第二十羽(破)②
賢者とは賢い者だ。
そんなことは殊更言うまでもないことだが、それゆえに疑いに晒されてきた。
賢者が告げる都合の良い言葉が、自分を罠に掛ける言葉ではないか。
甘い言葉に踊らされて、地位や財産を奪われるのではないか。
そんな疑念は誰にだってある。
順当な手順を省き、飛躍した結論だけを告げる既知外の存在。
それを良き隣人として受け入れられる人間は、そう多くはいないだろう。
賢者ルキウスもそういった視線を受けて生きてきた。
理解できない変人。頭のイカレた狂人。自称天才(笑)。
そんな猜疑の目にほとほと疲れ果てていたのは確かだ。
いちいち説明するのに内容を噛み砕いて、分かり易く話すことにも辟易していた。
理解されようとすることに疲弊した結果、人里離れて暮らす生活を余儀なくされたのだった。
賢者はいつだって、ひとりだった。
それを悔やんだことはなかった。
望んで手に入れた平穏だ。
心地よいに決まっている。
そして、そうやって手に入れた平穏が、再び彼を苛んでいた。
――
ロサーナは信用できない。
だが、その考えは賢者の直感による判断でしかない。
より具体的に言えば、経験に基づく判断と呼ぶべきか。
誰にだってあるだろう、言葉では説明できない感覚が。
賢者としての知識と経験が、その危険性を感じているのに、それを一般的な言葉で説明できない。
具体的な証拠として提示できない限り、彼が信用を得ることは難しいだろう。
とうに捨てたはずの信用のせいで、自分の言葉が信用されない。
それがあまりにも歯痒い事実だった。
勇者は仲間を盲目的に信用している。怪しいと感じてはいるはずだが、行動を起こすつもりはないらしい。
王者についても同様だ。全ての人間に信用される王者は、ある意味ではもっとも疑うことを知らない人間だ。
想像力が足らない。致命的な事態にも想像が及ばないのだ。
法王、商人、騎士団長に至っては論外だ。
勇者一向の行動を絶対正義と捉える法王に、一行の裏切り者を察する判断力は皆無だ。長らく戦争の失われた世界で、諜報の概念すら発想できないらしい。愚かしいにもほどがある。
商人や騎士団長はロサーナの熱心なファンだ。美女の尻を追いかけたいだけの馬鹿には、言葉を投げ掛ける労力すら惜しい。
ここに味方はいない。
もう一人の人格が興味深い一行を観察してはいるが、接続が切れて以降の生死は不明だ。
仮に生きているならもう一度近づくことで再接続ができるだろうが、それはいくらなんでも高望みしすぎだ。
接続が切れるということは、宝玉が破壊されたということだろう。
あるいは、亜空間にでも取り込まれれば切断される可能性もあるだろうが、賢者は首を振って思考を打ち消した。
――下らない妄想に駆られるなんて、どうかしているな僕は……。
――
サニーは小銭が入った袋を抱えて、街に繰り出していた。
こんな時なのに、人の往来は存外に多かった。いや、こんな時だからこそなのかもしれない。
町娘や冒険者らしき姿はほとんどなく、通るのは強面の大男や甲冑の騎士ばかり。
それは、戦時の街並みだった。
とはいえ、全ての往来が切り替わるわけでもない。
パンがなければ人は生きてはいけないのだから、こんな時でもパンは売っている。
品揃えを眺めると、サニーはため息をついた。
(……高い)
当たり前だが、普段よりも値が吊り上がっている。5割増しくらいにまで上がっているように思える。
そのうえ……。
(こんな上等なの、今まで食べたことないよ……)
庶民が日常的に食べる黒パンは、固くてもぞもぞしていて、水につけないと食べられないようなパンなのだが、ここにはそんなものは残っていない。食いでの多い戦士たちが大量に買い求めたからだろう。
その次に馴染みのある茶パンは、歯ごたえのある茶色いパンだ。平民の一般的な食事と言えるだろうが、生憎とこちらも品切れである。
残るは今まで手に取ることもなかったような白くてふわふわの白パン。黒パンと比べると同じサイズで10倍以上の値段だというのだから、空恐ろしい限りである。
というか、黒パンが安すぎるという話なのだが。(そして、更に言うなら同じ店に並んでいることがそもそも珍しいのだが……)
(……確かに、買えるだけのお金はもらったけど、なんだか緊張するぅ)
思わず尻込みしてしまうサニーだが、意を決して店員に声をかける。
「あ、あの……!」「あ、あの……!」
同時に隣から声が聞こえてきて、思わず悲鳴を上げてしまうサニー。
(何が、何が……起こったんだろう……?)
恐る恐る視線を上げると、そこには金色の髪を兜にしまい込んだ、一人の気の弱そうな若い騎士がいた。
――
「いやぁ、申し訳ない! わざわざ譲ってもらって」
若い騎士はそう言って頭を下げた。
サニーはというと、恐縮して縮こまっていた。
結局パンは騎士が買った分で売り切れになってしまった。
サニーとしては他の店で買えばいいだけなので、謝られる筋合いもないのでは、と思ってしまう。
しかし、お詫びに半分あげるよと差し出されてしまえば、思わず喉がゴクリと鳴る。
惜しむらくは貧乏性の染み込んだ自分の性分か。
しかし、幼い頃から奴隷として飼われていた身分だ。そうそう変えられるものでもない。
意を決して手渡されたパンにかじりつく。
ふわふわの食感。未体験の味わい。
これは……。これは……!!
「はむっ。ふもふもっ。ん~~~~!」
感激である。
こんな顎の疲れないパンがあっただなんて。
こんなものを毎日食べてる貴族のお嬢様は、だからこそ顎が細く育つに違いない。
これこそが美の秘訣に違いない。
鼻を抜ける匂いもたまらない。
こんなものを毎日食べてたら、身体中パンの匂いになってしまいそうだ。
これはあれかもしれない。もはや貴族はパンなのかもしれない。あるいは、パンこそが貴族なのでは……?
そんな謎理論を展開するサニーに、若い騎士は相好を崩した。
「はは、喜んでもらえて何よりだよ。ほら、そんなに勢いよく食べると喉につまらせてしまうよ?」
途端に思い出したかのように噎せ始めるサニーに水袋を渡す騎士は、随分と楽しそうだ。
「こんな時だからこそ、こんな当たり前の風景が愛おしく感じるんだ」
騎士はそう言って居住まいを正した。一時の休息は終わりだ、とでも言うように。
「願わくば、君の平穏が限りなく長く続きますように」
騎士はそう言って敬礼をする。サニーはそれを黙って見送った。
彼は敵だ。気を許してはならない。
改めてそう思い直す。
もし、戦場で彼を見ても、ためらわずに殺そう。
そう、胸に誓ったのだった。
絶賛スランプ中です。そろそろSSも再開できたらいいなぁ