第六羽【魔都侵攻】⑫
モノクロに沈んだ世界に、老婆の声が響いている。
「風とは、自由なことだ。分かるかい、坊や」
「自由に焦がれ、支配を拒むその情動こそが、風の根源だよ」
「ある意味では子供じみた、甘っちょろい感性だと言えるだろう。だが、そんな思考回路が、風を導く。……魔法なんて、案外そんなもんさ。……笑っちまうだろ?」
「アンタは逃げた。恐怖心からか保身からか、その根っこの部分は何だって構わない。ただ、逃避という後ろ向きな感情だって、時には力を宿すことだってある。これはそういうことの証左かね」
「……アンタには見えていたはずだよ。逃げるための道筋が。逃げるための最善手が。……それでいい。それがアンタを導いたんだ」
「……懐かしいね。あたしの知り合いの風使いを思い出すよ。アイツも心底臆病で、マイペースで、それをいつまでも貫いていた。本当にバカなヤツで、困ったもんだった……。けど、……アイツといたあの時は本当に、楽しかったよ……」
「フン、年寄りの昔話には興味ないかい? つれないねえ」
「良いかい? 覚えておきな、その感覚を。アンタは風の魔法と相性が良さそうだしね。……別に悪い意味じゃないさ。これでも褒めてんだよあたしゃ」
老婆はカラカラと笑っていた。年寄りのくせに、なんだか女の子みたいな笑い方だ。……まるで昔を思い出すみたいな。
俺は横たわったまま、頷くしかできない。身体中いってえし。
けどまぁ、悪い気分じゃない。風が周囲を漂っている。なんだかそれだけで、一人じゃないって感じがする。ババアもいるし、夕方には菊花たちも帰ってくるだろうから、全然一人ではないんだけどさ。
俺にとっては剣よりも、風のほうがどこか近しい気がするんだ。やっぱり自由を求める性分が、近しいということなんだろうか。
そうだな、風は俺なんだな。そして、俺は風だ。なんて中二力。
とにもかくにも、俺は魔法使いになったのだった。……童貞じゃないほうのな。……なに? まだ童貞のままだって? 上手いこと言ってんじゃねえよ。
こうして、俺は魔法を習得した。これからは何処に出しても恥ずかしくない冒険者だ。
これからは剣術と一緒に魔法の特訓を行い、パーティに貢献しよう。もう足手纏いではない。金魚の糞でもない。ヒモでもなければ、名ばかりの神でもない。
魔法の力で、俺は戦闘に参加できる。それは大いに意味があることだった。
俺は嬉しくなって右の手に風を集める。寄り集まった空気が本流を生み出し……、あれ? できない。この気まぐれさんめ。
まだまだ修練が必要ということらしい。なんだかなぁ。
身体はナズナの薬で回復はしているが、ダメージが一切合切消えたりはしていない。立ち上がろうとすると、ふらふらする。あのババア、加減を知らないらしいな。
「ツバサ様、お目覚めなんですか? まだご無理はなさらないでください。昨夜は本当に心配したんですから……」
扉を開いた菊花が心配そうに駆け寄ってくる。俺は気丈に振る舞おうとしたが、笑顔を作れず、眉間に皺が寄ってしまう。
菊花が俺の肩を支えてくれて、俺はどうにか立ち上がった。なんつーか、尋常じゃないダメージだ。バトル漫画の主人公って、年中こんななのかしら? そりゃモテるわけだよ。イケメン乙。
菊花の声が届いたのか、アリシアもやってきた。そそくさと傷の様子を確認し、せっせと包帯を巻き直してくれる。見よ、この女子力。嫁にしたくてたまらねえな。
……ナズナは、来ないな。どこにいるのやら……。
そんな俺の視線に気づいたらしく、菊花は胸に手を合わせて、神妙な顔になる。
「ツバサ様、ナズナさんのことなんですが……」
俺はその先を聞いて、尚更じっとしてはいられなくなってしまう。
早く、ナズナに会わなければ……!
