第二十羽(急)⑮
〈ウィスタリア・エーテル〉。
通称、〈碧天の瞳〉。
人はそれを、神に選ばれた証だと褒め称えた。
また、あるときはそれを神に見放された証だと蔑んだ。
いずれにせよ共通することは、圧倒的な力を振るえるということ。
世界を揺るがす存在になるということ。
生来の瞳の色に関わらず、その力を開放する瞬間に碧色の輝きを瞳にまとうということ。
それはまさしく、今この瞬間のことであろう。
対峙する二人は、同様の碧い光を瞳に宿す。
空のように碧く、海のように碧い。
どこまでも広がる水平線のように遠く、遥か天蓋のように遠い。
世界を左右するほどの、神の如き力を得て、〈覇者〉と〈救世主〉は何を望むのか。
神は黙したまま、何も語らない。
「やれやれ。まだ甘い幻想を抱いているのか。少しは大人になったらどうだ?」
「大人だとか子供だとか、そのような話はとうに過ぎている!」
〈覇者〉と〈救世主〉は苛烈に剣を結び合う。
そのたびに残響が世界を震わせ、周囲に傷跡を残す。
「……まったく、世界を壊さないように戦うのは余には困難だというのに……」
「だったら! 剣を収めればいいだろう?!」
〈覇者〉は嗤う。
「なに、子供に灸をすえるというのも、親の役目だろう?」
〈覇者〉の手に、エネルギーが集まる。
魔力ではない。
もちろん龍力でもない。
なぜなら、その力は……。
世界そのものの力。
いうなればそれは、神力とでも呼ぶべき力。
魔を超え、龍を均し、神さえも統べる。
いわばそれは、神そのものの力。
〈覇者〉がその力を放つ。
迸る奔流が、地面を削り、空を抉り、海を穿つ。
〈救世主〉はそれに抗おうとするも……。
世界は闇に覆われた。
これがまず『一度目』の終焉だった。
――
亜空間に吸い込まれた俺たちは、黒い虚無の中にいた。
あたりは黒で覆われていて、何も見えない。
どうやらここは物質すら存在しないような虚無の空間で、仲間たちだけがここに引き寄せられたらしい。
いや……。
仲間たちだけじゃなかった。
想定外の闖入者が、そこにはいた。
「な、何よこれ?! ワタシをどこに連れてきたの?!」
シャルロッテ。
魔族のお姫様だな。
……本当にどうしてここに……?
「ツバサくん、緊急事態だったとはいえ、どうして他の子を巻き込んじゃったの?」
えぇ……?
俺のせいなのん?
「し、仕方がなかったんですッ! あのときは一歩も動けませんでしたし!」
菊花が助け舟を出そうとしてくれている。
そういえばそうだったな。
今は亜空間に移ったからか、普通に動けてるけど。
「ん~、普通っていうとちょっと違うかも」
リチアは顎に手を当てて考え込んでいた。
そして、唐突にヤバい話を始めた。
「だって、ここは物質すら存在しない精神世界だし……」
な、なんだってー!
「……というよりリチア殿、話が飛びすぎて理解ができないのだが……」
アリシアの言うことももっともだ。
えっと、つまりどういうことだ?
俺たちはどうにかこうにか〈武者〉を倒したはずだ。
だが、トドメはさせなかった。
そこに現れたのは黒い青年。
〈救世主〉然とした若者だった。
「お兄様よ! たまたま、全くの偶然でアンタたちを助けることになったみたいだけど、元々は〈覇者〉ゼインを倒すために割って入っただけだったのよね! お兄様に感謝しなさい!」
感謝はいいんだが、そうなるとここはどこであのアラートはなんだったんだ?
「アラート? なんのことよ?」とシャルロッテは食って掛かったが、面倒なので無視。
かくいうリチアは呆れ顔だ。
「……もう察しはついてるんでしょう? ……君の想像する通りの悪い展開よ。現実逃避はほどほどにしておきなさい」
……たしなめられてしまった。
くそぅ、そうだな。確かにそうだよ。予想してたよ。
けどさ、それでも、どうしたってさ。
抗いたかったっていうかさ。
でも、そっか。
……そうだよな。
「……なによ? なんでそんな可哀想みたいな目でこっちを見るのよ?」
そりゃ、そんな目にもなるよ。
だって、そうだろ?
「……世界は、滅んだってことか……」
信じたくない。
というか信じられない。
〈救世主〉が抗ったところで、どうにもならなかったってことか?
というよりも、魔王が復活した時点で世界崩壊が確定していたんだろうな。
そうでもないと、あの終わり方はありえないだろう。
つまり、この戦いは敗北だった。
勇者は負け、龍も敗北した。
俺たちは負けたのだ。
〈覇者〉の復活そのものを回避しなければならなかった。
そうは言ってもな。
いくらなんでもそれはムリだろう。
あの状況でそれを防げたとは思えなかった。
魔王の影武者が魔王を名乗ることも想定外だったし、魔王の復活方法を魔王の封印方法として伝承させていただなんて、予想できるわけもない。
始めから魔王側が上手だったのだから、こればかりはどうしようもない。
まぁ、つまりはこういうことだ。
この世界は、滅んでもしょうがなかったということだ。
我ながら最低だな。このオチは。
けどどうしようもなかった。
防ぎようがなかった。
〈覇者〉には勝てなかった。
それが全てだった。
「じゃあ、ばあやは……?」
「ホタルちゃんはどうなったのでございますか……?」
ナズナも、ルリも、悪かったな……。
救えなかったよ。
全ては俺の力不足だったよ。
「な、なにを言っているのよ……? 世界が滅んだ……? お兄様がいるのよ? 滅ぶだなんて、そんなこと……ッ!」
そうだよな。
お前だって被害者だよな。
けど、もうどうしようもない……。
「へ、ヘンな冗談やめなさいよ! 元の世界に返して! お兄様のところに帰しなさいよ!!」
俺が視線を向けると、リチアが亜空間の窓を開いた。
そこには荒廃した大地と海が広がっていた。
何もない。
空虚な世界。
およそ、人の気配がない、滅んだ世界が。
「嘘――、嘘よッ!! こんなの嘘に決まってるわ! お兄様はいつだってワタシを助けてくれるもの! 今回も! 絶対……」
徐々に涙ぐむシャルロッテは、なんだか哀れだ。
夕凪が撫でようとすると、その手を払いつつ、
「ふざけないで! アンタたちを殺してこの世界を抜け出せば、絶対お兄様が迎えに来てくれるんだから! 絶対、お兄様が助けてくれるんだから!!」
シャルロッテは巻き込まれただけだから、確かに可哀想だ。
けれども、世界の唯一の生き残りだし、このままここに置いていくこともできない。
……もちろん殺されてやることもできない。
あいにくと、できることはひとつだけだ。
「シャルロッテ。俺のことを恨んでくれて構わない。全てが終わったあとで殺してくれたって構わない。だが、今だけはそれはできないんだ」
……シャルロッテは俺の圧に押されてか、一瞬黙った。
このまま続けて言うしかないな。
「……それと、この状況で言うのもズルいんだが、この空間はそんなに長くは持たない。物質世界のほうでは俺たちの身体は消滅している。つまり、帰還する方法はひとつしかないんだ」
できればこんな方法では選んでほしくなかった。
ナズナにも、ルリにも、もっといろんな選択肢を提示してやりたかった。
けど、今はもう一択しかない。
……恨まれても、仕方ないな。
「俺の眷属になってくれ」