第六羽【魔都侵攻】⑧
半端ない疲労感に耐えかねて、俺は椅子へ腰掛けるなり盛大に溜息を吐いた。
「……はぁ、死ぬかと思った……」
「……普通死ぬ、です。ばあやが本気出したら、オオカミも逃げ出す、です」
どうやら、こんな辺鄙なところでどうにかやっていけてる理由は、あの婆さんの能力にあるらしい。
結界があるから大丈夫とは言っていたが、そもそも対処できないのなら、こんなところには居を構えたりはしないもんな。……一体、どういう経歴ならそんなふうになれるんだろう。
「ばあやは、昔、旅してた、です。凄腕の冒険者だったって言ってた、です」
心なしか、ナズナが自慢げだ。大好きなばあやの話だと、この子はそんな顔になる。強くて(自分には)優しいばあやが、それだけ大切なのだろう。あれだけ追い回された後では、まったく理解できないけれど。
俺は何となく、ナズナの頭に手を乗せる。フードに触れると、ナズナは少しだけ身体を強張らせた。が、特に抵抗はしなかった。俺はその小さくて柔らかな手触りを味わっていた。
フードがずれて獣の耳が露わになる。……そこには、オオカミと同じ形の耳が生えている。ナズナの髪と同じ、銀色の耳だ。
撫でるとピクピクと耳が揺れる。まるでアンテナが電波を受信しているみたいに見える。
その後ろではスカートがバサバサとたなびいている。……たぶん、尻尾が振られているんだな。なんだかそう考えると犬みたいで可愛い。
そういえば、この世界ではまだ犬には出逢えていない。俺はイヌ派を自称していたが、ネコにウサギに浮気ばかりしていた。
しかし、ここにはイヌミミっ娘がいる(厳密にはオオカミだが)。俺の聖域はここに存在している。
イヌはお利口だ。賢くて、従順で、可愛い。だけど、時々お馬鹿でそこもまた可愛い。
俺の手元で尻尾を振るこれもまた、同じだ。小さくて、柔らかくて、あったかい。
撫でる度に温もりが手に伝わり、柔らかい毛が指に気持ちいい。
ずっと撫でていたい。
「はぅぅ……、ダメ、です……」
気づけばナズナが顔を赤くして、俯いている。
いかんいかん、思わず撫でまくってしまった。可愛すぎるのがいけないんだ。まったくもう。
俺が名残惜しくもその手を放そうとすると、ナズナは急に顔を上げた。
「……ま、まだ、やめちゃダメ、です……」
……なにこの可愛い生き物。本気でお持ち帰りしたいんだけど。お願い、散歩も餌やりもキチンとやるから、だから飼っても良いでしょ?
ご飯を作って持ってきてくれた菊花に、とりあえず頼んでみたら、困ったような顔をされた。
「気持ちは分かりますが、筋は通しましょう。マグさんが許してくれればですけど……」
……正直、あの婆さんとはもう関わりたくないんだけどな。
俺はとりあえず肩を竦めるしかなかった。
一晩でババアに殴られた傷は、綺麗さっぱり治っていた。ナズナが渡してくれた傷薬が良く効いたからだろう。
傷薬を塗る際にナズナにそれとなく訊いてみたが、やはり魔法の使い方は未だに良く分からない。
周囲の力を感じ取る。そこに自分の力を注ぎ込み、操作する。それが魔法の使い方だそうだが、その感覚は一向に理解できない。
試しに、詠唱魔法とやらもちょっと習ってみたが、さっぱりだった。ただ、唱えるだけで機能するような代物ではないらしい。そんなもん、暴発しそうで怖すぎるしな。
そして翌日もぶっ飛ばされた。一応加減はされているらしく、死ぬようなことはない。後遺症が残るほど滅多打ちされるわけではないから、確かに優しい人かもしれない。が、納得はできない。何故なら、俺を殴るときのあのババアの顔は、実に楽しげだったからだ。あの性悪ババアめ。
二日目の午前中はそんな感じで終わった。
昼頃にはナズナと特訓中だった菊花が、魔法を詠唱していた。発言したのは風系の魔法だろうか。菊花の身体を覆うような風の幕が形作られていた。
「キカ姉はセンスある、です。バサ兄とは違ってグングン成長してる、です」
「……ツバサ様も、一度コツを掴んでしまえばすぐに上達するはずなんですけどね」
「……不器用、です」
……悪かったな。俺は過去形にはならないからな。
なんて、ス○ールごっこしても寂しいだけなので、気づかれる前に立ち去ることにする。
……教えて欲しいとは言ったが、果たしてこれは本当に報酬なんだろうか。ただ、殴られてるだけなんだが。
魔術を受けて、魔術を覚えるとか、どこの念使いだよ。水見式でもやらされるのか?
