気怠い目覚め
「……んぉ?」
いつの間にか眠っていたらしい。
目を開けると、見える天井の位置がいつもより高い。
ついでに背中が痛い。
どうも俺は床に寝ているようだ。
ぼやけた視界と頭のまま、三十秒ほどぼーっと天井を見つめる。
「あ」
と、そこで気がつく。
自分以外の体温を腹部の上に感じる。
――瞬間的に意識が浮上した。
冷や汗が噴き出すような心地になりつつ、視線をそちらへ。
「うへへ……いい匂い……」
「未祐……」
乗っていたのは、未祐……の足だった。
セーフ。セーフだ。
密着していた箇所によっては危ないところだった。
幸せそうな顔で寝やがって。腹が出ているぞ。
足を片手でどかし、起き上がろうとすると今度は腕に違和感。
「んぅ……イチオシは、首筋の匂いです……」
「理世?」
腕にしがみつくように寝ていたのは、やや寝苦しそうな顔の理世。
なにやら不穏当な寝言が聞こえた気がしたが、気のせいということにした。
辛うじてその小さな体にブランケットがかかっているのが見えて、ほっとする。
この中で最も体調を崩しやすいのは理世だ。
とはいえ……。
「ひでえ有様」
起き上がり、カーテンの隙間から朝陽が差し込む室内を見回す。
あの後、なぜだかクッションの奪い合いになった後。
俺たちはそのまま力尽きて床で寝てしまったらしい。
記憶が少し曖昧だ。
その肝心のクッションはというと、部屋の隅に吹っ飛んでいるのを発見した。
「ああ。かわいそうな俺のクッション……」
拾い上げ、元の定位置――ベッドの上へ。
後でカバーを洗って、中身には消臭剤をかけておこう。
……結果的に、三人揃ってひどく質の悪い睡眠をとってしまった。
誰でもいいからベッドを使えよ、せめて。
高校生にもなって、全員が床で寝ていたという醜態だ。
「章文さんに報告……したほうがいいよなぁ」
未祐の父、章文さんは今日も出張中だったはず。
別になにかあったわけではないが、年頃の娘さんを預かっている立場である。
一夜を異性と同じ部屋で明かしたという点では、父親として心穏やかではいられないだろう。
実態がどんなにしょうもない理由からだとしても、である。
過去に些細なことまで報告していたからこそ、得られた現在の信頼だという自覚もある。
黙っていればバレない、わからないでは通じないし、個人的にもしたくない。
……今日中にメールなりメッセージなりを入れておくとして。
「……」
改めて各自の部屋に運んで休ませてやりたいところだが、時間がそれを許さない。
今日は休日ではなく平日で、もう登校時間が迫ってきている。
俺はカーテンを開けてふたりを起こした。
「お? なんだか朝から豪勢というか、手がかかっているな?」
洗った顔をタオルで拭きながら、未祐がリビングに入ってくる。
ちゃんと化粧水使えよと一言挟んでから、食事メニューに関して返事をする。
今朝はえのきと長ネギの生姜スープ、ほうれん草のおひたし、かぼちゃと根菜の煮物、焼き鮭に玄米ご飯と和食寄り。
「寝起きがアレだったからな。風邪をひかないように、体が温まるメニューを中心に組んだぞ」
「それでいて重たくないスープ、煮込み料理を中心に組み合わせか。いいな!」
「そうだろ?」
「前にも言ったように、私は朝からステーキでもいいがな! 揚げ物とかカレーでも!」
「俺もいけるけど、理世の胃が破壊されるからな……これも前に言った気がするが」
男子の同級生にするような会話を未祐としていると……。
こちらは一般的な女子高生らしい感性も持つ、理世が体を引きずるように入室してくる。
「おはようございます……」
「だ、大丈夫か? 理世……」
見るからに体調が悪そうだった。
朝は低血圧故に大体いつもこうだが、今日は輪をかけて顔が白い気がする。
「……ええ。昨夜は少々、はしゃぎすぎてしまったようです」
「休むか?」
「いえ……」
理世は俺の問いかけに対し首を横に振り、食卓に目をやる。
それらから立ち上る湯気に目を細めると、柔らかな笑みを浮かべた。
「これだけしっかりしたメニューなら、一日頑張れそうです。食欲はありますし」
「そうか。無理だけはするなよ?」
「はい。いつもありがとうございます、兄さん」
理世は「無理をするな」と言っても無理をしてしまうタイプなので、場合によっては強引に休ませる必要がある。
あるのだが……これは判断に迷うところだな。
