第十九羽⑮
〈イシスズ・スローン《ザ・カタストロフィ》〉の最期の一撃が大地を揺るがした。
それは大陸そのものを大きく振るわせ、地形すら塗り替えた。
断崖絶壁の進入不可エリアを数多く持つ〈碧宝貝峰〉のなか、実に四分の一近くが崩落した。
山頂も含めて崩れ落ちたため、その美しい風景すら一日にして別物と化すことになった。
その崩落に巻き込まれたからなのかは不明だが、そこには数多くの冒険者たちが『たまたま居合わせていて』、死傷者の数は百人に上るとすらされていた。
実際のところ、それは魔族が殺傷したものなのだが、情報が錯綜しており真相を知るものはほとんどいなかった。
そして、その渦中にいたであろう中心人物、勇者アルスたちの足取りを知る者もまた少なかった。
そこで起きた事件か事故か、それすらも分からぬ出来事は歴史上は事故として記されるものの、記載される情報は少なく後の歴史家たちは頭をもたげることになるのだが、それはまた別の話。
勇者たちはその頃、重大な局面に立ち会っていた。
――
〈勇者〉アルスが〈気狂い〉ルイスとの一騎打ちのさなか、崩落に巻き込まれて多くの岩盤と共に落下していった。
それを眺めるしかできなかったロサーナとアシュレイだったが、一度始まった崩落は不安定だった足場をことごとく粉砕した。
崩落は伝播し地割れが術士二人を巻き込んで尚も加速するなか、ロサーナとアシュレイは揺れに吹き飛ばされないよう蹲るだけで精一杯だった。
数分の揺れが収まり、ようやく顔を上げたロサーナの目には、今にも崖から落ちてしまいそうなアシュレイの姿があった。
「アシュレイくん?! 今、助けますわっ!」
慌てて駆け寄る黒肌の美女。だが、少年はそのままずり落ちるように断崖へと吸い込まれていった。
手を伸ばしても間に合わない。そう悟ったロサーナは封印術を行使。
空間の行き来を封印し、強引な足場を作る。
〈魔族封印〉とは別の〈汎用封印〉の術式である。
走り寄り安堵の表情を浮かべるロサーナと、そして何故か憎々しげに表情を歪めるアシュレイ。
それはどこか余計なことをされたとでも言いたそうな顔だった。
「あら? 一体どうしまして?」
「白々しいことを言うんですね、ロサーナさん。……その〈封印術式〉、元々は『僕の身体』を標的としていた。……違いますか?」
崖の上と、崖のすぐ下の中空にて二人は見つめ合う。
やがてにらめっこで根負けしたように、ロサーナはクスクスと笑い出す。
妖艶な美女は柔和な表情のまま、視線だけは笑っていなかった。
「……やっぱりそうですわね。あなたはジェラルドさんとは察しの良さが段違いですわ。だからこそ警戒を厳重にしておいたのですが」
「……ということはやはりジェラルドさんもあなたの毒牙に掛かったということですか」
「わざわざあなたに答え合わせは必要ないでしょう? けどこれだけは言わせていただきますわ。殺したのは〈死者〉ハサドですの」
「それがあなたの差し金だった、とそういうことなんでしょう?」
アシュレイの問いに、ロサーナは笑うことで答えとした。
アシュレイは歯噛みする。
「疑惑は最初からありました。けど、確たる証拠もなかったし、動機も不明……。だから様子見に徹するしかなかった。けど、それは間違いでした。多少強引にでも暴くべきでした。そうすれば……」
「愛しのキャシーさんも攫われずに済んだかもしれませんわねぇ……。まぁ、今更な話ですけれど。でも、安心してください。彼女はまだ無事ですよ、だって次の神殿に辿り着くまでは殺せませんから」
仲間の変貌にアシュレイは困惑していた。けれど、予測していなかったわけではない。可能性が低かっただけでありえる話ではあったのだ。
だからこそ努めて冷静に平静を装って、会話を続ける。
「……ひとつ教えてください。何が目的なんですか? 封印の儀式を進めて、〈三使〉を殺す。あなたの行動はあまりにもちぐはぐです」
「そうですわね、ではひとつだけ答えてあげましょう。祭壇の起動条件ですが、実は判明している方法はたったひとつしかありませんの。我々〈魔族封印〉の術士はそれを秘匿していましたが、最期ですしアシュレイくんの頼みとあらば断れませんもの」
美女は、愉しそうに口元を緩ませた。
「祭壇の起動には〈三使〉の血液が大量に必要なのですわ。だからあなたには死んでいただきますの」
「ジェラルドさんを殺したのは、そういう意味ですか……」
隠匿されるわけだ……。とアシュレイは納得した。
そもそもそんな方法でしか封印を起動できないだなんて相当馬鹿げている。だが、魔族封印という大義のためならそれもやむを得ないことなのかもしれない。
だが、その言葉にそれほどの信憑性があるかどうかもそもそも不明だ。あくまでこの女の言い分に過ぎないのだから。
とはいえ、祭壇の起動は〈封印術式〉の〈三使〉であるロサーナにしか分からないのだ。
「ところで……、こちらからも質問してもいいですの、アシュレイさん?」
