第二十羽(破)【人魔相克】①
大聖堂ルセリナ。
その形状は城と言っても大差ない大きさと堅牢さを誇る。
高くそびえる尖塔が六本。その中央に大国の城と見まがうような規模の聖堂が鎮座している。
尖塔の間は城壁で囲われていて、それぞれ六方に門が備えられている。
門は普段閉じられることはない。聖堂への参拝者を断ることは教会としてはありえないということだろう。
週に一度の祝日には千人近い人々がお祈りを捧げに来る。
魔王との戦いが始まり、最近ではその数は通常の三倍以上にまで膨れ上がっていた。
決戦間近ということで、戒厳令が出され自粛モードになりつつあるがそれでも参拝を希望する者は後を絶たない。
さすがに魔族との戦闘が予測される現状としては、市民の立ち入りは許可されない。
しかし、立ち入りを拒んだところで熱心な信者は祈りを捧げに近くまで来てしまう。
それを避けるため、臨時で祭壇を建設し祈りを捧げる広場を作った。
ここはそんな祭壇を囲う広場のひとつ。
第十三臨時広場。
神官が謳を詠み、人々が祈りを捧げる。
昼時の礼拝。
午前と午後が入れ替わり、もうじき彼らは午後の仕事へと戻っていくことだろう。
大聖堂は街の中央にそびえている。
だから、非常時とはいえそれは生活の一部だ。
自粛モードになりつつあっても、全ての住民が仕事を中断するわけにもいかない。
街は止まるわけではない。
やや低速気味に流転を遅らせる程度の違い。
少し静かな午後。
そんな感想を、多くの人々が抱いていた。
――少なくとも、このときはまだ。
――
――それは、呪いだった。
目を瞑ればいつだって、思い返すのはあの感触。
ズブリ。
気持ちの悪い感触がナイフを伝って腕に感じる。
肉の割ける感触が。皮膚の裂ける感覚が。
何度も何度も蘇ってきて、私は必死に首を振った。
どうしてこんな目にあっているのだろう。
どうしてこんなことになっているのだろう。
考えても答えは返ってこない。
あるのはひとつ、圧倒的な絶望感だけ。
帰りたかった。ただ帰りたかっただけなのに。
結局私は、帰れずにいる。
私は何をしているのだろう。
私は何処に帰りたかったのだろう。
――
サニーが魔王軍に配属されたのは、つい数週間前のことだ。
望んでなったというよりは、それ以外に選択肢を思いつかない、そんな様相を呈していた。
そんな打ち明け話を明るい顔で聞き入れたミケ。
軍の所属になるといっても、その手続きにそれほど複雑なものは必要なかった。
いくつかの誓約書に目を通して、サインをしただけ。
あとは、いかつい顔をした上層部の人間と思しき強面の男がする難しい話を聞き流して終わりだ。今時アルバイトをするのだってもう少し時間を掛けるだろうと思ってしまうくらい、呆気ない始まりだった。
とはいえ、その前途は明るくない。
元々、それほど希望していたわけでもないのだから当然なのだが、帰れないサニーにはそれしかできない。
だから彼女は従うだけだ。
それ以外の生き方を、選べないのだから。
――
――『解放班』。
彼らはそう名乗っていた。
~~隊でも、~~部隊でもない適当な呼び名。
それは軍の所属ではあっても、堅苦しい立場には染まらない彼ららしい立場。
あるいは、軍にあっても民間とも取れる、軍規以外の仕事すらこなすような危うい立場。
ある意味使い勝手の良い在り方だが、その実とても不安定な在り方でもある。
状況次第では軍部からあっさりと手のひらを返されて、トカゲの尻尾切りのように見捨てられる可能性だってあるだろう。
そんなとき、彼らはどうするのだろう。
そう思って視線を上げても、そこには深刻そうな三人組の顔は見当たらない。
すぐにツンケンと当たり散らすシェリー。
愛想笑いで受け流そうとするビリー。
そんな二人の間に油を注ぐだけのミケ。
いつも通りの姿しかない。
呆気に取られるサニーに、しかしミケは「まぁまぁ」と言って肩を叩くだけだ。
「にゃるようににゃるにゃ。うちらは今の立場を都合良く使ってるし、向こうも同じ。それだけの話にゃ」
あっけらかんとしたミケに、シェリーもビリーも頷くだけだ。
彼らはそういう間柄らしい。結局同じ魔族とはいえ、全てが分かり合えるわけもない。
十人いれば十人分の価値観が存在する。
彼らは幼馴染みだと聞くし、仕方がないことなのだろう。
あるいは、自分がおかしいだけかもしれない。
不安要素を見つけては恐れ、怯え、疑うしかできない……。
そんな弱い自分がいけないのかもしれない。
サニーはそう思って、思考をそこで止めた。
止めようと努めた。
あるいは、考え続けていれば、もしかしたらその後の顛末も少しは変わったかもしれないが……。
サニーは眩しい光景に、目を眇めてしまう。
――それでも目を離せなかったのは、想い求めた何かを垣間見たからかもしれなかった。
ずっと帰郷を夢見ていた。
そんな故郷の暖かい光景が、もう帰れない故郷が思い返されたからかもしれなかった。
――
――本当は帰りたかった。
ずっと帰りたくて仕方なかった。
そのために仲間を裏切った。
怖くて怖くて仕方なかったけど、あの日、冷たいナイフを味方に突きつけたのだ。
そこまでして帰った故郷は、相変わらず暖かかった。
暖かくサニーの帰郷を迎えてくれた。
変わらない温もり。家族の手、想い馳せた自分の家、森に囲まれた寂れた村。
魔族である自分が安心して暮らせる数少ない場所。
その温もりが、サニーを苛んだ。
幸福を感じれば感じるほど、安心を抱けば抱くほど、胸に浮かぶのは疑問符だけ。
どうして? どうして? どうして?
――どうして私は当たり前のように平穏無事に生きているの?
――『仲間』を傷つけた裏切り者のくせに。
そのとき、サニーはようやく気づいたのだ。
自分が帰るために何を犠牲にしたのかを――。
――私は、帰るために仲間を手に掛けた。
――そんな穢れた私に、家族と平和に暮らす権利なんてない……。
――
そして、今。サニーは『解放班』に身を置いている。
結局、何処にいても居心地が悪かった。
胸を苛むような平和な遣り取りを見るのは辛い。
それを憧れるように見つめる自分にも腹が立ってしまう。
自分にはそんな価値なんてない。
そんな資格すら持っていないじゃないか。
サニーは、図らずも一歩そちらへ足を向けそうになりながらも、首を振って視界を反らした。
これ以上見ちゃいけない。……見てられない。
「少し周囲の様子を探ってきます。……必要なものがあれば用意してきますが……」
少し事務的な口調に、暢気な声が返ってくる。
「じゃあにゃんか美味そうにゃパンを買ってきて欲しいにゃ」
「あっ! あたしもあたしも!」
「……無理はしなくていいよ。今はお店もあんまりやってないだろうし……」
サニーは首だけ振り向きながらに、「了解しました」と返事をよこした。
満足そうに微笑むミケとシェリーに、嘆息するビリー。
サニーは少し後ろ髪引かれる思いを無視しながら、隠れ家を後にした。
今回のあとがきSSは語り部不在のためお休みです。