第二十羽(急)⑩
魔王、顕現――。
その日、世界は慟哭した。
世界の王に平伏すように。
その日、世界は恐怖した。
神と同等の存在に畏れを抱くように。
その日、世界は崩壊した。
たったひとりの王の手によって。
王はゆらりと空中から、顕現した。
闇をまといし姿は、魔の頂きと呼ぶにふさわしい。
真っ黒い髪は、陽光を浴びてもなお黒く、全てを飲み込む闇のようだった。
その大きな巨躯はあらゆる敵を畏怖させる、いわば力の象徴だ。
放たれる圧倒的な覇気が、彼を王だと証明している。
影武者などとは比較にならない。
信頼を得るだけが取り柄の〈王者〉など、歯牙にもかからない。
誰もが平伏す、生物の頂点。
いや、この王ならば自然すら従えてみせるだろう。
王が、ゆっくりと目を開けた。
「……ふむ。あの男はここにはおらぬか……。少し予想が外れたな」
王は思案げに呟いた。
想定通りではないが、問題ではないと。
「影武者ケイオスよ。……貴様はここまでか?」
魔王こと影武者は、まだ死んではいない。
だが、まとわりつく勇者の血が彼を放さない。
「我が主、またお姿を拝見できたこと、嬉しく思います……」
王は、その男の満身創痍な姿を見た。
「……余の代わりは、貴様には重荷だったか? ……いや、詮無いことを訊いたな」
王は頭を振った。
頭が回らないなりに成し遂げたことは事実。
それをとやかく言うのは無粋だと、そう感じたのだろう。
「……この状況はなかなかに複雑怪奇。しかし、約定を違えるわけにはいかんか……」
王は片手を広げた。
手のひらで何かを包むような仕草だ。
そして、手応えを感じたのか、グッと拳を握った。
それだけの所作で。
大聖堂全体が震え始めた。
「余の名を噛み締めながら逝け、人間ども。余こそが真なる王、〈覇者〉ゼイン=アルケディオス=ノクタリアである」
〈覇者〉は外套を翻すと大聖堂の外へ足を向ける。
影武者にも〈勇者〉にも振り向かない。
「縁あらばいづれまた見えようぞ。勇者、そして我が友よ」
〈覇者〉の歩みを止められるものは誰もいなかった。
――
大聖堂の揺れは激しくなる一方だった。
影武者は自らの身体を食い殺そうとする勇者の血液に悪戦苦闘していた。
自分の身体を魔力で焼き、血液を蒸発させようとするも流れ出した自分の血液に混ざり込んでしまい、排除しきれない。
そして、そんな苦戦をする影武者の視界には、フラフラと立ち尽くす勇者の姿があった。
もう何もできないはずだ。
ほとんどの血液を失い、意識すらほとんどないだろう。
そんな状態でできることなど、何もない。
ない、はずだ。
だというのに、影武者には嫌な予感がよぎってしまう。
この男は、まだなにかしようとしているのではないか。
だが、血液などという得体のしれない相手と戦っている最中だ。
今更勇者をどうこうする余裕などない。
そもそも、何もできるわけがないのだ。
ならば放置したところで何の問題もあるまい。
そう判断した直後、勇者の手が伸びる。
同時に腹部に激痛が走る。
剣で貫かれたらしい。
それだけではない。
血が、抜かれている。
流した分の血を、影武者から奪おうとしているというのか。
影武者と勇者が身体を掴み合い、文字通り血みどろの戦いとなっていた。
戦いが激しさを増すのと同時に、大聖堂の崩壊も進んでゆく。
「まだ抗うかッ!! 面白いぞ勇者ァァァアアア!!!!」
――
[ALERT]世界の救済に失敗しました。第二干渉点への移行を推奨します。[/ALERT]
[ALERT]世界の救済に失敗しました。第二干渉点への移行を推奨します。[/ALERT]
[ALERT]なお、一定時間内に移行が完了されなかった場合には強制転移を実行します。干渉領域にご注意ください。[/ALERT]
[ALERT]繰り返します……[/ALERT]
なんだこれ。
頭の中がうるさいぞ。
失敗したってなんやねん。
何が起こったっていうんだ?
アラート?
よくわからんが翼龍の機能のひとつなんだろうか。
世界の救済とか言ってるし。
一定時間内の移行?
何をするんだ?
リチアなら知ってるかな。
そんな折、タイミングよくリチアの声が聞こえた。
龍術のひとつに念話みたいなものがあるらしいな。
『ツバサくんッ?! 聞こえる?』
ああ、聞こえてる。
っていうか、そんなに慌ててるリチアは珍しいな。
『ツバサくんにも聞こえてるでしょ? あたしたちは失敗した。世界は守れなかったわ』
いや、いきなりそう言われてもな。
まだ俺たちは生きてるだろう?
まだ失敗じゃあないんじゃないか?
『ツバサくん、覚えてないみたいだから、改めて話しておくけど、これはね、もう手遅れなのよ』
手遅れ……?
『そう。どう足掻いてももう世界は救えない。そういうレベルの危機に陥ってしまったって意味なの。……わかる?』
いや、わからんが。
『でしょうね。ともかく、一度そっちに飛んで……ザザザザ――』
ん……? なんだ――?