ナズナは俺たちと旅に出ることにしたらしい。
それはもちろん、嬉しい。俺にとってはもはや仲間だし、可愛い妹のように感じていたくらいだ。
その分、危険だってのも分かってる。安全な旅ではない。命の保証なんてないんだ。大事に思うなら連れて行かないほうが安心だろう。
だが、ナズナは強い。魔法を使わせれば、その技量はアリシアや菊花に近いレベルにいるはずだ。
そして、俺たちには戦力が足りない。ナズナのような優秀な魔法使い、特に優秀な後衛は喉から手か出るほど欲しい。
ネックなのは、ナズナの年齢だ。年は9歳。危険な旅に連れて行くような年齢とは言いがたい。
本人がそれを望んでいたとしても、躊躇うのは仕方がないというものだ。
あのマグだって、一応は人の子だ。あんな年端のいかない子供を旅に出させるはずもない。
そういう意味で、旅立ちは難しいところだろうなと思っていた。
ナズナがマグに旅立ちを告げに行った。俺はせめてその成り行きを見守ってやりたかった。
だが……。
あろうことか、あのババアは。
ナズナの精一杯の勇気を、無視しやがった、……らしい。
俺が見つけたとき、ナズナは一人、空を見つめていた。
ナズナがいたのは、見晴台。教会の天辺だな。
ボロっちぃ鐘が鈍色に光っていて、ナズナは今にも涙の雨が降りそうな空を寂しげに眺めていた。
「ばあや、話を聞いてくれなかった、です……」
その声は、今までに聞いたことがないくらい弱々しい。もともと元気な子じゃなかったけど、ここまで痛そうに、辛そうに喋るのを見るのは初めてだ。
それだけ、辛いのだろう。苦しいのだろう。気持ちは分かる。俺もこの体調で梯子を登るのがしんどくて泣きそうだった。下でアリシアが見守ってくれてなかったら絶対に登れなかったもん。……なんて話は、比較にもならないかもな。
大切な人に、無視される苦しみなんて、俺には耐えられない。大切な人が少なすぎるから、尚更な。
それを涙も流さずに耐えきる少女の、痛ましさときたらもう……。俺はどう声を掛けて良いのか、さっぱり分からなかった。
あれかな、後ろからぎゅって抱きしめて上げるのが一番良いのかな。でも気障じゃないかな。それにそこまで好感度稼げてなかったら逆効果だよな。むしろ嫌われるよな。じゃあ、どうしよう。
声を掛けるのが王道かな。でも、どう声を掛ける? 何言ったら彼女を救える? 勇気を与えられる? 元気づけられる?
分からない。分からない。分からない。
ダメだ。お手上げだ。俺には何もできない。
散々世話になっておいて、傷の治療もさせてもらっておいて、このザマだ。情けなくて死にたくなるな。
どうしたらいい? 教科書とかないのかよ。本当に現実世界はクソゲーだよな。明確な攻略法や、リセットできる仕様のどちらかを作っておいてくれないと俺には太刀打ちできないよ。
けど、ナズナは俺の予想を越えて、ずっと大人だった。たぶん、俺なんかよりずっと立派だ。
ナズナは上擦った声で、言った。
「バサ兄。手、握っても良い、です……?」
俺は黙って手を差し出す。
ナズナがその手を、握る。
ぎゅっと、祈るように、ナズナは俺の手を握った。
「バサ兄は、ナズに勇気をくれる、です。……今度は逃げない、です……っ!」
ナズナは、本当に強い女の子だった。
俺は逃げた。それが強さだとすら言われたのに……。
ナズナは逃げない、と言った。
きっともう一度マグに対峙するのだろう。話を聞いてもらえるまで、何度でも戦いを挑むのだろう。
その戦いは俺とマグの戦いみたいに、殴り合いにはならないだろう。流血はおろか、アクション要素はきっと皆無だろう。
それでも、それは戦いだ。己の大事なものを賭けて、言葉をぶつけ合う戦いだ。
ナズナは梯子をコツコツ……と降りていった。
俺は見晴台の柵に頬杖をついて思い悩んでしまう。
魔王と戦うのは、きっと、もっと辛いのだ。もっと痛いのだ。
それを俺は耐えられるのか? 彼女たちにそれを強いるのか? 本当に俺はそうしたいのか?
だが、魔王をほっといて、そのまま安穏と暮らせるのか? 本当にそれで幸せになれるのか?
ツバサ様としての使命はともかくとして、一生平和な世界ではないんだ。平和を守るために戦うのだとしたら、それが一番平穏に暮らすための近道なのではないだろうか。
戦わないために戦う、……みたいなどこか矛盾した話だけど、まぁ人生なんてそんなもんかもしれない。
そのためにはナズナのように勇気を振り絞り、戦いに挑むことも、いつか必要になってくるのだろう。
俺には、そんな勇気が絞り出せるとは思えないが、いつかそうなれるよう、強くなろう。
……いつか、ナズナにも追いつきたいところだよな……。




