第十九羽⑭
それは翌朝のこと。
俺は極上の夢心地で目を覚ました。
最初は夢を見ているかのようだったが、段々と時間を経るにつれて感覚が覚醒していった。
徐々に意識がはっきりとしてきて、目が冴えてくる。
俺は枕より快い感触のうえに頭を乗せていて、ふんわりと撫でるような感触が額にあった。
澄んだ声の鼻歌が聞こえてきて、それが少しばかりくすぐったいような感じがする。
それは、夢のような目覚めだった。
「おはよう。よく眠れたか?」
「ああ。目覚めるのがもったいないくらいだ」
「ふふ、そうか……。それじゃあ、もう少しばかりゆっくりすると良い」
アリシアはそう言うと、また俺の額を撫で始めた。
どうやら俺は寝ている間に膝枕をされていたらしい。
そのうえ、アリシアは機嫌良くハミングしていて、子供をあやすみたいに頭をポンポンと撫でていた。
童心に帰った心地だが、悪い気分ではない。
毎日こうやって起きれたら幸せだろうな、なんて思っていると、
「毎日こうやってあなたを起こせたら、それはなんて幸せなことなんだろうな……」
などと俺が思ったことと全く同じようなことをアリシアが呟いていた。
チョロインここに極まれり。
「これから何度でもできるだろ」
「…………そうだな」
アリシアは少し躊躇ってから、そう返した。
まだ迷いがあるのだろうか。
てっきりもう従者になると決めているのかと思ったんだが、違うのだろうか。
「……少し休んだら朝食にしよう。家畜小屋のほうで新鮮な卵が取れたのだ」
「……ペット小屋のほうのじゃなければ、安心だな」
「シロ殿もホワイトテイルのテイ殿も卵は作らんではないか……」
言われてみればそうだな。
厩舎にはペットの他、家畜も作られ始めたので、食事事情はかなり充実してきている。
おかげでマイホームでのご飯は毎食素晴らしい出来映えとなっている。
世話はルリが張り切ってやってくれている。マメで気が利く彼女の性格は厩舎の管理に最適で、ペナルティとして課したはずなのに最高の結果を叩き出している。
そのぶん、大切に扱わないと文句を頂戴することになるわけだが、それくらいは許容範囲だろう。
そんなこんなでまったりと一日が始まった。
従者になるか、人として死ぬか。
いずれにせよ、人間としては最期になるアリシアの一日は、そんなふうにして幕を開けた。
――
アリシアの従者化は、本来行われないはずだった。
呪いという予定外の事態さえなければ、現状の仲間たちの従者化は行わずに済ますはずだったらしい。
それだけ危険な旅に巻き込んだことは事実なんだが、かといって『なぁなぁ』とか『なし崩し』的に従者化を行うわけにはいかない。
今後永遠に人として生活できなくなる。
それはその場の勢いとか流れに任せて決めるようなものではない。
だからこそ、提案することもなかったし、促すような真似さえもしない。
それが以前からのツバサ一行のやり方なのだそうだ。
それはなんともご立派だし正論ではあると思うのだが、いざ仲間が死んだ瞬間にそれを打ち明けて手順通りに従者化ができるとも限らない。
某運命の物語みたいに水没する施設に取り残された悲劇の剣士とか、頭を食われてマミられた魔法少女とか、そういう死に方をしていた場合、土壇場での従者化は不可能だろうし。
それを考えると、あまり支持できるやり方とも思えない。
『永遠の生』というものがそれほどに忌避すべきものなのかもしれない。
……まぁ、想像くらいはできるけど。
烈火のなんとかみたいな作品では地獄だなんだと例えられていたし、某ルシス王家の飄々とした宰相さんが不死だったりしたのは、ちょっと方向性は違うが地獄のような人生だっただろう。
どうにも納得はしがたいんだよな。フェアじゃないというか。
ナズナもルリも話せばすぐに従者になりたい、一緒にいたいと言ってくれそうだが、そういう動機で決断するのは間違っているのだろう。
だけど、彼女らを置いていけるのか? それが本当に正しいのか?
