第二羽【初陣日和】①
俺は翌朝、店主がくれたというお茶(たぶんハーブ茶とかそんなの)を啜っていた。
異世界ものって、大体食料が合う合わないがかなり極端に別れてることが多いと思うんだけど、この世界では――より厳密に言うなら、このお茶は美味かった。
味わいはさっぱりしていて、匂いは結構する。キツイ感じではなく爽やかな芳香だ。ジャスミン茶とかに近いのかもしれない。
「リーティス茶というそうですよ。この村の名前と同じなので、きっと特産品なんでしょう」
菊花はそう言った。
そうか。そんな名前だったのか。ゲームみたいに分かりやすく、村に入ったときにお姉さんが「ここはリーティス村よ」とか言っていてくれないと分からないな。
まぁ最近だとテロップ風に表示される作品が多いから、レトロゲーでもないと見掛けなくなったけど。
そして何気なく手元にあった紙を広げて、俺は溜息を吐いた。
困ったことはまだまだある。
文字が読めない。菊花が持ち帰ってきた書類も茶色っぽい原始的な紙で、文字はアルファベットのようなよく分からない文字の羅列だ。
横書きみたいだし、たぶん読む方向も右向きだろう。こちらの世界でも右利きが多いとかたぶんそんなオチなのかな。
右利きの人に使いやすいように文字が開発されているらしい。
……というかこれも覚えなきゃいけないのかな……。果てしなくめんどくさい……。
「見たところ、草原を越えたところにもう一つ村があるみたいですね。今日はここまで向かってみましょうか」
菊花が地図らしき紙を見ながら、そう告げる。
どうにも彼女には文字は読めるらしい。なに、俺は能力を封印されているからとか、そういう話だ。
だから俺には異国の文字にしか見えないし、菊花にはきちんと読むことができる。
この辺も如何ともしがたいところだ。
大体、俺の正体は聞いたけど、菊花は何なのかということを、そういえば聞いていない。
最初に聞こうとしたら、すごく辛そうな顔されちゃったもんな。
大切なツバサ様が変わってしまったこと。そして忘れられてしまっていること。
どっちも考えたくないイヤな話なんだろうしな。
……上手いこと訊ければいいんだけど、生まれてこの方コミュ障の鑑のような人生を送ってきたからな(記憶はないから多分だが、自信はある)。そんな器用な真似ができるわけもない。
機を窺うしかないかな……。
「となればまずは準備ですね! 傷薬や薬草をいくつかと、簡単な武器・防具が必要でしょう」
立ち上がると、菊花は袋を担いだ。ここの宿を取ってから買ったり貰ったりしたものを収めたものだ。
忘れ物もないし、後顧の憂いもない。……ここで安穏とした幼女生活――おっと噛んでしまった。……養生生活を送るのも悪くはないのだが、やっぱり退屈そうだ。
菊花に身の回りの世話とか、それこそナニの世話とか、色々お任せしたいところだけど、そこのところは呑み込んでおこう。
……度胸がないだけとも言えるが、それはさておき、出発の時間だ。
――このファンタジー世界を冒険できるってだけで、心は結構色めき立っていた。
「そういえば、ナチュラルにニホン語が通じてるよな……。どういう理屈なんだろ?」
「それは、ツバサ様や私たちが持っている能力の一つですよ」
「また、それか……」
正直ツバサ様の偉業や異能を自慢されるのにちょっとだけうんざりしてきている。
菊花はそれこそ自分のことのように自慢げに、愛しげに話してくれるけど、でもそれは、俺であっても俺ではない。
記憶もないし、今は能力も引き出すことができない。
「現状、ペルソナの封印もツバサ様の力の一つですが、〈人語解訳〉もその内の一つなんですよ? 異世界で生きるうえでは重要性が高い能力ですからね。こちらは顕在化しているようで良かったです」
菊花は朗らかに笑う。
菊花は楽しそうに町中、というか村の道を進んでゆく。
長い裾をぶんぶんと振って、下駄をカランコロンと鳴らして、頭の上のほうで結った髪が元気そうに揺れている。
見る度に魅力的な女の子だと、そう思う。
見たところの年齢は十代にしか見えないけど、結構しっかりしているし、能力とやらも高いので、いざという時も頼れそうだ。
ちなみにステータスも確認させてもらったんだが、平均値が80以上で高い能力は100を越えている。比較に俺の能力値を晒すと、高い能力で20越えてる程度で、低いものだと10もない。たぶん俺が菊花に勝負を挑んだら、赤子の手を捻るかのようにボロ負けするだろう。例えるなら軍人と一般人みたいな感じか。……泣きたくなるな。
村とはいえ、家が林立しているわけではないので、宿から商店まではちょっと歩くらしい。
街道沿いに家が数軒建っているだけの本当に簡素な村だ。若い村人も少ない。少子化の波がここまで……って、んなこたぁない。
若い連中はみんなもう少し栄えた街で暮らすんだろう。そういうのはたぶん異世界でも変わらない。
