第十四羽【絶対王者⑤】
油断なくそれぞれの武器を構える菊花とアリシア。
それに対して、シェリーとビリーはすぐに身構えるということはなかった。
「……少し時間を掛けすぎたかな」
「あーあ。ったく、メンドクサイわねー」
シェリーはそう言いながら、鬱陶しそうに赤髪をかき上げた。
「タイトルは?」
「野薔薇咲く城壁で」
「はぁ、やっぱメンドーね」
相変わらず意味を推測しづらい作戦名だが、油断ならない相手だということは重々承知している。
菊花もアリシアも、武器を持つ手に自然と力がこもる。
「ひとつ良いかな?」
ビリーはそう前置いてから、こう続けた。
「僕たちの役割は奴隷の解放だ。やってることは暴力だけど、目的自体は正しいものだ。君たちはそれすらも否定するのかな」
シェリーが力強い視線で同意するように訴えてくる。
が、アリシアは首を横に振った。
「その根底が正義であれ、そのやり方では救われぬ。間違えているのだ」
「そうです。私は知ってます。世の中がそこまで単純には回っていないのだということを」
瞬間、ダンッッッ!! と、シェリーが足を踏みならした。パラパラと屋根の破片が飛び散った。
「そうやって見殺しにするから犠牲者がなくならないんだろうがッ! アッタマきた! やるよ、ビリー!」
「……そうだね、やるしかなさそうだ」
シェリーたちが収束した魔力を解き放つのと、菊花たちが飛び掛かるのは、全く同一のタイミングだった。
そして、局地的な嵐が館を直撃したのだった。
――
一方館内部では――。
絶望。その光景を一言で言い表すならば、それ以上に的確な言葉は存在しないだろう。
ヒタリ。そんな一見軽やかな足音は、実際は死神の足音と同じだ。一歩一歩、近づくたびに死が目前へと迫り来る。
息が詰まり、呼吸の仕方すら思い出せない。
頼みの綱の騎士は全員地面に這いつくばり立ち上がることすらできない。
より軽装の奴隷たちは言わずもがな。
終わった。これが人生の終わりなのだと、ウォルターは悟っていた。
その視線を遮る者が現れるまで、ウォルターは全てを諦めていた。
何が遮った。何が目前にある。目の前には誰がいる?
僅かに動かした視線の先。その目に映った者は――。
「グ、ウゥ……。……ハァ……」
奴隷たちの中でリーダー格となっていた赤髪の奴隷、名をウェンディという女だった。
「……奴隷解放、大いに結構。……でもね、こっちの生活がこれ以上良くなるって言う保証はないんでしょう? だったら、あたしは今のままで良いわ。ううん、今のままが良いのよ」
「望んで奴隷ににゃる、だと……? どこまでも歪ませてくれるにゃ、人間共……ッ!」
「歪んでる……? ふふ、まるで自分は歪んでないみたいな物言いね」
睨み付けてくる猫耳の少女へ向かって、ウェンディは鼻で嗤ってやった。
「ネコの滑舌が抜けないのは、貴女自身が成長を拒んでいる証拠よ。子供のままでいたいんでしょう? 大人になればなくしてしまう何かを恐れて、いつまでも記憶の底を追い求めているんでしょう? それが何かは知らないけれど、歪みそのものには違いないわ」
「黙るにゃ」
「貴女に両親はいないの? ひょっとして、その言葉遣いこそが家族との唯一の――」
「黙れっつってるにゃ!!」
放たれた雷撃は風魔法で誘導された。一瞬の驚き、思考の停止を突くような鋭い攻撃は、しかしミケには届かなかった。
代わりに――。
グチュリ。
そんな気色の悪い音が聞こえた。
その音の正体を探して視線を落としたウェンディは、原因をすぐに見つけた。
奴隷仲間の金髪の少女。サニーが隠し持っていたナイフをウェンディの腹部に突き刺しているのを。
「……なんで、あたしを……」
膝から崩れ落ちるウェンディ。
ナイフを手放したサニーは、仲間の血で濡れた手を見つめながら答えた。
「私は、帰りたいのよ。姉様。私の本当の姉さんが待つ、故郷に帰りたいのよ……。何を犠牲にしてでも、故郷に帰りたいの……」
最悪だ、とウェンディは呟くことすらできなかった。
奴隷たちのケアは最優先でやってきたつもりだ。だから、結束は強いはずだと。だからこそ皆で堪え忍ぶことができるのだと。そう信じていたのに……。
全てが甘かった。見積もりが甘く、監視も甘く、判断も甘かった。
いや、もしかしたら、それだけではなかったのかもしれない。
本当はただ単に、好きだったのかもしれない。
変態貴族に抱かれるうちに、情愛に目覚めてしまったのかもしれない。
そんな哀れな人生の末路は、こんなものなのかもしれない。
これで、良かったのかもしれない。
そう思って、僅かに動く眼だけを彼に向ける。
今更ながら気づいた想い人を見た。
――ああ、そうだ。失敗した。あたしは彼を救えなかった。
絶望に歪むその顔を、見なければ良かったとウェンディは後悔した。
そんな顔を見てしまったら、このまま死ぬなんてできないじゃないか。
笑顔になって欲しいだなんて、思ってしまうじゃないか。
裏切った仲間に見切りをつけてでも、勝ちたくなってしまうじゃないか。
失血は多い。ダメージは重傷。
あの子が落としたナイフを拾い、猫耳の魔族へと向ける。
差し違えてでも殺す。そうしないと、彼が殺されてしまうだろう。
せめてこの猫娘を……! 殺し――
バリバリバリッッッ!!!
焦げ跡を残して、ウェンディは倒れた。残された奴隷に動ける者はなく、サニーはミケの手を取って仲間を見限って行く。
ミケは嗤う。楽しそうに嗤う。
「さぁて、人質は何処かにゃ~? とっととゲロっちまったほうが気持ちくにゃれるにゃ♪」
ミケは人間へと手を伸ばす。相手が魔族でなければ、その手こそが絶望の魔手となる。掴まれれば一巻の終わり。今までの全てがなかったことになる。
終わる。終わりだ。終わってしまう。どう足掻いても終わり。終わりしかない。
死にたくない。まだ死にたくない。生きていたい。まだ生きていたい。
どうしてこんなことに。どうしてこんな目に。
神様、どうかお願いします。この愚かな子羊の声が聞こえるならどうかお救いください。
私の今までの全ての罪を償います。だからどうかお救いください。
ようやく気づいたのです。ようやく理解したのです。
私が求めていた者を。私が愛していた者を。
あらゆる恥辱に耐えてみせます。だからどうか、彼女の命だけは、奪わないでください。どうか、お願いします。
「神頼みにゃんて無駄無駄にゃ――ッ!?」
その台詞は途中から掻き消えた。
地下から舞い上がる強烈な上昇気流によって支えをなくしたミケはそのまま天井に叩き付けられた。
「にゃにゃッ!? にゃにが起きたにゃ!?」
階下より、男の声が聞こえた。
「上りの階段がないなら、初めから見取り図に書いといてくれよ」
そんな、何処か場違いな声が聞こえたのだった。
いつの間にかウォルターとウェンディが相思相愛になってました。




