第二十羽(破)③
その騎士の名は、ローランという。
金髪の若い騎士は、気の弱そうな面持ちで詰め所を訪れる。
その彼を、仲間の騎士たちは遠巻きに見つめるだけだ。
ささやき声が彼の耳にも届いた。
曰く、「狂信者が来たぞ……」と。
ローランの家族は、魔族に皆殺しにされた。
笑いながら家族を手に掛ける魔族を見た日から、彼の性格は変わった。
精悍な顔立ちの騎士団長の姿はそこにはなかった。
あるのはただ、全てを諦めたかのような覇気のない顔立ちの騎士の姿だった。
初めから魔族を憎んでいたわけではなかった。
むしろ最初は同じ人として、尊重すべきだとすら考えていたはずだった。
そんな感情も全て、家族の死とともに消え失せてしまう。
それからの数年間は狂信者さながらに魔族を斬り殺し続ける毎日だった。
ただひたすらに無感情に、魔族を斬り伏せる日々。
それもようやく終わる。
そう思えば、久しぶりにかつての自分に戻れたかのようだった。
……それは、かつてのように魔族の娘にパンを分け与えたからだった。
これほど穏やかな気持ちが戻ってくるなんて、これはきっと神の思し召しだろう。
彼はそんなふうに解釈した。
嵐の前の静けさのように、決死の覚悟を持ったからこそ、久しぶりにあの頃のような穏やかな気持ちを思い出すことができた。
そう思うと、先程の魔族の娘に感謝の念を抱いた。
そして、一抹の不安も覚える。
――せめて、あの場所に。……あなたが現れませんように。
騎士は、ささやかに祈りを捧げた。
叶うことのない祈りを、神に捧げるのだった。
――
それはともすれば滅茶苦茶な罠だった。
いや、罠だとか策だとか、そういった呼び名が適切だとは思えないくらい不適切な計画。
こんなものを実践する指揮官は、よほどの無脳か。あるいはただの狂信者か。
魔族共の狙いは城壁の無効化。
城壁を潜り抜け、内部への侵入を果たすだめの入り口を欲している。
ならば、開門すれば良い。
それで魔族を誘き寄せる。
誘き寄せるためには、隙を作ったほうが良い。
そのために野営地設営を任せ、騎士や雇われの傭兵たちは尖塔にある門から離れる。
そこにはあからさまな隙ができる。
空白地帯と化した城門を、放置はできないはずだ。
ここには必ず魔族がやって来る。
ローランはそこに、一人で待ち受けていた。
狂信者の、狂信者らしい策に、引っかかる魔族を待った。
愚かな魔族を、愚かな狂信者が待つ。
同胞には嗤われるだろう。
愚かな指揮官だと、後ろ指を指されることだろう。
歴史には愚者と記されるだろう。
それでも良い。
それで構わない。
何故ならばそうでもしなければ、この渇きは癒せないのだから。
もう、それ以外の選択肢など選べないのだから。
ローランは待つ。
正面の扉が開かれるのを。
ローランは待つ。
炎が燃え上がるのを。
やがて。
扉が開かれて――。
――
「ど、どうしてあのときの騎士様が……」
その、動揺した声は、紛れもなく先日見かけた魔族の娘のものだった。
予想通り、というよりは、当然の帰結でしかない。
けれども、できればその予想は外れて欲しかった。
そんなささやかな祈りも、世界には届かないというのか。
「私は悲しいのですよ、魔族のお嬢さん。あなたがここに来たことも、魔王軍に与していたということも……」
娘は慌てた様子で否定する。
「違います! 私は、魔王軍じゃ……」
「その立ち振舞、戦闘訓練を受けたものですね。今の御時世、魔族に戦闘訓練を行う組織は一つしかないのですよ」
娘は、絶望したような面持ちだ。
今までに何度も見たことのある、『ありふれた』表情。
「そんなこと、ない……ッ!」
これ以上の問答は不要とばかりに、ローランは剣を抜いた。
娘の顔に、戦慄が走る。
「私も無用な殺生はしたくありません。ですが、魔族は根絶やしにしなければ、人類を守ることができません。あなたに恨みはありませんが、死んでもらいますよ、お嬢さん!」
騎士の剣が光を纏い、魔法が発動する。
放たれた光の矢が、幾重にも折り重なって、サニーの足元に突き刺さる。
一本、一本と、徐々に近づいてくる死の矢がやがてサニーの身体を照準する。
躱さなきゃ。と頭で思っても、恐怖が足を縫い止めてしまう。
もうダメ。真っ白に眩んだ世界で、サニーは何も考えられなかった。
そんな窮地を救ったのは、猫の亜人の少女と犬の亜人の少年だった。
――
鉄の門扉は撃ち抜かれ、砂埃が巻き上がった。
少女の悲鳴は聞こえたが、果たして命は奪えたのか。
答えはすぐに分かった。
「ニンゲンらしからぬ狂った手だね。お前一人でここを守れると思ってるの?」
「頭の悪いニンゲンよね。身の程を思い知らせてあげなきゃいけないわね」
サニーはビリーに救われていた。
少年の腕の中で、サニーは瞬くことしかできない。
シェリーは片手剣を構える。
隣でサニーを庇いながら、ビリーが剣を抜く。
対する騎士は剣を身構えたままだ。
「あんた一人を殺せば、ここを起点に城まで攻め込めるようになる」
ビリーが告げると、騎士ローランは当然だとばかりに頷いた。
「数だけで有利だと判断しましたか。実に愚か。実に短慮。実に浅はかと言わざるを得ません。こちらが万全に準備をしてきたことなど、予想すらできないのですか?」
「準備? たった一人で待ち構えて何が準備よ! 死ぬ準備ができたとでも?」
シェリーの言葉に、騎士は嗤った。
「死ぬ準備……。案外的を射ているかもしれませんね」
ローランが十字を切る。と、同時に。
尖塔の頂上からけたたましい爆発音が響いた。
大型の鐘が落下し、天井から崩れ始めたのだ。
「昔話をしましょう。遥か昔、魔族を滅ぼした魔法は大規模な結界魔法だったと言います。それこそ、世界全てを包み込むような結界。一体どれほどの魔力をもってすれば適うのかすら未知数。けれど、小規模な結界ならば話は別です」
尖塔そのものが揺れている。
壁が崩れ、燭台から炎が燃え移り始める。
「今、この尖塔には結界が張られています。もはや貴方も私も、逃げ出すことは不可能。加えて、この塔には燃えやすいよう少し細工をさせていただいてます」
時折、弾けるような爆発音が響いているのは、爆発性の魔石が使用された音だろうか。
火は尖塔の壁を徐々に侵食していき、視界が赤に包まれてゆく。
「脱出する手段はありませんよ。共に燃え尽きましょう」
狂ったような笑みを浮かべる騎士。
サニーはついに泣き出してしまう。
だが、ビリーは歯を食いしばるだけで戦意を失いはしない。
「そうかな。たとえば、お前を殺せば結界は解けるんじゃないかな」
「それが適うと思っているのなら、試してみますか? 一つだけ教えてあげましょう、『結末は同じ』ですよ」
シェリーは嘲る。愚かな騎士を。くだらない状況を。一瞬でも怯んだ自分を。
「くっっだらないわ! あんたをぶっ殺して城に攻め込んでやる!!」
そうして、戦端は切り開かれたのだった。
唐突な感じってどうやったら消せるのかなぁ