第十六羽【死兵跋扈⑥】
第十六羽【死兵跋扈⑥】
いつからかは分からんが、耳の後ろがピリピリしている。
ここ数日、……大体一週間ほどだろうか。時折痺れるような感覚がしている。
痛みはないし、一瞬で止むからあまり気に掛けてはいなかったんだが、良からぬ予感でないことを祈る。
そしてまたピリっと、右耳の後ろに痺れるような感覚が走った。
そうかと思うと、感覚は一瞬だけで名残すらなく消え去ってしまう。
「……あら、ムカデね。ツバサくん、そろそろ起きてるんでしょう? そろそろ起きないとムカデのキスマークをつけられちゃうわよ?」
「……そういうハーレムエンドは、ゴメンだな」
っていうか、今のはムカデの感触だったのかよ! 良からぬ予感とか言ってる場合じゃねーぞオイ!!
首元をパパッと払ってから俺はそそくさと身体を起こした。落ち着き払って起きようかと思ったけど、口調以外はあまり平静にはなれなかったな。まぁ、そんな状況でもないか。
コンクリートというよりは礫岩系の冷たい床から視線を上げると、ハイハイ来ました。この世界では二回目のご対面、かの有名な鉄格子ちゃんです。見ていてあまり気持ちの良いものではないので、あれを見上げてムラムラするというジョリーンには一生敵わない気がする。
おかしな体勢でぶっ倒れてたらしく、身体の節々が悲鳴を上げているがどうにか生きているらしい。僥倖っーー! 床もキンキンに冷えてやがるっ……!!
なんて賭博黙示録的なネタは良いとして、生きていたのは僥倖だった。落ちた場所が良かったんだろうか。見たところ人が住んでいる場所だろうし、屋根かなんかをクッションにして一命を取り留めたらしい。
振り返れば、ベッドに腰掛けたリチアがいた。寝ているのは夕凪か。肩が動いているので無事のようだ。
俺は、床に手をついてどうにか立ち上がることができた。リチアは俺を見上げながら尋ねてくる。
「おはよう。良い夢見れた?」
「……ああ、金髪美少女とイチャイチャする夢のような夢だった。ここは夢の続きかな?」
「……あらあら、それじゃあ出張料金をいただこうかしら? もし一晩晩酌に付き合ってくれれば、いつでも夢の続きをしてあげるけど?」
「……勘弁してくれ。それは一体いくらの酒なんだ?」
「勿論、それは夢のような金額よ。人が一生働いても稼げないような、ね」
セクハラが通用しないどころか、厄介な約束までさせられるところだった。どうやら向こうのが一枚も二枚も上手らしい。
まぁ、こんなやりとりができるくらいには落ち着いた状況ということなんだろう。
「さて。それじゃあ、君も気になってるだろう現状の話だけど。この前、聞いたフェレット? ……みたいな動物の話は覚えてる? そのやりとりの際に魔族の隠れ里への紹介状をもらったみたいだけど、それがここみたいね。先に辿り着いた菊花ちゃんたちがもう手紙を届けてくれてるらしくて、話はほとんど済んでいるみたいだから、後は君との話がつけば無事釈放されるみたいよ?」
「それでもわざわざ牢に入れるってことは、まだ完全に安全だって保証が取れたわけでもないってことか……」
「そりゃあまぁ、ねぇ。一言も話したことのない相手を全面的に信頼するのは難しいんじゃない? ましてや隠れ里である以上、危険は可能な限り排除したいだろうし……」
つまりこの後、俺はその隠れ里のお館様相手に信頼を勝ち取らなければならないわけか。そうしないと俺自身と仲間の命が危険に晒されてしまう。
「でも、相手は妙齢の女の子よ? 得意のハーレムルートに引きずり込んじゃえば一発じゃない?」
「え? そんなのあるの?」
「ほら、菊花ちゃんもナズナちゃんもベタ惚れじゃない? アリシアさんだってそうなんでしょ? うちの夕凪ちゃんもゾッコンみたいだし、もういっそそういう異能があるってことだと思ってたけど……」
「う、嘘だっ!! ほら、それが真実ならお前が俺に惚れていないのはおかしいじゃないか!? ダウトだぜリチアァ!」
俺が勝ち誇った顔でリチアに突きつけるが、リチアはというと何食わぬ顔で言う。
「それはあたしが君に惚れてないっていう意味? ……ねぇ、本当にそう思う……?」
ともすればリチアは妖艶な笑みを浮かべながら、俺へと手を伸ばす。
ま、まさか……嘘だろ。冗談じゃなく、リチアが……俺を……?
リチアはその綺麗な顔を緊張で赤く染めていた。嘘じゃない……? 本当に俺のことを、好きに……?