揃ったところで、早く座れと未祐が急かす。
「もういいか? 全員座ったな? ……では、いただきます!」
「「いただきます」」
青白いとまでは言えない顔色な上に、言葉通りにしっかり食事を摂っている。
ただなぁ、なんかなぁ。
言葉にできない勘の部分が、このまま放っておいて平気か? と警告してくる。
あんな寝方でも変わらず元気な未祐を横目で見ると、こちらは間違いなく平気だと断言できるのだが。
血の気はいいし、もりもりご飯を食べている。
「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさん」
「ごちそうさまでした」
結局、休ませる口実も休ませたほうがいい確信も得られないまま朝食が終わる。
理由なく休めと言っても、勤勉な理世は休まないだろうしな……。
心配だ。とても心配だ。
「はぁ」
「亘? どうした? 悩み事か?」
未祐の声に、洗い物の手が止まっていたことに気づく。
今は並んで台所に立っており、俺が洗いで未祐がすすぎという分担作業中だ。
「まさか恋煩いか!?」
「なんでだよ。悩んでいたのは確かだけど」
「短いながらも重々しーい溜め息だったからな!」
ちなみに理世は身支度中である。
理世も女性の身支度としては短いほうだそうだが、未祐は更に爆速だ。
手伝えずに申し訳なさそうな理世を自分の用意に向かわせ、俺たちは朝食の後片付け――というのが朝の定番の流れ。
恋は関係ないと聞き、笑みを浮かべた未祐が会話を続ける。
「自分で解決できない悩みは人に丸投げするといいぞ! 私はそうしている!」
「ほう。具体的には?」
「主に亘に丸投げしている! 時々ゆかりん! 完璧な布陣!」
「うん、お前が毎日楽しそうな理由の一端が見えた気がするわ」
その考えはお気楽にすぎるが、参考にするべき点も多い気がする。
意趣返しとして、未祐に丸投げしてやろうかな……と一瞬思うが、考えているのは理世のことだ。
未祐に任せてもいい結果にならないのは目に見えている。
なら誰に頼むかとなると、ここは……そうだなぁ。
「やっぱり、楓ちゃんか。理世の友だちだし」
「なにっ!? 楓!? 年下か!? 年下がいいのか!? 同級生では駄目なのか!?」
「なんでだよ。どっからそう……って、恋煩いじゃないって言ったよな?」
「そうだったか?」
未祐とのどこかズレた会話を一旦終わらせ、続けて食器洗いも終わらせる。
スマホは二階の自室だ。ついでに着替えも済ませよう。
部屋に入ってメールを送ると、それから一分もかからない程度の高速レスポンスで返信があった。
送った内容は『もしかしたら理世が体調を崩すかもしれないから、気にかけてくれるかな?』といった主旨のものだったのだが。
『理世ちゃんが!? 見ます見ます、もちろん超気をつけて見ますけど! よければ家まで迎えに行きましょうか!? 心配で今にも飛び出しそうなんですけどどうしたらいいですか!? まだパジャマなのに! 最近は理世ちゃん、貧血で倒れたりとかも減っていたので、すっかり油断していました! 私、今頭の横っ面をハンマーで殴られた気分です! ハンマー気分です! ハンマー楓です! なんだかリングネームみたいですね、ハンマー楓! セコンドにはおにーさんがついてください! 応援団長は理世ちゃんがいいです! 無表情でポンポンを振って応援してくれる理世ちゃんマジ天使! 天使降臨! エンジェェェルッ! 現場からは以上です!』
という、数十秒で書いたとは思えない文量と、朝の寝起きとは思えない内容が返ってきて驚いた。
相変わらず物凄い子だ……と、圧倒されている場合ではない。
自宅までの迎えは不要だけど、よければ通学路の途中で合流してやってほしい。
それから、無理そうなら俺が学校まで迎えにいくので、早退させてほしいとお願いしてメールを終えた。
楓ちゃんは理世とクラスも一緒なので、これで心配なし……とまではいかないが、多少の不安は解消された。
未祐のアドバイスに従って正解だったように思う。
「亘ー! 時間ないぞー!」
「兄さん。出る準備ができました」
「――! ああ、今行く!」
階下とドア近くから声がしたので、応えて鞄を手にする。
色々と手回しはしたが、全て杞憂で何事もなく帰ってくるのが一番である。
戸締りを確認。玄関扉を施錠してから、三人揃って家を出た。