卒業式 後編
暦の上で三月頭ということもあり、桜の花はまだない。
薄く残る肌寒さだけがあるが、校門前には人が多く集まっている。
その独特の熱気で、今だけは寒さを忘れられそうだ。
「よっしゃ、健治!」
「おう」
「椎名さん!」
「はいな」
校舎を出た少し先で、まずは副部長二人に声をかける。
のんびりとした返事をした、椎名さんという小柄な女子がもう一人の副部長だ。
続いて、後方の料理部およそ二十名に視線を向ける。
「みんな! 花束は持ったな!? 行くぞぉ!」
「おー」だの「はい」だの「うぃー」だの「うぇー」だの、統一感のない返事が上がる。
今更だが、我が校の料理部は割と大所帯だ。
一学年におよそ十名超。
料理の材料調達による関係から、幽霊部員はなし。
井山部長世代も人数は大差なし。
だから在校生が二人一組で一つの花束を渡すと、大体ちょうどという塩梅になる。
「ところで、先輩たちはどこだ……?」
周囲は人、人、人の人だかりだ。
移動困難、サーチ不能。
そんな頼りない新部長の肩と背中を、二人の副部長がつかんでくる。
「おい、亘?」
「岸上ちゃん?」
「ウソウソ。ちゃんと固まって待っていてもらうように言っておいたから」
副部長はどちらもしっかりした性格なので、つまらない冗談を言う余裕がある。
が、花束を握って緊張している面々もいるので、程々にしつつ。
運動部の胴上げ部隊を避け、写真撮影の邪魔にならないようにしながら、事前に相談していた場所を目指して進む。
校舎と駐輪所の間あたりに……あ、いた。
「亘ちゃん!」
先導して歩いていくと、井山部長がこちらに気がついた。
手を振って「こっちだよ」と出迎えてくれる。
「井山部長! と、料理部のお姉さま方」
花束をガサガサさせながら、声をかけつつ小走りで向かう。
よかった、料理部三年生は全員いるな。
先に帰ってしまった人などはいない模様。
「オマケ扱いすんなぁ!」
「先輩を敬え!」
「なんで私らより料理上手いんだ!」
「男紹介しろぉ!」
言い方が悪かったのだろう、先輩たちにもみくちゃにされた。
他では泣いている女子生徒もちらほらいるというのに、この場にそんな人は誰もいない。
……ただ、どの手も最後は優しくポンと叩いてから離れていった。
まあ、しっかりと髪はぐしゃぐしゃにされたが。
「亘ちゃん。私、もう部長じゃないよ?」
井山先輩のその声を契機に、他の三年生がそっと距離を開ける。
副部長二人も俺の背を軽く押してから、部員たちの指示出しに回った。
視界の端で、在校生が上級生に花束を渡す姿が見え……自分も、井山先輩の前に進み出る。
「失礼しました。では――井山ぁ!」
「なんで急に呼び捨て&叫んだの!?」
「冗談です。いやまん」
「や、そう呼んでくる友だちもいたけど……」
「すみません。しつこかったですね。井山先輩」
「そうそう、それそれ」
三度の呼び変えを経て、ようやく着地する。
お互いにしっくり来た感じだ。
次に学外で会ったときも、この呼び方でいいだろう。
「もうキミが部長よ! どんな料理も好き放題だっ!」
ポーズを決めた井山先輩の手には卒業証書の入った筒があり、胸元には卒業記念の赤いコサージュが付けられている。
その姿を目にして、今更ながらに去ってしまうのだと実感が湧いてきた。
……不意に覚えた寂しさを誤魔化すように、花束を差し出す。
「……あ、花束どうぞ」
「もうっ! クールな反応! どうもありがとう!」
「上手い返しが思いつかなくて。卒業おめでとうございます」
返しが思いつかなかったのは本当だ。
大体、ウチの調理内容決定は合議制じゃないですか……。
部長に独自裁量権があったりはしないです。
気分で「今日はバケツプリン作るぞ!」とかできないです。
「あっ、これは……食べられる花束じゃな?」
「正解です」
「かわいいー」
受け取った花束を見て、井山先輩が華やいだ声を上げる。
食べられる花束というと、菓子か野菜のものがあるが……。
井山先輩に渡したのは、お菓子で作った花束だ。飴細工と砂糖菓子で作った花たち。
とても料理部らしい選択ができたと思う。
他の先輩たちにも――うん、好評みたいだな。よかった。
「寂しくなりますね……」
