虫歯に気をつけよう
「わっはっはっは! もっとお菓子を持ってこーい!」
貴賓室? のような場所に到着して早々、聞こえてきた声に……。
見るまでもなく、大体の光景を察することができた。
それでも一応確認すると、そこにあったのは接待を受ける魔王ちゃんの姿だ。
セクシーな魔族のお姉さんたちに「かわいいー」などと言われつつお菓子を与えられている。
「……魔王様」
「モグモグ……わっはっはっは!」
転移魔法の光は決して小さなものではなかったが、魔王ちゃんは菓子に夢中で気がつかない。
近くにいた何名かの魔族は気づき、鬼の形相で迫るサマエルを見て素早く道を譲る。
サマエルは魔王ちゃんの隣へ到着すると、もう一度声をかけた。
「魔王様」
「はっは……は?」
サマエルの顔は驚き、怒り、無表情の順に変わっている。
もちろん無表情の今が最も怖い。
その顔をまともに見た魔王ちゃんが凍りつく。
「あっあっ」
「魔王様……」
「な、なんでサマエルがここに!? 今日は執務室に籠もるって言ったじゃないか!」
「そんなことよりも、魔王様。私になにか言うことがあるのでは?」
「うぅ……」
これはもう、逃げることも誤魔化すこともできないタイミングである。
両手に持った菓子を力なく下ろし、魔王ちゃんは項垂れた。
「魔王様。お菓子は一日?」
「い、五つまで……」
「割と甘めの制限」
「お菓子だけに、でござるか?」
「は?」
ニッコニコでつまらないことを言うトビに苛立ちつつ……。
俺たちは状況の推移を見守る。
「そこには明らかに六つを超える包みと――」
「あっ!」
「――六種以上の食べカスが口元に付着していますね? 魔王様」
「こ、これは違う! 違うのだ!」
あ、これは……威厳もなにもあったものではないな。
人払いならぬ魔族払いをしたほうがいいだろう、きっと。
そんなわけで俺たちは、まず接待していたお姉さんたちを。
続けて、お偉いさんっぽいおじさん魔族を部屋から退出させる。
俺たちがサマエルと一緒に来たこともあってか、特に抵抗せずに従ってくれた。
これでよし。
「ふ、ぐぅ……」
そんなことをしているうちにも、サマエルの詰問は続き……。
いつの間にか魔王ちゃんが涙目になっていた。
それ見てキレたトビがサマエルに突撃――しようとするのを止める俺たち。
会話には参加できていないが、忙しい。
「おい、バ――冥王様! どこにいらっしゃる!」
今度はサマエル、魔王ちゃんに同行していたはずの冥王様の姿を探す。
この剣幕と口を滑らせそうになっているところを見るに、魔族払いは正解だったように思える。
「なんじゃ、来たのかサー坊。来て早々、騒がしいのぅ」
「!?」
冥王様(大人バージョン)が魔王ちゃんに渡すためだろう、お菓子の載った盆を手に登場。
……したのだが、その格好は接待していた女性魔族たちと似たような服装だった。
誤解を恐れずに表現するなら、キャバクラの女性がしていそうな露出多めの姿である。
「なんでそんな格好を……」
「孫を甘やかしとっただけじゃが?」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
サマエルが超特大の溜め息を放つ。
ついでに頭痛を堪えるように額と目元を手で覆う。
そしてもう一人、魔王ちゃんに付き従ってこの場にいる責任者の名を呼んだ。
「……アウラ」
「も、申し訳ございません! わたくしごときの立場では、お二人に進言するなど恐れ多く……!」
「それでは困るのだ……」
アウラ元隊長、改め侍従長の服装は普通の軍服だった。
さすがに無理な登用をした自覚もあってか、サマエルは彼女に対しては強く当たらなかった。
弱めの苦言を残し、冥王様に向き直る。
「冥王様。魔王様を監督していただきたいと、お願いしたはずですが……」
「したつもりじゃが?」
「これで!?」
酒池肉林、とまでは言わないがプチ宴状態で有頂天だったものなぁ……。
これでちゃんとやっていますと言われてもサマエルは困るだろう。
「……さすがにかわいそう」
「同感……」
「これは休めないですねー……ヒサンー」
「お、おお?」
俺たちからサマエルに集まる同情の声に、冥王様が気まずそうな顔になる。
冥王様は孫バカだが、良識・常識のない魔族ではない。