それとも、あのババアが纏う、あの恐ろしい気配が魔力だとでも言うのだろうか。まぁ確かに魔性は帯びていそうだけども。
午後からは趣向を変えて、ナズナが相手になるらしい。どうにも俺の覚えが悪いから手法を変えるのだそうだ。はいはい、お心遣い感謝しますよ。チッ、うっせーな。反省してまーす。
ナズナの魔法は何回か見せてもらった。使うのは雷属性がメインだ。常盤台の電撃姫ですの。
まぁしかし、どこぞの電撃使いのレベル5とは違い、彼女は右手と左手で魔力を雷へ変換している。早い話、右手と左手、それぞれが別の砲台となって、魔法が出力されている。
右と左で同時に魔法を使うこともできるし、右手だけでも左手だけでも使える。
しかし、その始点は必ず手だ。理由は感覚的な部分に因るらしい。足で文字を書くのが困難なのと同様に、魔法を使うのは腕のほうが良いようだ。
もちろんそれは人それぞれだろう。足を使うことが多い人間なら、手よりも足のほうが魔法を使いやすいということだってある。地属性の魔法を足で使うのは理に適っているとかなんとか。
ともあれ、俺は、そんなナズナに追い回される午後を過ごすことになった。
はっきり言おう。いつも通りだった。
いつも通りに追い回され、黒焦げにされた。直接殴られるか、遠距離から痺れさせられるかの違いはあったが。
こんなことを続けて、本当に俺は魔法を習得できるのだろうか。無駄に殴られただけで終わりはしないだろうか。
本当に適正はあるのか。俺は魔法を覚えられるのか。
魔法なしでこの先乗り越えられるのか。……そもそも、本当に魔王と戦うつもりなのか。
……あんまり考えないようにしていたが、目的をなくしてしまうと、どんどん絶望に心が支配されそうだ。
俺には記憶がない。過去がない。家族がいない。友達がいない。
帰るべき場所もない。守るべきものもない。誇りたい矜持もない。受け継ぎたい意志もない。
空白。何もない。
何に価値もない。無意味な存在。路傍の石。石ころ。
一般ピープル。その他大勢。有象無象。
ダメだダメだ。この思考はまずい。呑み込まれてしまいそうだ。
俺は攻略者。このゲームを攻略する。
そのためにヒロインとは仲良くしたいし、世界平和も守りたい。
魔王が世界を脅かしている。ならばそれを食い止めたい。
うん、そうだ。それでいい。間違ってない。俺の青春ラブコメはまちがってない。はずだ。
一通りのことはやっておこう。それで魔法が習得できなかったら、今度は前衛職を目指そう。アリシアとのツートップだ。悪くない。
風は俺に向かって吹いている。それに乗ればそれでいい。
この風を逃すな。この風を……。
ふっ……。
ん? 今、何か……?
何かが俺の前髪を揺らしたような、そんな気がした。
魔法の兆しが!? ……と思って、何度か集中するが、今度は何も起こらない。
……やっぱりクソゲーだな。人生なんて。




