第二十羽(序)②
魔族の攻勢により人族から奪われた砦のひとつ。
その廊下を魔族の少年少女三人組が歩いていた。
「次の任務って何なのかしら?」
「封印の儀式が二ヶ所も達成されたらしいしね。第三の封印を妨害することになるんじゃないかな」
「それは軍の仕事じゃない?」
「……僕らだって軍の一員じゃないか。……まぁ、表立った役割はないけどさ」
快活なシェリーと温和なビリーのこんなやりとりは、彼らにとって日常の一コマでしかない。
それを微笑ましげに見据えながら、リーダー格の少女ミケは首を振った。
「ウチらには大局的にゃ戦いはムリにゃ。できるのは精々端っこから茶々入れたり妨害したりの遠回しにゃ活動くらいにゃ。当然『上』もそれは分かってるにゃ」
ミケは子供っぽい見た目、言動に反して視野が広い。それゆえにリーダー格に収まっているのだが、彼女はそれより上を目指そうとはしない。
いや、この三人以外の組み合わせで戦うことなど考えてもいないのだ。
それは外見通り子供っぽい考えとも言えるし、自分の力量を過信しない冷静な判断力であるとも言える。
彼女の『上』はそれを好意的に捉えているようで、それゆえに彼女は買われていた。
「どうせ、答えはすぐに分かるにゃ。ウチらは爪を研いでおくだけで良いにゃ」
そうして、ミケはためらいなく作戦室の扉を開けた。
待ち受けていた部隊長が視線を上げる。
椅子に腰掛けた厳めしい部隊長の顔を、ミケは低い身長で見下ろす。
ミケは愉快げに笑う。そんな不遜な態度を、指揮官たる上司は眉ひとつ動かさずに見つめる。
ミケは知っていた。この男が自分を高く評価していることを。
特殊な立ち位置である自分たちを好んで使っている変人だと。
だから媚びない。なびかない。
敢えて生意気に、その指示を受ける。
気まぐれに受け答えするネコのように。
男は掠れ気味の太い声で『子供たち』を迎える。
「良く来たな『解放隊』。途中で迷子にならなかったか?」
「こんにゃときだけ子供扱いするのはムカつくにゃ。だったらもっと甘えさせるにゃ」
「軍に子供は在籍できない。甘えたければ家に帰るんだな」
「帰る家があるならそうするにゃ」
「ならば帰る家を手に入れるために魔族を解放しよう。可能な限り迅速に、な……」
部隊長とミケの形だけの睨み合いが終わるのを見計らって、シェリーが前へ出た。
「あの、部隊長。解放の任務は、ないんですか? あたしたちはそのためにここに居るんです」
男は腕章の突いた太い肩を竦めた。
「……今までの任務は、いわば場当たり的な解放に過ぎない。一人一人を奴隷から解放して所持者を殺すくらいでは、世の中は何も変わらない。もっと大局的な行動が必要だ。そのために何をするべきか。何が一番効果的か。……分かるか?」
今度はビリーが前へ出た。
「封印の儀式を阻止すること……。そこで勇者たちを仕留められれば、今後魔族に逆らう存在は誰も居なくなる……」
男は頷いた。
「……結局はそれが一番の早道だろう。貴族だろうが何だろうが、奴隷を匿えないような世の中を先に作ってしまえば、やつらはそれを手放さざるを得なくなる。魔族解放に一番近いやり方はこれだろうな。……幸い魔王様は第三の封印であるルセリナ大聖堂への攻撃準備を進めている。そしてそこに最大戦力をつぎ込むそうだ。この戦いで、俺たちの苦労は報われるだろう」
シェリーとビリーは上司の前だが、顔を綻ばせていた。もちろん、それを咎めるような部隊長ではない。
だが、ミケだけは冷ややかな態度を崩さない。
「それで? 具体的には何をするにゃ。大軍に混ざるにゃんてできっこにゃいにゃ。あんたはウチに何をさせたいにゃ」
そんなミケの発言が面白かったのか、男はここに来て初めて笑みを浮かべた。
獰猛な鷲のような、狩猟者の眼。
「ふっ、お前たちには相応しい戦いの場を用意してある」
「ふぅ~ん、面白いにゃ。本当に相応しいかどうか見定めてやるにゃ」
二人の剣呑な視線が交錯した。
――
――歴史は転換点を迎えていた。
人族転覆を狙う魔族たちと、魔族封印を掲げる人族たち。
封印の正体すら掴めぬまま、伝承のままに儀式を進める勇者たち。
その選択は、仕方がなかったものなのだろう。
魔王を名乗るその男が持つ力は強大で、人族最強の戦力である勇者ですら手傷も負わせられなかった。
ならば封印するしかない。――それは必然の選択でしかなかった。
それに異論を唱えるような異端者など、世界には一人もいなかった。
――だが、それゆえに人族は大きな過ちを犯してしまう。
それは精巧に形作られた罠だった。
全ては遙か昔、魔族の敗北と同時に仕組まれた罠。
悠久の時を経て、生み出された結末。
それでもなお、人々は憤ることだろう。
その結果を予期できなかった愚かな〈勇者〉たちを。
自らが盲信していた相手を、手のひら返しで糾弾することになる。
〈愚者〉と呼ばれた男の物語は、ここから始まる。
全てはそこから、終わりが始まる。
――永遠の黒。
世界から断絶された牢獄の世界。
封じられた永久氷結の空。
生命を育まない死の大地。
全てを呑み込む虚ろなる海。
かつての栄華を滅びの色に染め直された城壁の中。
純黒の髪の青年が一人、鎖に繋がれたまま死んだように眠り続けていた。
その正面には、同じような鎖に縛られた壮年の男が蹲ったまま静止していた。
漆黒に包まれた世界では、動く者など皆無であった。
封印に鎖された空間には、ただただ永遠の終わりが広がっていた。
日が昇ることもなく、死ぬこともなく、崩壊すらもない。
ただ永遠に動かない。
死と同義の空間だけが、そこにあった。
光源もない、永遠の闇。
頽れた城塞が、滅びの世界を彩る。
二人の周囲の破壊痕が、その戦闘の激しさを物語る。
終わった世界。終わったままであるべき世界。
封印に鎖された世界。封印に鎖されるべき世界。
それはもはや、誰も知らないことだった。
封印が未だ正しく機能していたことを。
封印すべき者は、正しく封じられていたことを。
〈魔王〉を名乗る存在を。
たったそれだけのために、全てを捧げた者たちの存在を。
本当に恐れるべき、真の恐怖の存在を。
人々は、まだ知らない。
ぬらり。
動くわけもない死んだ世界で。
這いつくばる男の瞳に、意思の炎が宿ったかのように。
僅かな光が揺らめいた。
錯覚としか思えないそれは、果たして本当に嘘なのか。
この世界にそれを知るものは一人もいない。