卒業していく先輩たち。
その周囲で泣きだす二年生、一年生の姿を見ながらつぶやく。
井山先輩は目を丸くすると、首を左右にブンブンと振りだした。
「いやいや、いるから。井山ベーカリーに行けばいつでも……ではないけど、会えるから。私、家業を継ぐからね? バリバリ地元から出ないからね? 今生の別れと違うよ?」
「それでも、寂しいです。もう学校では会えませんから」
「亘ちゃん……」
そう、学校では会えない。
居所も連絡先も知っているけれど、それでも。
「かわいいこと言ってくれちゃって。うりうり」
「苦し……井山先輩。絞まって……ぐえっ」
井山先輩から高速で繰り出されたヘッドロックが決まる。否、極まる。
思い切り脇で首を挟みながらの言葉に、途中から涙声が混ざったのを俺の耳は聞き逃さなかった。
顔を見るなということなのだろう。
しばらくされるがままにした後で、ようやく解放される。
「……先輩の進路は、調理師専門学校でしたっけ?」
「うん。調理師免許を取ったら私もパン屋さんだ!」
「ですか。ご両親がお元気な間、他店で修行とかは……」
「するかもしれないし、しないかもしれない!」
「どっちですか」
お互いに元のペースを取り戻すために、とりとめのない会話を重ねる。
泣いている人のほうは見ない。
少しの刺激でもらい泣きしそうだから。
「まあ、井山ベーカリーって繁盛していますしね。先輩が加わったところで、労働力が過剰ってことにはならないでしょうから」
「そうなのだ。私が言う前に亘ちゃんが全部言ってくれたのだ。助かるのだ」
珍妙な口調に、ついつい半眼を向ける。
そうだった、この人もどちらかというと残念美人の分類だったな……。
「ツッコミませんからね……」
「私はパンになにをツッコめば美味しいのか、いつも考えているよ?」
「そりゃご立派で。卒業記念にシャンパンでもいかが? ノンアルですが」
「パンナコッタがいいな!」
「さいですか」
「シャンパンは二十歳のときにちょうだい! 本物のやつ!」
「欲しがりますねぇ」
すっかりいつものペースで、涙はどこかに引っ込んだ模様。
パン好きによるパントークが止まらない。
すべっていても気にならない、気にしない。
「そういや亘ちゃん。他の先輩にご挨拶はいいの?」
「井山先輩と、後は佐野先輩で最後ですかね。どこにいるかご存知で?」
「そっかそっか。ちょっと待っていて」
手芸部の部長だった佐野先輩はクリスマスの時に、お世話になったりお世話したりした間柄だ。
それがなくとも親交があったので、挨拶しておきたいと思っていた。
……その場で待っていると、程なくして井山先輩が連れてきてくれた。
「よー、亘ちゃん」
「佐野先輩」
相変わらず髪やらアクセやらがギャルギャルしくばっちり決まっている。
……というか、いつもより派手なような。
卒業式ということで、先生も見逃したんだろうなぁという恰好。
「そこのパン屋に呼ばれてきたよ」
「あはは。まだパン屋じゃないよぉ。パン屋の娘だよぉ」
「「……」」
皮肉が通じねぇ。
パン屋に向かって一直線なのは、まぶしいような。
パンバカと揶揄したくもなるような、不思議な感情である。
あれだけ家業を継ぐ気満々なのは、親だったら嬉しいと思うだろうけど。
……ああ、そうそう。親といえば。
「……佐野先輩。その後、お父さんとの仲はどうです?」
定型文の卒業おめでとうございますと、それに対するお礼の言葉を交わしあってから、佐野先輩に質問を投げかける。
弟たちのためと言いつつ、本当は微妙な仲のお父さんにクリスマスケーキをプレゼントしたかった佐野先輩。
その後の様子は気になっていた。
「あー……うん、まあ、ボチボチ?」
曖昧な返事をされたが、嬉しそうな表情が隠し切れていない。
今度は井山先輩と顔を見合わせ、笑う。
「それはなによりです」
「そうだねぇ。なによりだねぇ」
「な、なんなの? 二人して」
卒業後も人生は続いて行く。
誰よりも長い付き合いになる家族とは、やはり仲がいいに越したことはないと思う。
そっぽを向いたまま「ありがとう」と礼を言う佐野先輩の姿に、益々笑みを深くする。
その後「もう行くね」と背を向ける佐野先輩を、俺と井山先輩はほっこりした気分で見送った。