第一羽③
辿り着いた場所はなんというか、素朴な村だった。
ゲーム風に言うならば、BGMがなくて環境音だけでも場が持ちそうな感じの雰囲気と言えば分かりやすいだろうか。
ギシギシと音を立てて回る水車に、さやさやと流れる小川のせせらぎ。鳥や家畜の鳴き声が僅かに聞こえ、カッポカッポと馬車を引く馬の足音が遠くからでもはっきり聞こえる。
人々の生活音がそこかしこに息づいていて、BGMなんかついてたら蛇足にしかならないだろう。そんな雰囲気の村だった。
「まずは情報収集ですね。……こんにちわ! ちょっとお話を聞いてもよろしいですか?」
菊花は気軽な感じで第一村人に声を掛ける。ダーツで旅するバラエティ番組と錯覚するくらい自然な声の掛け方だ。こういうコミュ力ってどこで養うんだろうな。
「おやおや……、これはこれは、旅のお方ですかな……? こんな寂れた村へどんなご用でしょう?」
「私たち、荒野を通ってきたんですけど……」
「おやまぁ、……あそこはほとんど魔物はおりませんが、その代わりに、時々物凄く強力な魔物が現れたりするんですよ。無事に済んで良かったですねぇ」
「あはは……、そうだったんですか……」
「……ええ。これも白神アウラの思し召しでしょう。ありがたいことです……」
くたびれた風の老婆はそう言って、柔和に微笑んで見せた。
随分と危ない場所にいたみたいだな。ちょっと長居していたし、もしかしたら襲われる可能性だってあったわけだ。僥倖と言わざるを得ない。
それにしても……、魔物か。
平然と言われるとなんか違和感あるな……。やっぱゲーム世界に迷い込んだみたいだ。……というよりも。
考えてみれば。
それぞれの世界たちがゲームのような作りなのだろう。
俺たちがいた、俺たちの世界だと認識していたあの現実世界すら、数ある世界の一つでしかなかったらしい。
広大で、膨大で、果てなんて見えない永遠に続くかのように思っていたあの世界すら、小世界と呼ばれているくらいに。
少なくともツバサと呼ばれていた男と、菊花からしてみれば、そんな矮小な世界の一つでしかなかったわけだ。
菊花は言っていた。あの世界は、変わっていた、と。
普通が『これ』ならば、成程、分からなくもない。
俺たちの世界が、異常だった。
そして。
そんな世界を普通と感じている俺からすれば、それ以外のほとんどの世界が異常だ。
ファンタジー……、幻想みたいなこの世界が現実とか……。慣れるには時間が掛かりそうだな……。
「ツバサ様っ! おのお婆さんに色々伺いました。まず、最初に私たちが居た場所は、〈忘却の荒野〉と呼ばれる場所らしいです。なんでもかつて世界が混沌に支配されていた頃の魔族の城が建てられていた場所なのだそうです。今ではもう廃墟になっているそうですが……。そして村の、荒野とは反対側には街道があるらしくて、そちらへ進むと王都があるそうです。情報収集も兼ねて、まずはそちらへ向かうとしましょう!」
「そうか……。じゃあ、そうしようか」
「そうですね! けどまぁ、とりあえず今日のところは休みましょうか。……一応、養生するのであれば、ここで生活を落ち着けるというのもできますけど、どうします……?」
「それは……」
そんなすぐには決められない。
魔物がいる世界だ。じっとしているに越したことはないけど、こういう田舎は娯楽が少ない。
何より、ネットもゲームもない世界で、引き籠もりようがないしな。すぐに飽きてすることがなくなるだろう。
ファンタジー世界だし、しばらくは楽しめるかもしれないけど、それもいつかは終わる。
なにより……。
ゲーマーの性なんだろうが、見知らぬ土地ってのはちょっとワクワクするもんなんだ。
じっとなんかできるわけもない。
だから、答えは決まってるようなもんだ。
「……世界を救うかどうかはともかく、こうやって旅をするのも面白そうだな」
「……えへっ♪ 私もツバサ様とまた、冒険できると思うとワクワクします! 前回は随分と時間掛かっちゃいましたし、冒険もありませんでしたし。今回は楽しみましょうね! ……心配しないでください、私が必ず元のツバサ様に戻して差し上げますから」
菊花はそう、最後に決意を込めた表情で呟くと、てくてくと先導してくれる。
俺はその言葉に、少しだけ胸が詰まりそうになったが、嬉しそうな彼女の手前、それは表には出さずにおいた。
その魅力的な笑顔に、水を差すのは、さすがに躊躇われた。
――〈元のツバサ様〉に戻ったら、〈この俺〉はどうなるんだ……?