人間であるという点は、同じだ。そう思うと、少し冷めてくるものもあるな。……賢者モード乙だな。
「あ! 見えましたよ! あれじゃないでしょうか!?」
菊花が指さす方向にある少し大きめの家。のれんが立て掛けてあって、文字は読めないが、見たところ商店っぽい。
菊花がまたぐいぐいと俺の腕を引っ張ってくる。手とか触れてるんだけど、そういうのは気にしないのかね。俺は結構ドギマギしてるんだけど。ドギマギしすぎてまどマギしてるくらいなんだけど。あたしってほんとバカ。
「……らっしゃい」
店の中から現れたのは、壮年の親父だった。白髪頭の世捨て人みたいな爺さん。見るからに何かの達人かなんかっぽい。
刀を持たせたら卍解とかしそうだ。
「手持ちはこれくらいあるんですけど、これで冒険用の装備を調えたいんです」
菊花がこれまた高いコミュ力でそう伝えると、爺さんはゆっくりと頷き、棚へ向かう。
動作は物凄く格好いいんだけど、遅いな。一歩一歩がすげぇ遅い。やる気あんのかコイツ……。
思わずボタン押してスキップしたくなるんだけど、そういう便利機能ないのかしら。ないか……? ……ないな、うん。
「これなど、如何か……?」
爺さんが持ち出したのは、、シンプルな剣だった。
鉄の剣。まぁ基本だよな。
長さはナイフとか包丁よりは大きいけど、刀とかよりは短いらしい。
あんまり長物持たされても使いこなせそうにないし、この辺が無難かもしれない。
「……なるほど。悪くないですね……」
菊花が剣を手に持つと何やら検分を始めていた。
色んな角度から眺めたり、片目を閉じた状態から光に反射させたりしている。それで何か分かるのだろうか。
やがて、手に持って振ってみたり、お手玉するみたいにポンポンと放ったりしている。軽さを確かめているのか……?
そうやってしばらく弄んだかと思うと、今度はそれを俺に渡した。
え……? 今度は俺がそれやるのん……?
「気に入りました。……ツバサ様、これにしましょう」
どうやら、これに決まったらしい。
もちろん異論などあるわけもなく、この剣は購入に決まった。
「さて、次は防具を買いましょうか」
菊花がそう呟くと、店主の爺さんは今度は隣の棚へ歩き出した。
……だから、遅えって。ふざけてんのかこのジジイ……。
牛車の歩みで辿り着くと、爺さんは革の鎧を取り出した。
選ぶのは早いんだが、動作があまりにものろい。
客を舐めてるんだろうかコイツは……。
今度は菊花が革の鎧をグイグイと引っ張ったり叩いたりしている。なんでも試すのね。用心深いというか、慎重というか、疑り深いのだろうか。
「うん、裁縫もしっかりしてますし、だいじょうぶでしょう。ツバサ様、如何ですか?」
「うん、じゃあそれで」
異論などあるわけもない。
それだけ試されたら、困ったな……もう本当に何もする事がない……。って役目を終えた重鎮みたいに往生しそうになる。
「じゃあ、これでお願いします」
「うむ。ではその袋の中身を全て置いていけ」
爺さんはとんでもないことを言いやがった。
あんだけのんびり歩いといて、取るとこはガッツリ取りやがるな!
「はい、分かりました」
菊花は呆気ないくらい簡単に頷いて袋ごと渡してしまう。
「あ、ああぁ……」
と、俺は顔のない妖怪みたいな物憂げな声を出してしまうが、菊花は止まらない。
「……毎度」
爺さんが背を向け、また喧嘩を売るような歩行速度で立ち去ってゆく。
歩くような速さで、ではなく、這うような速さで、爺さんはカウンターに戻った。
俺は思わず伸ばした手を、所在なさげに下ろすしかなかった。
「……それでは、行きましょうか!」
元気に声を放つ菊花に俺は力なく頷くしかない。
あのクソジジイ……、覚えておけよ!
まさかあの(作者の思いつきで生まれた)爺が今回のトリを飾ることになるとは、このときの俺には予想だにしなかったのだった。
「昔は随分と腕の立つ鍛冶職人だったそうですよ」
それがどうしてあんなスローモー爺になっちまったんだろうな。
「遥か未来の世界線から、それは重大な伏線だからまだ語れない――だそうです」
おいおい、あとがきだからってヤバイ電波受信してんじゃねえぞ。
「そうですか? ツバサ様も作者がどうとか呟いたりしてますよね?」
それはメタネタというやつでな。
主人公補正で唯一許されている特権なのだ。
だいたい、そんな発言が許されるなら未来の俺と菊花の関係性とかも垣間見せて欲しいもんだがな。
「――のくたーん……?」
どうした? R18小説投稿サイトっぽい響きを感じたが、それがどうかしたのか?
まさかこの作品と同一の作者がエロ小説を書いているとでも言うのか?
しかも俺と菊花のまぐわいを克明に描いてしまっているとでも言うのか?
どうなんだ?
……どうして茹でダコみたいに真っ赤になるんだ?
何を見てしまったんだ?
ナニを見てしまったんだ?
「……んでも……うぅッ! ……なんでもありませーーーん!!!!」