第二十羽(破)④
〈軍師〉マルスは眼鏡をくいっと持ち上げた。
「門の一つがわざとらしく開けられた……。ま、十中八九罠でしょう。……そこは放っといて構いません。なに、勇み足の部隊がひとつふたつ巻き込まれるでしょうが、大局には影響しませんよ」
そんな言葉に〈魔王〉は大仰に頷いてみせた。
「うむ。なあに、門とは忍び込むものではない。抉じ開けるものよ!」
ハッハッハッ! とふんぞり返って笑う君主に、軍師は肩を落とすことしかできない。
「貴方に話を振った私が愚かでしたね。しかし、貝のように閉じこもったところで時間稼ぎしかできないことは、火を見るより明らか。何か策があるのか、もしくは何もないのか……」
案じる軍師を、魔王は笑うばかりだ。
「ムハハ! 不安を覚える必要はないぞ、我が軍師よ! 我らが全軍をもって、殲滅するのみである!」
そんな大言を軍師はぞんざいにあしらうことができない。
確かに一理はあると思わずにはいられないのだ。
それくらいには、この大男の武勲は優れているし、それこそがこの男を最大限に活かす方法なのだと、自ずから理解しているフシもある。
「……そうですね。やはりそれが一番効果的ですか……」
軍師マルスは頭を振ってよぎった不安を打ち消した。
これで本当に終わってしまったら我らの悲願は達成できない。
しかし、打つ手は他にも打ってある。たとえば、三使の一角を落としに行った、とある〈精神術士〉の一族だとか。
「ようし、ならばいざ征かん! 人間どもよ! せいぜい我を愉しませてみせよ!」
石畳すら震わせるような大音声に、マルスは目を眇めた。
「さて。これで動きやすくなったでしょう? せめて役には立ってくださいよ、……角無しの役立たずさん?」
――
そして、人族側では。
ロサーナの暗躍を阻止するために、キャシーへ刃を突きつける賢者がいた。
ロサーナはキャシーの殺害を狙っている。
だが、それには一定の条件が必要だというのが賢者の見解だった。
ならば前もって殺してしまえば……。
メチャクチャな論理だが、反撃の手としては有効なはずだった。
リスクは、失敗した場合、人族側での行動に制限がかけられる可能性が高いことと、敵を作る可能性が高いことだった。
とはいえ、賢者というのは誤解を受けやすい立場ではある。
今更敵の一人二人で何かが変わるわけもなかった。
そして、賢者は知る由もないが、宝玉に封じ込められたニワトリ姿の賢者が危惧したとおりの事態となっていたのだった。
勇者への命令はロサーナの殺害。
それは、暗躍するロサーナを止めるための苦肉の策だった。
「悪いが、……それはできない相談だ、賢者殿」
勇者は動揺することもなく、冷静にそう告げた。
予想の範疇ではあるが、あまりにも冷静すぎる。
賢者にとっては少し想定外の反応だった。
「良いんですか、キャシーが死にますよ?」
その脅しに明確に動揺したのは、やはりロサーナだった。
「賢者様、考え直してもらえませんの? わたくしが何かを企んでいるだなんて、全くの誤解ですわ!」
何を白々しい。そう吐き捨てたい気持ちの賢者だったが、ロサーナを味方する連中は多い。
というよりも、人族全てが彼女に味方している。
不自然なくらいに、彼女は多くを虜にしている。
……おそらくは、封印魔法の一種だろう。
猜疑心の封印が可能なのかどうかは不明だが、高位の術者に効きにくいのであれば、自分だけが疑っているこの状況もおかしくはない。
だがしかし。
この状況を打開するのであれば、その方法はまっとうではありえない。
ひとりひとりを説得するようなことは賢者にはできない。
そんなコミュニケーション能力があったなら、そもそもこのような状況を生み出してはいない。
ロサーナを殺すべきか。
いや。彼女は隠していることが多すぎる。
よしんば殺せたとしても、その後に詰む。
魔王を倒すには封印魔法が必要なのだ。
彼女を殺すなら、それ以外の対処法を見出さなければならない。
まだ時期尚早なのだ。
となれば、殺せるのはそれ以外。
すでにターゲットとなっているはずのシェリーを前もって殺す。
それが有効な手であるはずなのだ。
「お前の目的は何なんです? お前は本当に魔王を封印させるつもりがあるんですか?」
苦し紛れの問いに、ロサーナは微笑んで答える。
「わたくしの望みは生き延びることですわ。そのために魔王封印が必要なのは言うまでもないことではなくて?」
その、諭すような物言いは説き伏せるようでもあって。同時にどこか嘲笑うようでもあった。
しかし、問答はそこで中断される。
飛び込んできた伝令兵が報せをもたらしたからだ。
「で、伝令! 魔王軍が動き始めました!」
時間切れを悟った賢者は静かにナイフを下ろした。
兵たちに身柄を拘束されながら、賢者は窓の向こうへ視線を向ける。
この神殿の中には、もう希望は転がっていない。
あるとすればそれは、外にしかないのかもしれなかった。
――
俊馬が平原を駆け抜けていく。
馬に乗るのは、俺とリチアだ。
手綱を握るリチアの背中に、必死の形相でしがみついている情けない男が俺だ。
しかし、言い訳させていただくなら、これは仕方がないことなのだ。
まずそもそも俺は馬に乗れない。
それはそうだ。現代の記憶しかないのだ。乗馬クラブにでも入り浸ってない限りそんなスキルは身につかない。
だから、相乗りさせてもらうしかない。
さらに能力的な問題もある。
リチアの〈凋落者の跳躍〉(イグジット)で亜空間をへのゲートを作成。現在はこの中のマイホーム内に仲間たちが収納されている。
しかし、リチアの異能単品では時間にラグが発生してしまう。誤差は数ヶ月前後。急いでいる状況でその時差はありえないので、俺がそのラグを調整する。
つまり、最低でも二人は外に出ないといけないのだ。
また、リチアの異能で飛べるのは目に見える範囲と行ったことのある場所のみ。
連続使用にも制限があるので、王都から先は馬を飛ばすしかないわけだ。
そんなこんなで俺はリチアのお腹に縋りつき、うなじの匂いを嗅ぎ続けている。
だが、これは不可抗力であり、やましい気持ちなど微塵もない。
だから許されるべきだし、責められるいわれもない。
ないったらないのだ。
「ねぇ、ツバサくん。『そこ』、大きくしたらお姉さんでも容赦しないからね」
俺は息を止めて平静を装いながら必死に愚息へと言い聞かせるのだった。
「だいじょうぶだ。お前はやれば出来る子だ。がんばれ」
わりと必死に煩悩を押し殺そうとする俺を嘲笑うかのように、リチアはこちらに振り返って八重歯を見せる。
「そうだっ! 1回で1個罰ゲームってことにしようか。これは到着が楽しみだねぇ」
そんなの、俺はちっとも楽しくないし、敗北の予感しかしない。
そんな勝負に乗るわけにはいかない。
俺は鉄の意志で辞退しようとし……。
「いっぱい誘惑されちゃうかもよ……」
ドキリ。
弾み始めた心臓が俺の呼吸を荒くさせる。
っていうか、この心音、伝わっちまってるよなたぶん……。
「……お手柔らかにな」
……結果だけ伝えておくと、俺は15回分の罰ゲームを背負い込む羽目になるのだった。