第二羽⑥
捕まえはしたものの、この怪しい男は往生際もかなり悪かった。
「わ、私がやったという証拠でもあるのかね!? 私がウサギの餌を食い尽くしただって……? この私が、野に生えた草を調理もせずに食べるような野蛮人に見えるのかね!?」
「そういう台詞は右手に掴んだままの草を放してから言うべきじゃないか?」
「なっ……!? お、おのれ……!」
男は悔しそうに顔を歪める。というか隠し通せると未だに思っている辺りが凄いよな。
すでに状況は決定的だし、一度逃亡まで企てているんだ。勘違いで済む状況はとうに越えている。
「し、仕方なかろうっ……! 噂には聞いていたが、まさかここまで美味だとは思わなかったんだ! 悪いのはグラスリーティスであって、私ではないっ!」
「この期に及んで馬鹿げたことを……」
俺は溜息交じりに頭を振ったが、一人、それだけでは済まないヤツがいた。
今更言うまでもなく、それは菊花だった。
「言い残す言葉はそれだけで構いませんか……?」
「ヒィっ!!」
男が再び竦み上がっている。つーか、普通に怖えーよ。
美少女が表情消すだけで、ここまで恐ろしい顔つきになるんだな……。やっぱり菊花は怒らせないほうが良さそうだ。
「それでは……、お別れです……」
なんかほっとくと、菊花さんってば、ガチで殺しちゃいそうだから、そろそろ止めておこうか。
巻き添えになるのも怖いけど、ほっとくのも見過ごすのも精神衛生上好ましくない。
ガクガクと身体を震わせ、失禁しそうになってる男の前に立ち塞がり、菊花を制止させた。
「……ツバサ様」
「……菊花。もう充分だろ……?」
すると菊花は「ツバサ様はお優しいですね……」と、か細い声で呟きながら短剣を鞘に収めた。
優しい、……だろうか。
俺は人が死ぬのを目の前で見たくなかっただけだ。この男を助けてやりたいとか、そんな思惑があるわけでもない。
だが、菊花の目にはそう映ったのだろう。菊花は殺気を消して構えを解いた。
……なんか、ドッと疲れたな。それもこれもこの馬鹿な男の所為だ。本当にどうしてくれよう。
「初めは違ったんだ……。私は、父を救いたかった。それだけだったんだ……」
男は目に涙を浮かべていた。
男は語る――。
――かつてこの男の父は優秀な鍛冶職人だったらしい。
しかし高齢を理由に、鍛冶場をこの男の弟弟子に譲り引退。その後、あの村で武具屋の店主として静かに余生を送っていたらしい。
それでも男は構わなかったという。老いさらばえていくこともまた、一つの人生だ。父らしく生きて欲しいと強く願っていたのだという。
そんな生活に変化が訪れたのは、1年ほど前。
父は身体が自由に動かせなくなったらしい。
身体中の筋肉が堅くなり、皮膚も硬質化を始めた。
父は酷く鈍重な動作で生活することを余儀なくされた。
その瞬間、男の中で父に対する憧憬の念が崩れた。
牛車の歩みで店番をする父。品出しも何をするのも遅い。亀のように鈍い。
こんなのは父じゃない。憧れた男ではない。
……やがて男は、父に舞い降りた謎の病を根絶することを誓った。
憧れた、格好良い父に戻してみせる。男はそう、誓ったのだ。
とはいえ、聞いたこともない謎の病だ。
治療法など簡単には見つからない。
ならばせめて、どんな病にでも効く万能の薬さえ手に入れば……。
男は一縷の望みに賭けて、万能薬を探し求めた。
そうして訪れた王都の図書館。ここまでの旅費もだいぶ高くついてしまった。そろそろ帰らねば金銭的に保たないだろう。そう考えていたときだった。
未知の万能薬。そんな本を見つけたのだ。
書いてあったのは伝説級の不可能品ばかり。諦めるしかないかと思い始めた刹那、それを見つけた。
【ウルフ種の変異型。その牙には万能の薬となる成分が含まれている】
ウルフ種は村の近くにもいる。
だが、数が少ない。獲物たちはみな、森に隠れて過ごしているため、ウルフ種はなかなか食事にありつけない。
また、商隊や傭兵業の普及により、旅人の犠牲も減り、ウルフ種は年々数が減りつつあった。
それは村にとって好ましい出来事だったはずなのだが、そうも言ってられなくなった。
ウルフ種を絶滅させてはならない。むしろ繁殖させなければ。
そのためには餌がいる。まるまるとしたウサギのような……。
「あとは分かるだろう……? ウサギの主食を横取りして、移動を余儀なくさせ、外に出た先にいるウルフにウサギを食べさせてやってたんだ。そうしてウルフが増えれば変異種はいつか必ず生まれる。その牙があれば父を救えるんだ。……それが私の望みだったのだ」
男はそこまで語ると脱力したように空を仰いだ。
諦観に満ちた顔だが、何故だか晴れやかなようにも見える。
罪の告白が彼の負担を軽減させたのだろうか。……なんとも勝手な話に思える。
だが、予想外に良い話でもあったな。迂闊にこの男を責められなくなってしまった。まぁ、やってることは最悪だし、なんなら這い蹲って草を食ってただけなんだから、本当はちっとも格好良くなんかないんだけど……。
けど……。どうするかな。
否定するのは簡単だ。やってることはウサギを殺してるのと同じなんだから、ウサギを愛する身としては許せないところだ。
とはいえ、その根っこには人助けという行為が含まれている。それを頭ごなしには否定したくないものだ。
う~ん……。
と俺が頭を捻っていると。
「あなたのやっていることは最低です。さぁ、立ってください」
菊花は毅然として男を立ち上がらせると、そのままその手を引っ張った。
「ど、何処へ行くのだ……!?」
「決まっているでしょう。あなたのお父さんに会いに行きます」
「え、ええぇ……?」
男は、甥っ子に無茶を言われたときの○スオさんみたいに声を裏返しながら、為す術もなく引っ張られる。
「あなたは、人を救うという行為を甘く考えすぎです。……そんな簡単に人は救えませんよ」
その声は、どこか悲しげで儚げだった。
まるで、何か過去を思わせる口振りだった。
それは俺の知らない、〈ツバサ様〉との記憶なのだろうか。
それを理解できない俺は、なんだか酷く悔しかった。
そういえば菊花、ひとつ訊きたいんだけど。
「はい、なんでしょうかツバサ様」
ウルフの変異種を生み出すとか、そんな話があったけど、実際そんな簡単に変異なんてするものなのか?
「う~ん、どうなんでしょう? もちろん変異しやすい種族というのもあるでしょうし、世界観的に変異しやすい世界というのもあります。そう考えればありえない話ではないかと……」
まぁもちろんたまたまっていう可能性だってあるんだろうけどさ。
たったひとりの人間の行動で、そこまでのことが起こるなんて、さすがにちょっと怖い話だよな。
「ええ、そうですね。私も先走って禁を犯すところでした。ツバサ様の優しさに救われましたね」
ああ、そうだな。……なんならその先走りには今後も出くわすことになるような気もするけどな。
「なにか言いましたか(ニッコリ)」
いえ、何も申してはおりません(ビクビク)。