第二十羽(破)⑦
炎は尖塔を這うように燃え広がり、退路を塞いでいた。
サニーを庇うようにシェリーとビリーが立ち塞がる。
狂信者は騎士剣を構えて身を低くしている。
守りに重きを置いた構えだ。
わざわざ言うまでもなく、時間稼ぎが目的か。
二人の魔族は同時に詠唱を開始する。
合成魔術。
二人の編み出した最強のコンビネーションが、大きな波涛となって、今にも全てを飲み込まんとしていた。
大魔術を嫌ったのか、狂信者は外套の内側から短剣を飛ばした。
短剣はあやまたずにサニーへ飛びかかり、ビリーが詠唱を中断してそれを弾き飛ばした。
「面倒な手を使うみたいだね」
「それはお互い様というものでしょう」
「だったら、こっちも手を変えるだけよ!ビリー、時計の針は止まらないよ!」
この符牒の意味するところは、波状攻撃。
長針が、短針が、秒針がそれぞれ止まらないように、三人がそれぞれに攻撃を仕掛けるというもの。
ここにはミケがいないが、だからといってやることは変わらない。
シェリーとビリーが続けざまに攻撃を仕掛ける。
休まる隙を与えない。
相手の体力を枯らし、一気呵成に畳み掛ける。
そんな様子を狂信者はニヤリと嗤いながら、観察する。
流れるような連撃に狂信者は押されている。
やがて、弾かれた剣を縫い止めるが如く、シェリーの細剣が狂信者の腕を貫いた。
今度はビリーの剣が狂信者の首に狙いを定める。
そこで。
狂信者が砲声を上げる。
腕を細剣に貫かれたまま大きく振り回した。
吹き飛ばされたシェリーがビリーに衝突して、二人の連携は大きく崩れた。
そこへ狂信者の魔術が炸裂する。
『顎を剥け、跳梁せし獣……』
放たれた光の矢がザクザクと地面に突き刺さる。
射線は徐々に上がり続け、二人の足元へと大量の光弾が降り注いだ。
狂信者は嗤う。
呪いを振りまくように。
何かを忘れようとするかのように。
瓦礫が舞い上がり、二人の魔族の姿が消えた。
煉瓦の山に飲み込まれたであろう二人の生存は絶望的か。
言葉を失ったサニーだけが、ただ呆然とその光景を見つめていた。
炎は、濛々と全てを飲み込もうとしていた。
――
魔王軍の進撃は早い段階で知られていた。
もとより隠す気もなく、隠しようもなかったというのが実態だが、それは王国軍に対策を講じさせる事態にもなった。
旧トータス領から出撃した軍勢はまっすぐに王国領を目指している。
王都の正面には聖都ルセリナがある。
魔王軍の目的は間違いなくここしかない。
封印の儀式を行う前に、制圧するつもりなのだろう。
これを防ぐために、聖都にはすでに防備が張られており、王国軍が陣を敷いてこれに対抗する手はずとなっている。
聖都の正面。
かつて多くの巡礼者が踏みしめてきた平原には、今は王国軍の野営が設けられていた。
両軍がぶつかり合うまで、あと数刻といったところか。
待ち受ける王国軍の顔には、緊張の色が見え隠れしていた。
馬上にて、黙々と前進を続ける黒鎧の偉丈夫は、わずかに鼻を鳴らした。
「ふむ、軍師の言うことはいまいち理解ができぬ。我が軍勢ひとつあれば、鎧袖一触であろうが。……かような策など、必要ないだろうに」
魔王は不満げだ。
聞き咎める軍師もいなければ、魔王に意見するような器の人物もここにはいない。
魔王は独り言を続ける。
「我が剣を振るうまで、生きていてくれよ人間ども……」
その声にはわずかな寂寥の念が込められていた。
――
一方、王都の反対側。
王国軍の陣すら敷かれていない方面にも、常駐する王国軍の監視の目があった。
伏兵があれば本陣へ伝令が走るし、小勢なら殲滅できる戦力だってある。
だが、まだ進撃の兆候は見られなかった。
物見の騎士の視線にも映らないようなささやかな何かが、木々の合間を横切るのだが、それに気づく者はいない。
もしそれに気づけていたら、戦況は変わっていただろうか。
それとも、それすら飲みこんで、蹂躙してしまっていただろうか。
……ノソリ。
そんなささやかな音が。真綿を占めるようなゆっくりと、しかし着実な前進をもって忍び寄っていた。
影は静かに夜を待っていた。
……ノソリ、ノソリ。
影が少しずつ増えてゆく。
地面から手が伸びる。
起き上がる屍体が、骨が、亡骸が。
影のひとつが息を吐いた。
異形の中でひとりだけの生存者。
いや、たったひとりの〈死者〉が。
軍勢となって、街を蹂躙するのだ。
〈死者〉の黒い眼窩に、暗い光が宿る。
明日、王都は地獄を見るだろう。
――
そして、もう一方の軍勢は、すでに街に忍び込んでいた。
見張りを仕留め、伝令を吊るし、目撃者を封じた。
徹底した殺戮。容赦のない暴力。
シンが率いる暗殺部隊だ。
住民はまだ気づいていない。
信頼する騎士がすでに息絶えているなど、すぐそばで魔族が刃物を光らせていることなど、知りもせずに。
魔王軍の準備はすでに整っていた。
軍師の敷いた計画通りに状況が進んでいる。
王国側にはそれを察する人物がいない。
唯一予測できる可能性があるとすれば賢者だったのだが、すでに拘束され連絡手段すら持っていなかった。
もしこの状況から覆すだけの駒を持つ人物はおよそひとりしかいない。
勇者も王者も把握しておらず、魔王軍にも動きを察知されていない人物。
ツバサ一行だけがこの状況をひっくり返せる駒だった。
当の本人はそんな事態を露ほども理解しないまま、リチアの身体にしがみついていた。
――
やがて、火を放たれた尖塔のひとつが、崩れ落ちた。
狂信者が魔族を巻き込んで殉職した。
まるでそれを皮切りにしたかのように、いくつもの戦いが始まった。
魔王と国王と、それ以外のなんらかの思惑を孕みつつ、戦争が始まった。
今後書き直しする際には、この回までを(序)で区切ろうと思います。
次回より本格的な戦争になる予定です。盛り上げられるようがんばります。