第二十羽(破)⑨
炎が天井を覆っている。
焼け焦げた石壁が剥がれ落ち、重力に負けて落下してくる。
見ているサニーには、躱すこともできない。
運良く直撃こそ免れたものの、サニーは縮こまって震えることしかできない。
「魔族は、滅びなければなりません。何故ならば生まれてきてはいけなかったからです。神が救いをもたらさないのであれば、僭越ながら私が救わねばならぬのでしょう。わざわざ神が手を下すまでもなく、私の手で全てを終わらせましょう」
コツ、コツ……。
死神が、近づいてくる。
その足音は、死と同義だ。
サニーは身を守るために、腰のナイフに手を伸ばす。
こんなものを抜いたところで、勝ち目なんてない。
わずかな時間稼ぎすらできないだろう。
それでも、自分のために戦ってくれた魔族の少年少女のためにも、抵抗をしなければ!
渾身の力を入れて、相手を睨み、鞘から引き抜こうとした。
だが……。
頭をよぎるのは、自分で切り裂いた仲間の姿。
血が、痛みに歪んだ顔が、あの感触が、嫌でも思い返される。
怖い怖い怖い怖い。
強ばる身体が、鞘を抜かせない。
刻々と、〈死〉が迫りくる。
サニーはそれを、ただ見ることしかできない。
「嗚呼、ようやく裁きを受け入れてくれるのですね。そうです、魔族は死ぬべきなんです。死んで殺して縊り殺して吊し上げて晒さねばならない。火に弔い浄化して、炭を磨り潰して、地の底に封じねばならない。経験なる神の子として私は申し奉る。世界に祝福あれ」
〈死〉が、剣を振り上げた。
サニーはナイフから手を離して、両手を握り込んだ。
祈るように目を閉じた。
〈死〉を受け入れるためでなく、〈死〉の瞬間を見るのが怖かったからだ。
振り上げられた剣が、サニーの世界を終わらせようとしている。
その瞬間はすぐにやってくる。
……はずだった。
一向に訪れない終焉に、サニーが恐る恐る目を開けると、そこには胸を二本の剣で貫かれた騎士が立ち尽くしていた。
ヒタリ。
そんな音を立てて、赤い血が剣から滴り落ちてゆく。
膝から崩れ落ちた騎士。
見下ろすのはビリーとシェリーだった。
「作戦名、死化粧に針を添えて」
「意味は、トドメの瞬間を狙え。隙だらけだったよ、狂信者」
頽れた騎士は膝をついたまま、力なく座り込んだままだ。
終わった。
そう思った瞬間、騎士の態度は豹変した。
「そうですか、そうですね。やはり神は私に試練をお与えになった。救いをもたらすには尋常であってはならない。人の身に甘んじている限りは、真に祝福などお与えにはならない。悪しきものには罰を。弱きものには祝福を。敬虔なる神の子として、果たすべきは征伐の証を。この程度では生温い。もっともっともっともっと、業火で焼き尽くし、世界を赤で染め上げるべき!! 神はそう言っている! もっと凄惨な辱めを! 邪悪なるものに制裁を!! ハハハ、ハハハハハハ、ハーハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
狂信者は狂った。
己が魔力を炎へ変換し、残る空間全てを、火の海で埋め尽くした。
抱え込んでいた魔晶石に着火でもしたのか、その身体から猛烈な爆風が吹き荒ぶ。
尖塔を封じていた結界ごと吹き飛ばし、大聖堂ルセリナの防備を欠く事態にまで至っていたが、狂信者は果たしてそこまで考えていたのかどうか。
戦略図を大きく塗り替える規模の爆発のなか、生き残ることなど到底できようはずもない。
が、しかし――。
――
――身体が燃えるように熱い。
魔族の少女、サニーは押しつぶされるような不快感のなか、目を覚ました。
倦怠感に苛まれながら、眼を開けると、飛び込んでくるのは瓦礫の山。
ついに崩れた尖塔を、炎が包み込んでいた。
思い出したのは狂信者。
あの変貌した騎士が、自分を殺そうとした。
初めて受ける明白な殺意に、サニーの心臓は思い出しただけで再び竦み上がってしまう。
助けて来てくれた魔族の仲間は、何処へ……。
視線を巡らすと、自分の背後に満身創痍の二人がいた。
「ビリーさん、シェリーさん……ッ?!」
呼びかけると、二人はそれぞれに顔を上げた。
その声に活力はない。
先程までの快活な印象は、嘘のように消えてなくなり、かろうじて聞こえるのは今にもかき消えてしまいそうな弱々しい吐息だけだった。
(ミケのこと、頼むよ)
(サニー、ちゃんと救えなくて、ごめ――)
二人の声はほとんど聞き取れない。
蚊の鳴くような声で、受け取れた遺志はわずか。
戸惑いの渦巻くサニーの胸中を無視して。
仲間の二人は、倒れ込んだ。
シェリーの横顔は今までに見たことがないような優しい表情で。
ビリーは悩み事もなにもないような健やかな寝顔のまま。
もう、動くことはないのだろう。
去来する感情をどう処理していいか分からないまま、サニーはただ涙を流し続けた。
燃え上がる炎はまだ満足していないのか、衰える様子は伺えなかった。