念話にノイズが混じって、通信が途切れてしまった。
向こうになにか問題が起こったらしい。
状況は不明だが〈死者〉との戦闘がまだ続いているのだろう。
そしておそらくだが、勇者側は――負けたっぽいな。
……アリシアには勇者の敗北を伝えないほうが良いだろうか。
まぁ、確定したわけでもないし、わざわざ言わなくてもいいか。
気まずい思いをしたくないだけとも言うが。
ともあれ、こっちも〈武者〉をどうにかしないと次の行動は取りようがない。
みんなと合流するためにも、状況を把握するためにも、撃退は必須。
どちらにせよ、やるしかない。
待っていたかのように、〈武者〉は大太刀を構える。
「ふむ。敗色濃厚のなか、なおも戦う覚悟をするとは、敵ながら見事でござるな。なればこそ、拙者も全力で立ち会おう」
……敵は受け手に回るつもりらしい。
だったら、遠慮はいらないな。
最初から遠慮する気なんて、1ミリもなかったけどさ!
共鳴龍術で、アリシアの龍術を貰い受ける。
従者になったばかりのアリシアだが、その高い火力のステータスから龍術が生み出される。
生み出された龍術が増幅され、奥義として覚醒される。
生み出されたスキルは、〈烈炎神槍〉(スーパーノヴァ)。
その特性は爆発付与。
攻撃時に龍力を炸裂させ攻撃力を何倍にも高めるスキルだ。
二重の極みみたいなもんだと思ってくれればいい。
こいつを足元に放ちつつ、突進。
爆発的な推力を手に入れる。
だが、裂帛の気合を込めた斬撃で返され、簡単に受け止められてしまう。
衝撃波があたりを薙ぎ払うが、〈武者〉は微動だにしない。
相変わらずふざけた防御力だ。
俺は剣を弾かれる前に追撃を用意していた。
風魔法による空気の拡散。
そして、雷魔法での放電。
真空放電だ。
多重人格による魔法の並列処理で、コンボではなく一つの魔法として繰り出される秘術。
同時に放てるようになったおかげで、威力は今までの数倍。
そもそも電気だから鎧の防御力を貫通して、ダメージが入ってるはずなんだがどうだ?
魔法そのものを軽減する鎧でない限りは、大ダメージは確実なはずなんだけど……。
〈武者〉は、耐えていた。
深く腰を落とした〈武者〉が大太刀を振り抜き、俺はおもむろに吹き飛ばされる。
だが、その無造作な所作は力任せな一撃で、とりあえず放った感が強い。
効いていたから慌てて吹き飛ばした、……のか?
わからんからもう少し試してみよう。
〈白矛〉(マインドイーター)。
〈翼白〉で生み出した槍を〈武者〉に叩きつける。
攻撃は弾かれてしまうが、そこは想定通り。
砕かれた〈白塵〉を再度操作し、もう一度真空状態を作り出す。
それと同時に今度は炎の魔法で着火する。
真空爆発の威力も申し分ない。
さすがに多少の痛痒くらいは与えられているはずだ。
そのまま〈白炎〉も起動。
有利なフィールドを構築してからの〈白楼〉だ。
振り下ろされた極大の白剣に〈烈炎神槍〉も合わせている。
地面に大穴が空くくらいの大威力だ。
いや、もう死んでるだろこれは。
そう思ったのも束の間――
矢が俺の肩に刺さった。
明らかに爆炎の中心から飛んできたな。
攻撃の後隙を逃さない丁寧な仕事だ。嫌になるね。
敵はまっすぐに突っ込んでくる。
そう思ったが、夕凪のエリアサーチがその予測が間違いであると教えてくれた。
真上から鉄球!!
俺は〈白式〉を起動して超反応。
飛び込んで敵の攻撃をかわした。
そこへ合わせるようにして〈武者〉の突進が突き刺さる。
変形した大槍が俺の腹を貫いた。
くの字に折れ曲がった俺はそのまま吹っ飛ぶしかない。
そこへトドメと言わんばかりに大弓をつがえる〈武者〉。
番えられた太い弓矢は頭蓋骨を粉砕できるような物騒なものだ。
放たれた、と思った瞬間にはすでに眼前に迫っていたが、俺はそれを〈凋落者の跳躍〉(イグジット)で次元跳躍して回避。
上空に逃げ去り、そのまま敵の直上へ急降下する。
菊花の持つ龍術を増幅したスキル〈死の一線〉(ライフスティーラー)を発動。
その効果は確定クリティカル。
ダメ押しとばかりに直撃に〈烈炎神槍〉も発動する。
爆音とともに甲冑の兜部分が砕け、〈武者〉の顔面があらわになる。
っていうかこれでも死なないってさすがにおかしくないか?
負け確イベントとしか思えないスペックだが、相手は神の一歩手前くらいの存在になっているらしいし、こういうもんなのかもしれない。
そりゃ救済に失敗するのも頷けるよ。
流血した頭を押さえる〈武者〉。
それなりのダメージは入ってるっぽいが、どう見ても死んではいないし、死にかけって感じでもない。
俺は一旦距離をとって身構える。
対する〈武者〉は垂れた前髪の奥で鋭く碧い眼光が垣間見える。
「ただ感謝でござる、我が主。……緋眼神さま。これほどの強敵と出会えたこと。全力で戦える喜び。あなたの寵愛に感謝を致すでござる」
祈りを捧げる〈武者〉。
俺の耳の奥では、いまだにけたたましくアラートが鳴り響いていた。