「……何かな」
口を動かすことで時間を稼ぎ、逃げる手段を、生き延びる方法を考えねばならない。
アシュレイは深呼吸をして声を絞り出した。
「……参考までに聞きたいのですが、いつからわたくしの裏切りに気づいていたんですの?」
「………………、違和感そのものは最初からあった。けど、明確になったのは僕に魔法を使おうとしたついさっきのことだよ。僕は〈自然術師〉の〈三使〉だからね。術そのものに関しては感覚が鋭敏なんだ。だから僕に対して術式を掛けようとすればそれは察知できる。……それが悪意に基づくものであれば尚更ね」
逆に言えば自分に術式が向けられない以上察知は困難ということだ。
それゆえにジェラルドを殺すことを阻止できなかった。
もし、アシュレイがジェラルドに掛けられた麻痺薬を、その仕組みの根本に根ざしていた封印術の残滓を読み取れていれば、あるいはジェラルドを救えたかもしれないのだが……。
そこまで細かく殺人手法を解き明かしていないアシュレイには、まだそこまで深い思考には至れなかった。
「……違和感については、僕の性格と現状を比較して早い時期に把握していました。だって、僕は用心深くて疑り深い性格です。唐突にパーティに入ってきて仲間を一人追い出した人間を、普通は信用しないでしょう? それなのにアルスも含めて僕までも違和感を抱かなかった。それこそが異常だと思ったんですよ。『自分に不信感を抱かせないよう』、封印術式で思考の妨害を行っていたと考えれば辻褄は合います」
「凄いわね、名探偵だわ」
「……いえ、封印術がそこまで応用の利く魔法だと知ったのは、あなたが警戒心を抱かせてくれたからですよ。それまでは知らないことでした」
アシュレイにはまだ分からないことがあった。
ロサーナは〈魔族封印〉の術式と〈汎用封印〉の術式が使える。〈三使〉の一人でもあるのだから当然だ。
警戒心を抱かせないよう〈汎用封印〉を用いて勇者一向に取り入った。そこまでは良い。
祭壇の起動のため、〈三使〉を殺害した。そのために魔族を呼び寄せた。
ここが不明だ。彼女が魔族と繋がっているのなら、封印の儀式を進めさせているのは何故だ? 魔族の目的とは一致しない。
魔族の所為にして、自分で殺した。そう考えたほうが自然だ。
だが、そう考えるとここで愉しそうに笑う彼女の心理が理解できない。
封印を進められることが愉悦? 違う、そうじゃない。彼女は殺人を愉しんでいる。
封印の儀式において、必要だったとしてもそれはあくまで過程でしかない。そこで愉悦は生じないはずだ。
だとすれば、彼女の目的は一体……?
「もう時間稼ぎは充分でしょう、アシュレイくん?」
アシュレイは舌打ちをひとつすると、身構える。
そして、術式の発動ができないことに気づいた。
「アシュレイくん、あなたが作戦を考えている間に、わたくしも準備を進めておりましたの。得意の魔法、もう使えないのでしょう?」
封印とは一定領域の不可侵である。
魔法の理論が生命力を体内の魔力炉で燃やし魔力を生み出すことなら、その領域を不可侵にすれば魔力の行使も阻止できる。
高度な術ではあるが、ロサーナの技量を以てすれば些かの支障もない。
更にアシュレイの足場の空間封印を改変、アシュレイの手元へ移動させ簡易的な手枷へと変更する。
持ち上げたアシュレイをそのまま安定した足場へと移動させる。
いざという時に自決覚悟の攻撃をされると血液が手に入れられなくなってしまう。
それはロサーナとしてはまず避けたいところだった。
「あなたは勝ち誇っているようだけど、ひとつ良いことを教えてあげます。どうして僕がこんなにべらべらと言わなくても良いことまであなたに話してあげたのか。それは死を覚悟したからじゃないですよ」
きょとんと、首を傾げるロサーナ。
アシュレイは緊張を噛み殺して獰猛な笑みを浮かべる。
「勝利を確信しているからですっ!!」
〈自然術師〉。
そう呼ばれている者たちの魔法術式は、他の術師と違う点がひとつだけある。
それは、魔力炉を用いた魔法以外の技法が存在するということ。
魔法とは本来、生命エネルギーを自然エネルギーに変換し、行使する技術のことだった。
しかし、より変換効率の高い魔力エネルギーが開発されたことにより、魔法技術は飛躍的な進歩を遂げる。
いつしか生命エネルギーを直接自然エネルギーに変換する技術は失われてしまった。……とある流派を除いては。
〈自然術師〉の〈三使〉だけはその技術を残していた。
魔法術の始まり、方術と呼ばれるその術を。
魔力を生み出せない身体から、ありえない術式が発動する。
驚愕に歪むロサーナ。凄絶な眼光で敵を睨み続けるアシュレイ。
そして、生み出された爆炎が、術師二人を包み込む――。
あとがきSS
『なぜなに賢者てんてー! ぼりゅ~むわんっ!』
やれやれ、どうして忙しいこの僕がこんな質問コーナーなんてものをやらなきゃいけないのかな?
