くんに関しては、もうあれ途中から未祐のことを好きだったと思うが。
転校しちゃったんだよなぁ、特になにか起きることもなく。
今となってはどれも、懐かしい記憶たちである。
「他にも佐伯くん、加賀見くん、あとはかっちゃんとか。みんなある意味、俺の同類よ。負け組とも言うが」
「だから私を庇いつつも、どこか生温い対応だったのか……亘は」
「同じ男として、気持ちがわかっちゃったからな」
「むぅ……」
目に余るちょっかいは水際で防いでいたが、それ以外は見守っていることも多かった。
それに、やや引っ込み思案だった理世と違い、未祐は自衛できていた。
今は理世も口撃力が上がり、更に護身術を覚えているので守る必要がなくなりつつあるが。
頼もしいやら、寂しいやら。
「しかし、私にはお前があいつらの同類とは思えんぞ。亘は私に対して、キレたり泣いたり意地悪したりしなかったじゃないか!」
「――ですね。兄さんは幼いころから紳士でしたから」
「!? どっから湧いた、チビっこ!」
どこからかというと、普通に廊下からである。
未祐の角度からは見えていなかったが、俺の位置からは見えていた。
勉強の小休憩をしに、理世は一階に下りてきたようだ。
俺はお茶を淹れ、理世に座るよう促した。
素直に従い座りつつ、理世は笑顔を向けてくる。
「初めて会ったころから、物静かでしたよね。他の子に比べて輝いて素敵に――いえ、大人びて見えたものです」
「そうだ! あのころから変わったやつだと思って……本当のところ、どういう内心だったのだ? その、かけっこで負けた時とかの、私に対する感情とか。まったく動じなくて、なんとも思っていないように見えたのだが?」
動じていないように見えたのなら、当時の俺の思惑通りといったところだろう。
なぜなら……。
「そりゃ、お前あれよ。単なる――」
「単なる?」
「――やせ我慢だな。泣きわめいたり、逆上したりする方が格好悪いと思って。歯ぁ食いしばって耐えていただけ」
「すごいな!? 幼稚園児だぞ!? 人生二週目か!?」
「違うと思う」
それこそ男の子のプライドに賭けて、芽生えた劣等感を意地でも表に出さなかっただけの話。
えらいぞ、小さいころの自分。
そしてそれが、今のふたりとの関係に繋がっているわけだ。
してみるもんだな、やせ我慢。
なお、裏では普通に悔しくて泣いていた模様。お子ちゃま時代だもの。
「あと母さんが、全然能力主義じゃないってのも大きかったな」
「あー、それな!」
「ですね。さすが明乃さんです」
母さんの――父さんもだったが、両親の育児方針は「子どもらしく伸び伸び過ごせ」と、それが第一だった。
俺には塾に強制で行かされたり、無理に習い事をさせられたりした記憶が存在しない。
もちろん望めば通わせてもらえただろうし、なにくれと子どもに対して教育熱心なママさん方を悪く言うつもりはないが。
俺は母さんの子育て方針に救われていたわけである。母は偉大。
「それに俺って……後々、学力面でも理世に負けちゃうわけだしな?」
運動で幼馴染の女子(女児)に負け、勉強で幼馴染から義妹になった女子に負け……男のプライドとやらは次第に萎み、いずこかへ消えていったのだった。
こう振り返ると中学時代、家事に精を出すようになったのは自然な流れだったのかもしれない。
なんでもいいから自分の地位というか価値を確立したかったのだろう。
今になって思えば、の話だが。
「私は謝りませんよ」
「うん。謝らなくていいぞ、もちろん」
理世のやつ、一体どこから俺たちの話を聞いていたのだろう?
そもそも本来であれば、未祐だって俺に謝る必要はない。
誰かに遠慮して自由に能力を発揮できないなんて、息苦しい話だ。
ふたりにはそんな思いをしてほしくない。
俺の言葉に理世は深くうなずいてから――
「私の学力は全て、お金に変えて兄さんにお返ししますから」
「どういうことだ!?」
――謎の宣言というか、決意表明をしてきた。
未祐が困惑を乗せた叫びと共にこちらを見るが、俺にもわからん。
……と言いたいが、なんとなく言葉の意味するところがわかってしまう。
未来の就職後の話だよな?
「ちゃんと自分のために使ってくれ……」
絞り出すような言葉と一緒に、目元を手で覆う。
理世が俺に恩を感じてくれているのは知っている。
俺としても母さんと一緒に、体の弱かった理世を精一杯世話し、育ててきた自負はある。
しかしそれは、決して見返りを期待してのものではない。
理世は元気で健康でいてくれさえすれば、それだけでいいのだ。
「わかりました。私が兄さんのために使いたいので、そうしますね」
だが、理世はにっこりと笑んで手を合わせ、そう言う。
屁理屈だとは思うが、そこまでいい表情をされると閉口してしまう。
こちらと話している間、全く揺れない理世の綺麗な瞳を見返す。
「結論が同じじゃないか……口じゃ勝てる気がしないな、理世には」
「おい!? 二人だけで通じ合うな! 私にもわかるように話せ!」
会話内容もだが、目と目で通じ合っている様子がお気に召さなかったのだろう。
未祐がお冠である。
「口で勝ってもいいのですよ? 兄さん。物理的に塞いでしまえばいいのです。具体的には、キ――」
「今のはわかったっ! 昼間からなにを言っているのだ、お前はぁ!」
その会話を最後に、いつもの取っ組み合いが始まってしまった。
……。
……おっと、いつの間にか決勝のリプレイが終盤だ。
激しい血しぶき、弾ける筋肉、爆ぜる必殺級のスキルたち。
死闘の末に、最後まで舞台に立っていたのは――。
『素晴らしい試合であった……余は満足である! 満足ッ! ――称えよう! 1対1トーナメント、優勝者はぁぁぁ……』
皇帝が溜める、溜める。
舞台上を見れば結果は明白だが、それでも溜めて溜めて……。
それから、天に届かんばかりの叫びをもって宣言した。
『傭兵っ! アルベルトォォォ!!』
グラド皇帝による勝者のコールを聞くのも、これで四度目である。
満身創痍のアルベルトさんがゆっくりと拳を掲げ、場内が大歓声に包まれる。
うーん……喋っていたから、盛り上がる中盤から終盤にかけてのシーンをほとんど見逃してしまった。
もう一回見るとするか。




