第二十羽(急)②
それはさながら地獄だった。
王国軍50万に対して、魔王軍は10万。
圧倒的な有利から始まった。
しかし、開戦直前にその優位は崩れた。
魔王が放った、たった一発の攻撃によって。
そう、それはただの一撃だった。
魔王が剣を振り抜いただけ。
たったそれだけで全ての優位は覆った。
王国軍は圧倒的なまでの敗北に喫したのだ。
誰もが言葉を失った。
魔王の剣が振り抜かれただけで、大地が消滅し、軍勢は壊滅し、聖都と王都を繋ぐ大手門が崩壊した。
そこから駄目押しとばかりに押し寄せる魔王軍に、王国軍は為す術もなかった。
前線が崩壊し、量産される王国軍の死体たち。
王国軍が壊走を始めるまでに、そう長い時間はかからなかった。
阿鼻叫喚の地獄絵図のなか、その兵士は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
そうして彼は見てしまう。
悠々と歩く大男。
その長身すら超える大剣を担いだ偉丈夫を。
この地獄を生み出した、〈魔王〉の姿を。
ついに兵士は逃げ出してしまう。
わけも分からず走り続ける。
どこでもいい。どこか遠くへ。
地獄に追いつかれないような、遠くへ。
彼の意識はそこで途絶えてしまう。
理由はわからなかった。
ただ、目まぐるしく回る視界の中、見慣れた自分の身体が遠くに飛んでゆくような光景を見たような気がした。
――
通りすがりに雑兵の首を斬り離したシンは、魔王に跪いた。
「増援部隊の制圧、完了しました」
「うむ、勇者が来るかと期待していたが……、随分と焦らしてくれる。……続いての指示はそこの軍師に訊くがいい」
南側を魔王軍が制圧した。
この先は市街地だが、潜んでいた増援部隊も既に殲滅済み。
大聖堂までは何の障害もなく進めることだろう。
魔王は崩れた大手門を見上げながら、思う。
――早く止めねば、人は滅びるぞ?
良いのか? と心のなかで勇者に問いかける。
快勝ムードの中にありながら、魔王は不満げだ。
こんな終わり方は許さない、魔王はそんな言葉を吐き捨てた。
――
大聖堂、大広間――。
大きく音を立てながら、伝令が扉を開ける。
「大手門、破られました!! 将軍の安否は未だ掴めません!!」
その声に息を呑む一同。
ここには戦闘向きでない三使たちや、王者、勇者パーティなどが詰めている。
賢者は見張りをつけられたまま別室で待機中だ。
これで王国騎士は壊滅状態。
戦えるのは近衛騎士と勇者パーティくらいだろうか。
「馬鹿な!! 五倍の軍勢で待ち構えていたんだぞ!!」
「いくら何でも早すぎる!! 何かの間違いでは……?!」
受け入れられるはずもない。
あの、魔王の圧倒的な強さは、剣を交えなければ理解できるわけがないのだ。
アルスだけが、静かに事実を受け入れていた。
大手門を抜けた先には、増援部隊が控えている。
とはいえ、魔王相手では荷が重すぎる。
足止めすら厳しいだろう。
大聖堂までは苦もなく辿り着けるはずだ。
大聖堂の守りは六本の尖塔による結界だが、その結界が破られてしまえばその先には何の障害もない。
結界だけで万全かというと、アルスは自信を持てない。
あの魔王を止められるビジョンが、見えない。
このままここで待ち続けても、犠牲が増えるだけだ。
戦陣へ向かうべきだ。
アルスが何も言わずに扉へ向かおうとすると、その手をロサーナが掴んだ。
「アルス様、ここには封印の祭壇がありますわ。貴方はここを離れるべきではありませんわ」
……分かってはいた。
だが、ここで手をこまねいているのも違う気がする。
どうすればいい? どうしたらいい?
アルスは自問する。
救うべきは弱き人々。
戦えるのは自分だけ。
最終的には魔族を、そして魔王を封印する。
そのためにはここの守りを固めなければならない。
だとすると……。
王国騎士は、見殺しか……。
隣にはキャシーが、そして手を握るロサーナがいる。
ロサーナは妖艶に笑う。
それが安心させるための笑みなのか。
それともそれ以外の理由を伴った笑みなのか。
アルスには判断がつかない。
――いや、もしかしたら僕は……。
「分かった。ここで迎え討とう」
世界の命運を左右する選択肢が、選ばれてしまった瞬間だった。
――
聖都の北門には、地獄のような光景が広がっていた。
朽ち果てた身体で剣を振るう死霊騎士。
飛び出た目玉、湧き出る臓物を引きずりながら走る軍馬。
斃れた王国騎士が虚ろな眼差しで起き上がり始める。
死に支配された北門はわずか半刻足らずで陥落し、〈死者〉は大聖堂へと進撃を続ける。
「結界の破壊は、吾輩ではどうにもならぬだろう。ならば、残りの兵を落とすとするか……」
王国を、死が占領しようとしていた。
――
武者はたった一人で東門を落としていた。
魔王が破壊した大手門と同じような破壊痕。
頽れた門を見上げながら、武者は笑う。
「いよいよ、でござるな。……兄上、我が王よ」
屍の山を積み上げ、武者はその鎧を紅に染めていた。
――
「我が失われた右腕が疼く……」
〈気狂い〉は大聖堂のひとつに佇んでいた。
見張りはすでに血と肉の塊と化している。
飛び散った血が、先程までの激しい〈行為〉を物語っていた。
〈気狂い〉は血のついたナイフを舐める。
自分の腕を斬り落とした勇者を思いながら、狂ったように嗤う。
その瞳に歪んだ情念を灯して。
――
「ようやくここまで来たわ、お兄様……」
黒衣の少女は、血塗れのドレスをなびかせて歌う。
「魔族の宿願だとか、魔王の願いだなんて、どうでもいい」
シャルロッテは胸に飾られた双星のペンダントに指を添える。
「待ちきれないわ、フフフ、アハハハハハハハ!!!」
――
ピシリ。
ミシミシミシ……。
世界が罅割れるような、幻聴が聞こえる。
魔族を封印するための、大規模な魔法が崩れかけている。
そして、その撃鉄は、もうじき引かれる。
その音を、世界中のすべての者が、聞いたという。
あとがきSS そもそもの話
なぁ。今更気づいたんだけどさ。
《凋落者の跳躍》で王都に向かってから聖都に行けば良かったんじゃね?
なんで早馬で走ってたの俺ら?
「え? 王都って聖都のすぐ隣なの?」
いや、アリシアにはそう聞いたんだけど……。
「……てへ」
いや、可愛くテヘペロでごまかすなよ。
俺のお尻は一体何のための犠牲だったんだよ。
「まぁ、でも長距離だと安定しないのも確かだし、早く着いたところで結果は変わらないんじゃないかしら」
そうだとしても……!
そうだとしてもさぁ……!
「ほら、失敗は誰にだってあるでしょう? 大事なのはこれからどうするかじゃない?」
良い話風にまとめようとしやがって……!
「だいじょうぶよ。何かの機会にセリフを修正しておくから」
くそう! あとがきだと思ってメタ発言しまくりやがって!!