俺は恐る恐る、そのしなやかで美しい手を取ろうと、腕を伸ばし――トスン。
音が行動を妨げた。
「……取り込み中でございましたか……?」
そこには首を傾げたまま正座で固まる、狐耳の美少女がいた。「……残念」と後ろから声が聞こえた。もっともだと大いに頷きたいところだ。
――
それから事情を聞かされたよ。
ここは魔族たちが住む隠れ里で、更に特殊な一族が住んでいるため、情報が秘匿されているらしい。
……隠れ里が存在するっていう話がある程度出回っている以上、完全な隠蔽にはなっていなかったようだが、これだけ辺鄙なところにあるんだから見つかることはそうそうあるまい。
そして、その特殊な一族――もっと突っ込んで言うならその特殊な能力を宿した魔族――こそがこの屋敷のお館様である。
ルリ=マツリカ。狐耳を生やした少女こそが、その異能を宿した魔族なのである。
お館様と呼ばれる少女、ルリにつれられてやってきたのは日本家屋には珍しい広い部屋だった。周囲に展開される羽根飾りや数珠繋ぎの飾り帯などが雅な雰囲気を作り出している。
淡い光を放つ行灯に挟まれた座布団に、ルリは楚々と座り込んだ。もちろん、「どうぞお掛けください」とこちらにも座布団を提示した上でだ。おもてなしってやつかね。
こうして見ると、ルリは白髪の長い髪を腰元まで伸ばした見目麗しいお嬢様だった。口調が馬鹿丁寧すぎるのが玉に瑕だが、ハーレムルートか。……悪くないな。
「はーれむ……? 異国の言葉でございますか。……意味を伺っても?」
思わずビクンと反応してしまうが、リチアを睨んでも素知らぬ顔だ。おのれ……。ちなみに反対側にいた夕凪の表情は窺えなかった。
「あ、ああ……。俺、こちらとしてもそちらと友好的な関係を築きたいと考えているところだ」
俺が冷や汗を掻きながらそう答えると、ルリはパアッと表情を明るくする。
「それは光栄でございますわ! わたくしもこれからあなた様にどのような仕打ちをされるか考えただけで動悸が治まらないのでございますわっ!」
「は? 仕打ち?」
何言ってんだ、この人? 友好的って言ったじゃんよ。それからなんでそんな嬉しそうなの? 仕打ちってそんな喜ばしいことみたいな意味だったっけ?
「わたくし、恥ずかしながら箱入り娘でございましたわ。大事にされて育ててもらいましたが、外の世界にはこんな刺激的なことがあるのでございますね! わたくしのお庭が壊されてしまったとき、わたくし、とても悲しくて寂しい想いを致しましたが、……同時に胸の高ぶりを抑えられませんでしたわ。こんな……、このような仕打ちで、こんなにも胸がドキドキするだなんて、想像も致しませんでしたわっ!」
……なんだかこの人、出足からテンションがおかしい。なんていうか目つきがヤバイ。もうこちら側の人間ではないかのような危険な領域に片足どころか肩までドップリ浸かっちゃってる気がする。
「わたくし、今まで大切にされている……。そう思っていたのでございますが、それはただの勘違いでございました! 本当の愛とは、傷つけることだったのでございますね! わたくし、あなたの愛に感激致しましたっ!」
俺がヘルプを求めて背後に付き従う黙り込んだままのクノイチに目線を向けると、クノイチは視線を逸らしながら気まずそうに告げる。
「お館様は大変ポジティブな思考回路をお持ちな方です。あなた方の仕打ちを異国の愛情表現とでも捉えてしまったのでしょう。そして、このように一度思い込むと考えを改めることはありませんので……」
それがこの状況になった、ということか。……なんということだ。
「ああ、失礼致しました。わたくしとしたことが……、仕打ちだなどと悪い言葉を使ってしまいました。これは謂わば愛の鞭。いえ、愛そのもの。わたくし、殿方からこれほどまでに激しいアプローチをされたことはございませんでしたわ! 手紙のこともございましたが、改めて申し上げます!」
ルリは紹介状を抱えている。そういえば、菊花もここに来ているって話だったしな。手紙もその時に受け取ったのか。……しかし、手助けして欲しい的な内容くらいしか書いてなかったような……。
「……早速、その……、旦那様とお呼びさせてくださいませ」
ルリはポッと顔を赤らめて深々とお辞儀をした。世界は瞬間、凍り付いた。
――
一方その頃、菊花はクシャンと可愛くくしゃみをしていた。
周りを見渡すも、ナズナは眠ったままだし、アリシアは目を瞑って休憩中だ。牢の中は極めて静かだった。
「……なんだか少しだけ嫌な気配を感じます。だいじょうぶでしょうか、ツバサ様……」
ドMお嬢様ルリ登場回。パーティは波乱の予感です……。