場の状況を再確認、色々と省みてから改めて口を開く。
「……悪かった。じゃが、この子は立派に努めを果たしておったよ? お菓子の件以外はな」
「うっ!」
冥王様の上げてからの落としに、一瞬明るい顔になった魔王ちゃんが声を詰まらせる。
サマエルのほうをチラチラ窺い、追加の雷が落ちるのではとハラハラしている。
「些か間が悪かっただけじゃ。許してやってくれ」
「……そうですか」
サマエルの怒りが収まりそうな気配に、今度こそ魔王ちゃんの表情が明るくなる。
その様子を見たトビが、俺の横で声もなく身悶えしている。
うん、気持ち悪い。腰をくねらせるな、腰を。
「……魔王様」
「う、うむぅ……」
「なにも、私は仕事を終えた後のご褒美を取り上げる気はないのです。むしろ、それがあることでやる気が上がる。効率が上がるということもあるでしょう」
「で、では!」
「ただし」
「!」
同じことを繰り返さないよう、サマエルが緩急を利かせつつ言い聞かせる。
そういえば、以前のお菓子コンテストで魔王ちゃんはお菓子を無制限に食べていたが……あれの後でも、また違ったお説教を受けただろうことは想像に難くない。
「お菓子の食べすぎは、虫歯を招きます」
「む、虫歯!」
「そして肥えます」
「ど、どこがだ!? もしかして、む――」
「腹から。次に顎回り、頬、二の腕に腿」
「――!? それは嫌だ!」
「地母神どもやオーガのような体型をお望みであれば、お止めしませんが」
「うわぁぁぁぁん!」
地母神って、魔族的には嘲りの対象なのか……確かにふくよかな体型ではあるが。
そして子どもが歯医者を恐れるのは、どの世界でも共通のことらしい。
「……でしたら、ご自身で食欲を制御できるまでは、このサマエルの言うことを聞いていただきます。おわかりになりましたね?」
「う、うん。わかった……」
噛んで含めるようなサマエルの言い方に、俺たちが抱いた感想は同じだった。
「サマエルママ」
「サマエルママンですね」
「ママーン」
「おかん」
「ハインドと同じ属性だな!」
「おい」
だから惹かれあうのだと言わんばかりのユーミルの顔が腹立たしい。
誰のせいでこうなったと思うのか。
確実にお前もその原因を作った一人だからな? 自覚あるのか?
「ところで魔王様。そこに転がっているボロくずはなんですか?」
サマエルは俺たちの声を聞き流し、部屋の中で異様な存在感を放っていた物体を指差す。
焦げて丸まっているそれは、よく見ると魔族の男性だったようで……。
「ここの市長だった男だ! 私を小さい、幼いと侮ったのでな! 燃やして転がしておいたぞ!」
「それは素晴らしい。魔王として大変いいことをなさいましたね」
「その通り。さすがワシの孫!」
「えっへん!」
要は魔王に歯向かったので処したということらしい。
そんな魔王ちゃんをサマエルと冥王様は褒め、褒められた魔王ちゃんは嬉しそうに胸を張る。
なんだろう、この残酷な光景の横で交わされる穏やかな会話は。
燃やされた魔族の男性は、背中が微かに上下している辺り息はありそうだが。
「……こういうところは魔族クオリティーなんだな」
「先程までの話と温度差が激しくて、頭が混乱しますね……」
俺はリィズと共に感覚の違いに震える。
と、真横で違う意味で震えていた男が遂に限界を迎えた。
「ああ、拙者は……拙者は! 幸せすぎてもう……!」
「お、おい、ハインド。市長もだが、このアホも昇天しかけているぞ?」
ユーミルが震えるトビから大きく距離を取り、俺を盾にする。
こいつの場合は、久しぶりに見た生の魔王ちゃんの可愛さに耐えられず震えているようだった。
震えているというか、もう痙攣のレベルだ。怖い。関わりたくない。
「放っておこうぜ。市長は助けておこう……なにかあったら後味が悪いし」
「う、うむ! そうしよう!」
そんなわけで、俺たちは焦げて丸まっていた市長を助けることにした。
魔王ちゃんにしては手加減ができていたのか、市長は無事だった。
ただ、介抱しようとした際に――
「ひぃっ!」
――ひどく怯えた様子を見せていた。
幼い魔王が放った、強大な力の一端。
それに触れたことで、心身に恐怖はしっかりと刻まれたようで……。
彼が今後も市長として魔族たちの上に立てるかどうかは、少々疑問が残るところだ。