最近はツバサくんにも呼ばれなくなったし、ようやく惰眠を貪れるかと思ったのに、酷いもんだよ、まったく……。
え……? なんだって? 勇者サイドのお話はリチアせんせーにお願いできない? なんでだよ、もう。
話の整合性とか、気にするのも今更ってものでしょう? 何寝言言ってるのさ。
しょうがない、ぼやいてても仕方ないし、30秒で終わらせるとしようかな。
というわけで、ゲストはアシュレイくんだよ! 同じ僕っこだし、被るからイヤなんだけどね。
「……こんなのと同じ扱いは僕だってゴメンですよ」
こんなのってなんだ、こんなのって!
「ちょ! つつかないでくださいよ! うわっ、羽根が! 埃っぽい!」
埃っぽいだと! この麗しい羽根が! 埃っぽいだと! 歯ぁ食い縛れテメェ!
「ゲホゲホ……。もう帰っていいですか」
まだ来たばっかりじゃないか! バイト初日のクソガキみたいなこと言ってるんじゃないよ!
決め台詞出して格好つけてたけど、最後のアレ、どう見ても自爆攻撃してるしさ! 何が勝利を確信しているだよ! 僕は敗北を確信しているよ!
「勝利条件の話はしていないじゃないですか。そもそも死体が残らなければ勝ちですし、敵を倒しても勝ちです。僕にとっての負けは、死体を残して血液を利用されることと、敵が生き残ることですよ」
……随分と緩い勝利条件だし、そもそもそれでも負けそうなんだけど、まぁいいや。せっかくのゲストだし、ここは花を持たせてあげよう。なんて僕は優しいんだろう!
「そういうあなたこそ、出番がなくて敗北的ですよね。……賢者さまの見せ場っていつ頃あるんですか?」
あるよ! いっぱいあるよ! 少なくとも君よりかはね! 見たまえこの立派なアヒル口を! 老若男女ほっとかないだろう! どうだい?!
「……僕には良く分かりませんけど。……キャシーさんの出番には期待したいですね」
まっしぐらか! 恋愛まっしぐらか! ええい、このすけこましの唐変木! チビ! クソガキ! 根暗! 陰険! もやし! 色白! チェリーボーイ!
「……いくらかはあなたにも当て嵌まると思いますが……」
きぃ! 聞いてれば生意気言いやがって! 覚えてろよ! 作者に言ってお前の運命メチャクチャにしてもらうからな!
「いくらなんでも横暴ですよ。あと、作者ってなんですか?」
うるせえ! お前なんか薄い本で筋骨隆々のマッチョメンに後ろからブチ犯されればいいんだ!
「……相変わらず何を言ってるのかは分かりませんが、ともかく酷い罵倒をされてるのだけは分かりました。こういうときはこうしろと、とある方からメモをもらいましてね……。えっと…………」
ちょっと! 待ちたまえ! 何をしているのかな! 僕の可愛いあんよを、どうしてそんなに強く引っ張るんだい? どんなに可愛くても取れないよ! 引っ張っても無駄だよ! 無駄なんだって、伸びないってば! フラメンコとかの足とは違うの! そんなに長くないんだってば! それゆえに可愛い――って、だから聞けよ! 伸びないの! 伸びないってば! 動物愛護団体から訴えられても知らないぞ! 伸びないって! 伸びないから! あ、ああっ! アッーーーーーーーーー!!!!
「……へぇ、23㎝か……。意外と伸びるものなんですね」
………………ぴくぴく。