……それが自分にとっては死活問題に繋がるかもしれないと、予感しながらも……。
こういうファンタジー世界では、宿の手続きとかどうするのかよく分からなかったから、店主との遣り取りはほとんど菊花に任せてしまった。郷に入っては郷に従えというし、ちょっと意味は違うかもしれないけど、まぁ、慣れてる人に任せるのが一番だよな。
バタンと戸を閉めて一息。俺は取り敢えずこう告げた。
「やっと二人きりになれたね……」
「ふぇ……? そ、そそそそんなっ、なな何を……っ!」
違った。完全に血迷った。誰でも一度は言いたくなるだろ。男の性だろ。ロマンシングでフロンティアだろ。そのうえミストレルだろ。……じゃなくて。
「すまん、間違えた。いや、ヘンな意味じゃなくて、色々訊きたいんだけどさ……」
「……でも、別にイヤってわけじゃないんですけど……。恐れ多いと言いますか、恥ずかしいと言いますか。けれど、求められたら答えるのが従者の務めでもありますし……だったらそれに答えなくちゃダメですよね……」
「あ、あの……菊花さん?」
「ふ、ふぁいっ! あ、あのあのあの、ふちゅちゅかものですが……」
「……あー……、えっと。この世界のことについて訊きたいんだけど……」
「……あれ……? …………はっ! はい! そうですね! なんでしょうか!」
ふぅ、危ない危ない。図らずも口説き落とすところだった。
もちろんそうしたいのは山々なんだけど、コイツが好きなのはたぶん〈元のツバサ様〉で、〈俺〉ではない。それを利用するのは何となく気が乗らないし、悪いことのような気がする。
何より、下手なことをして見限られたらそれこそ目も当てられない。
俺には菊花しか頼れる相手がいないのだ。異世界で、俺を知っているのは菊花一人。
菊花が居なくなれば、俺はこの世界で何もできない。
それはイコール死を意味する。……俺だって死にたくない。
だから軽々しく、こういうことを言うべきじゃないし、するべきじゃない。悔しい限りだが、紳士道は控えるしかあるまい。……誠に遺憾だが。
「俺は、菊花が言うところの〈前回の世界〉しか知らない。だから、この世界のことも他の世界のこともよく分からない。だからこそ訊きたいんだが、この世界のルールってなんなんだろう。俺の知ってる世界にはルールらしきものは何もなくて、やりたいことができて、やりたくないことはやらなくても良かった。その辺はどうなんだ?」
「……そうですよね。配慮が足りなくて申し訳ありあせん。私がもっと気を利かせるべきでした。全ては私が至らなかったことが原因です。如何様な処分でも受けますのでどうか……」
「いやいやいや、そういうんじゃなくてさ。純粋に教えて欲しいんだ。まだここへ来て数時間しか――少なくとも意識のうえではそれくらいしか経ってないんだ。だから、教えてくれ。これがゲームなら適応してみせるし、これが現実ならなんとか順応するから」
菊花はなんだか責任感が強くて、その所為かちょっと面倒臭い方向へ話が向かっていきがちだから、こっちが下手になって話を進めるほうが多分早い。
目論見は功を奏したらしく、菊花の表情は僅かに明るくなったようだ。
「……結論としては、ゲームでもあるし、現実でもある、ということです」
菊花は神妙な顔でそう言う。
有名ライトノベルのキャッチフレーズみたいな台詞を、言った。ゲームであっても遊びではない、みたいなことか?
