第六羽【魔都侵攻】⑥
ばあやに頼まれて、ナズナたちがやってきたのは、古き森の中。
廃墟の広がる地帯に、ポツンと存在する森は、中央に位置する聖なる泉がもたらしていた。
この泉の潤いを糧にして、木々は生長し、魔物が住み着いたのだ。
聖なる力の恩恵の一つに薬草の存在があった。
それは特別な薬草。他の地域では採取することができない珍しい品種である。
その清涼な効能は重傷を治癒し、重病を緩和させると言われている。
ナズナたちにとって、それは貴重な財産でもあった。
街へ出て薬草を売れば、まとまったお金になる。
問題は、森に生息する魔物だ。
奥へ行けば行くほど薬草や貴重な植物が生えているが、その分、魔物の出現率が高くなる。
今まではどうにかなった。ナズナ一人でも問題なかった。
だからいつもより奥へ向かった。大丈夫だと思った。
その結果がこれだった。
何匹ものオオカミが牙を剥いている。
殺気を放っている。
恐怖に足が縫い止められる。
どうしてこうなった。何が悪かった。
こんなところで死にたくない。もっとばあやに魔法を教わりたい。
巨大な狼まで出てきた。振り絞った勇気は一気に萎んでしまう。
ナズナは退こうとして、足を滑らした。泥濘に足を取られたのだ。
途端にばあやの声が頭に響く。泥濘に気をつけなとそう言われたのを思い出す。
今更だ。もうどうしようもない。
あんな巨大なオオカミなど、見たことも聞いたこともない。
ナズナは絶望した。この先はどう足掻いても死しかない。
死ぬ。死んでしまうのだ。
もうばあやには会えない。魔法も教われない。孤児の仲間たちにも会えない。あの牙に噛み潰され、ぐちゃぐちゃにされてしまうのだ。
イヤだ。怖い。死にたくない。
自分がバカだった。魔物の本当の恐ろしさを知らなかった。本当の絶望を知らなかった。
ばあやに褒められ、天狗になったナズナは、己の小ささを理解していなかった。
もう、終わりだ。
ナズナは転んだまま立ち上がれない。冒険者のツバサさんが、ナズナを抱き留めてくれている。キッカさんとアリシアさんはナズナの前に立ちはだかっている。
諦観に満ちた思いの最中、脳内に低く落ち着いた声が届いた。
(同胞の娘よ、目を開けよ)
言われて初めて、ナズナは目をぎゅっと閉じていたことに気づいた。
開いて、その先を見る。
巨大なオオカミだ。名称は〈アッシュ・ウルフ《フェンリスウルヴ》〉。
……二つの名称を持つ魔物は、特別な個体を表すという。
それはこの群れの頭領であるということなのだろう。
(我が声が聞こえるか、同胞の娘よ)
「ハラカラ……ってなん、です?」
ナズナには、良く分からない言葉だった。
問うと、冒険者一同は驚きの声を上げる。
「仲間とか、同族って意味でしょうか……。ハッ、もしかしてあのオオカミの言葉が分かるんですか!?」
「なんか、ハラカラって言ってる、です……」
「……どういう意味だ?」
「何か心当たりはないのか、ナズナ殿?」
心当たり。
そう言われて、思いつくものは、一つだけあった。
が、しかし。それは言いたくない。言えばまた嫌われる。きっと石を投げられるのだ。昔、街で見られた時みたいに……。
そんな気持ちを知ってか知らずか、オオカミの下顎がナズナの頭を掠める。それは一瞬のことだった。
フードが脱げる。
ナズナは慌てて、被り直すが、周囲で息を呑む様子が窺えた。
まただ。また見られてしまった。毛の生えた耳を。
顎の上ではなく、頭上に生えた獣の耳を。
ナズナの、人ならざる証を、見られてしまった。
『化物ッ!!』
そんな言葉が脳裏を過ぎった。
初めてそう言われたのはいつのことだっただろうか。
孤児院では当たり前のことだったから、獣の耳が生えていることなんてあまり特別だとは思わなかった。
ばあやは身寄りのないナズナたちを引き取り、育てていた。
ナズナたちは、魔族だ。
魔物と人の狭間。ナズナは真っ当な人ではなかった。
それでも、良い。ばあやと孤児の仲間たちがいれば、ナズナは一人ではない。
だから誰かに嫌われたって、恐れられたって、平気だ。
この冒険者たちに恐れられたとしても、大丈夫だ。
だって、ナズナにはもう、仲間がいるのだから。一人じゃないのだから。
けど、本当のことを言えば、やっぱり少しだけ怖かった。
恐怖した顔で見られるのも、石を投げられるのも、本当は怖いのだ。
ナズナは蹲ったまま動けない。
どんな言葉が掛けられるのか、分からない。ナズナはそんな恐怖を震える身体で堪えていた。
しかし、いつまで待っても、自分を抱き留める冒険者からも、前に立ち尽くす二人からも、声は聞こえなかった。
ただ、ぎゅっと。
ナズナを抱き留める力が込められるように感じた。
ツバサさんが、ナズナを慰めるように頭を撫でてくれた。
ナズナは、泣き崩れた。
きっと本当は怖いに違いない。こんな自分は恐ろしいに違いないのだ。
そう思っても、優しく受け入れてくれることが嬉しい。
優しさが、身に染みた。
慟哭する少女を、オオカミはただじっと見つめていた。
(同胞の娘よ、其が人として暮らすのならば、それも一興。其の幸福を祈ろう。人としての生に飽いた時は、いつでも此処へ来るが良い……)
ノシノシ……と音を立てて、オオカミたちは去って行った。
ナズナが涙を振り払うにはそれから一時間近く掛かった。
「結局、あのオオカミ共は何しに来たんだ?」
「同胞って言ってましたし、一族の仲間を取り戻しに来たんじゃあ……」
「ナズは、仲間じゃない、です……」
「うむ。ナズナ殿は立派な人間だ。オオカミと暮らすのは難しいだろう」
冒険者たちはそんなふうに笑っていた。
本当は、怖がっているのではないのだろうか……。本当に怖くはないのだろうか。
こんな耳を生やした自分は、気色悪くはないのだろうか。
そんなふうにおっかなびっくり見上げるナズナを、3人が優しい眼差しで見守っている。
ふと、フードがズリ落ちた。さっきオオカミにフードを脱がされたときから、上手く被れていなかったのかもしれない。
毛むくじゃらの耳がぴょこんと顔を出してしまう。
「うおおおおお!! 可愛いよぉナズナたん! 獣耳! 獣耳!」
「フカフカですぅ! モフモフですぅ! 今すぐお持ち帰りしたいですぅ!」
満面の笑みで擦り寄ってくる二人に、ナズナは困惑する。
そんなナズナに、アリシアは微笑みかけた。
「……魔族は人間を滅ぼそうとする恐ろしい種族。そんな話は私も聞き及んでいたし、恐怖する気持ちもないではなかったが、この二人を見てると、そんなことは大したことではなかったように思うのだ。……其方はどうだ、ナズナ殿?」
ナズナは身体中撫でられながら、少し鬱陶しそうに目を細める。
「……もう、どうでもいい、です……」
ナズナがそう返すと、アリシアが快活に笑っていた。
薄暗い森の中、太陽に照らされているような心地だった。
とりあえずオオカミ回終了。
これで終わりと見せかけて、魔都侵攻はもう少し続きます。
何故ならちっとも侵攻してないからです。