「この世界の仕組みは前回の世界で言うところの、ゲームと一緒です。ですが、同時に現実でもあります。死ねば生き返りませんし、時間は逆行しません。もちろん、ルールの中であればそれに抵触することもありますけど。それは、電気ショックのお陰で止まった心臓が動き出すのと同じで、ルールに基づいた現象であれば、の話です」
成程。まぁそりゃあ、〈現実〉だわな。命があって、死がある。歴史があって、現在がある。至極真っ当な世界だ。
「ですが、この世界にもルールはあります。メニュー画面を見る限りでそれを類推するしか現状調べる手段がありませんが、ステータスが存在して、熟練度ページがあります。だから、ステータスの向上により、発揮できる力に影響を及ぼし、熟練度の向上で何かの性能が上がるんだと思います」
「……つまり、セーブポイントはない……?」
「そうですね……。あれはゲーム特有の存在でしょう。現実では存在し得ない。少なくとも私は今までの世界でも見たことがありません」
「……となるとやり直しは利かない。……まぁ確かに現実だわな……」
そこもやはり真っ当な現実か……。まぁ筋肉とか関係なしにステータスだけで力が発揮できるってのは、少し不思議だけどな。それとも、筋肉量がそのまま力のステータスに反映されるんだろうか。まぁそこはまだなんとも言えないな。世界によっても変わるんだろうし。
それにしても、熟練度システムか……。
分かりやすい成長システムだよな。努力という現象を思いっきり簡略化した数値。努力は無駄にならないっていうならまぁ素晴らしい世界なんだけど。
そして分かりやすくファンタジーな数値がもう一つ。
〈魔力〉。
この世界には魔法が存在するのか。科学ではなく、魔法。
世界を支配する現象が異なるのか。科学と同じ現象を魔法が代理で行っているのか。
「そこはやはり、世界によって変わりますね。この世界では、どうなんでしょう……? ただ、白神アウラと言っていたことから、恐らく自然信仰に近い概念だと思うので、きっと方術系か法術系でしょう。鳳術系……はさすがにないかと。あんなレベルの魔法が一般化されていたら、さすがに世界はもっと混沌としているはずです」
「全部〈ほうじゅつ〉にしか聞こえないんだけど……、なんか違いあるの……?」
「う~ん、使うエネルギーによって名称を使い分けているんですけど……。でも、確かなことは分かりませんし、今は気にしなくていいですよ?」
むぅ……。ちょっと中二心がくすぐられるんだが、困らせるのもなんだし、まぁいいか。どーせ、聞いても分からないだろう。
魔法なんて言われても使う心地なんか想像もできん。しかしまぁ使ってみたい気持ちも少なからずあるな。明日は菊花にその辺を聞いてきてもらおうかな。
そんなこんなを話しながら、菊花が買ってきたシチューとパンをもしゃもしゃと平らげて、それぞれのベッドに入る。
……そういや、この子ったらどこからお金を手に入れたんだろうか。……まさか、売春……?
いやいや、さすがにそれはないよ。考えすぎ考えすぎ。……だよな?
そうは思いつつも、視線を向けてしまう。
「んぅ……」
菊花が寝返りと共に吐息を漏らした。
女の子の声にぞくりと背筋が震える。
……そういや、なんで同じ部屋なんだろうな。据え膳喰らっていいのかしら……? ……良いわけね―だろjk。
しかしまぁ、もやもやした気持ちになるのは仕方ない。なんたって十代だからな。……あれ? 十代なのか? 二十代? 記憶がないとこういうところも困るな。考えてもしょうがないか。
なんて、思っていると……。
「ぐす……ツバサ様ぁ……」
なんて声が漏れてきて……。
俺は一晩寝苦しい夜を過ごす羽目になったのだった。
「さて、ツバサ様! 今回のお話でなにか訊きたいことはありますか?」
と言われてもなぁ。
そもそもが質問回だし。
あとがきでも質問するのもどうなんだろ?
「そんなこと言わないでくださいよ! なにかないんですか? 今なら特別サービス1割増しで質問にお答えしますよ!」
そんな夕方ごろの惣菜屋みたいなこと言われてもなぁ。
しかもお得感が微妙だし。
「なにか言いましたか(ジロリ)」
はいはい待ちましょうね。ほら腰元のナイフをシャキシャキ抜き差ししないの。お兄さん驚いちゃうから。ダメよ。めっ。
(ため息を吐きつつ)そうだなぁ。〈ほうじゅつ〉のウンチクでも訊いてみようか。
「えっ、う○ちですか?」
オイコラ、仮にもヒロインがそういうこと言うんじゃないの。きみ、そんなこと言う子じゃなかったでしょ? いつからなの、そんな適当なこと言うようになったのは!
「わかりました。う○ちについてですね。ツバサ様は結構溜め込むことが多くって長時間掛かることが多いみたいです。やっぱりアリシアさんに胃腸に効くものを作ってもらったほうが良いですね。ちょっと進言してきます。待っててくださいね!(てってってーと走り去る菊花)」
うん、一切質問に答えなかったな。(それと、ささやかな俺のプライバシーが暴かれた気がするな)