それもまた違うような気もする。
……けど、とりあえずその話はまだ置いておこう。
明日、必ず死んでしまうアリシアだけは、まず先にどうにかしなければならない。
その後のことは明日の俺に丸投げしよう。
そうして、俺たちは従者化の儀式を執り行うことになった。
――
舞台は整えられていた。
庭に描かれた魔方陣から光芒が放たれている。
魔方陣の中央には術者のリチアが詠唱を続けていた。
リチアの服装はいつもの冒険者ふうのラフな格好ではなく、術者らしいローブを纏っていた。
演出というよりは、正装というべきだろう。
それだけ重要な儀式であり、覚悟を伴うものなのだ。
そのリチアのすぐ正面で、俺とアリシアが向かい合わせに立っている。
吹き荒れる魔法による気流がアリシアの長い髪を幻想的に揺らしている。
服装はいつも通りの騎士鎧だが、飾り帯やヴェールなどが着けられていていつもと比べると上品な雰囲気だ。かくいう俺も黒のジャケットに黒のズボンという正装のような佇まい。
お陰で気分は落ち着かないし、気が気じゃない。アリシアの美貌を引き立てるような服装じゃないかよ。目の前に居ると尚更緊張する。
そんなこちらの思惑とは別に、リチアの詠唱は進む。
俺はアリシアへ視線を向けた。
アリシアは視線に気づくと、硬い表情を少しだけ崩した。
それを見て、俺は少しだけ安心した。けれど……。
別に、まだ辞めようと思えば辞められるのだ。
最後、彼女が儀式を拒絶すれば、それだけでこの魔方陣は消滅する。
別にそれでもいいと、あらかじめ伝えてあった。
元々、そういうつもりで始めた儀式だ。
決断は、最後に聞こうと、そういう流れになっていた。
だから、俺はまだ彼女の結論を聞いていない。
まだ誰も、彼女の選択を知らない。
俺は少しだけ、顔が強ばってしまう。
もし、ここでアリシアが人としての終わりを望むのなら、俺はそれを受け入れられるのだろうか。
何度考えても実感が湧かない。
人が死ぬという状態が、想像できない。
俺はただ、落ち着かないまま成り行きを見届けるしかできない。
……どうにも歯痒いばかりだが……。
やがて、厳かに、静粛に、リチアの詠唱は終わりへと辿り着こうとしている。
その声は柔らかで、たおやかで、優しくて澄んだ音色だった。
「従者となりし者よ。あなたは健やかなるときも、病めるときも、愛する主人のために全身全霊の献身でその永遠の伴侶となることを、誓いますか?」
ぼふっ! と、思わず湯気が出そうなくらい顔を赤く染めるアリシア。
というか、俺もたぶん、まったく同じ顔をしている自信がある。
いやいやいや、そもそも聞いてないんだが! こんな結婚式みたいな誓いの言葉があるだなんて、知らなかったんだが!
「そ、そそそそのぅ……、えっと、だな……」
アリシアもさすがに口籠もる。というか、何これ、ホントに付き合わなきゃダメなの? これ、ホントに儀式なんだろうな?
「愛する、などと言われるとさすがに躊躇うというか、口幅ったいような気もするのだが、私の気持ちはそれほどではないというか、申し訳ないというか……」
真っ赤な顔で辿々しく言い訳がましいことを述べるアリシア孃。
というか俺も同様に動揺しっぱなしで童謡でも口ずさもうかと思うレベルでどよどよしているので、フォローなどできようはずもない。
やがて、アリシアの頭からプシュ~と蒸気が噴き出したような気がした。
顔どころか首元まで真っ赤に染めて、アリシアは、コクンと一度だけ頭を動かした。
「……………………誓います」
マジかよ。ここで、頷いちゃうの? いくらなんでもリチアさんハードル上げすぎってくらい上げちゃったけど、まさかそれを乗り越えてきちゃうとは……!
けど、これで終わりじゃなかった。まだまだ本番はこれからだった。
「それでは、主人となりし者よ。あなたは健やかなるときも、病めるときも、愛する従者のために粉骨砕身の愛情でその永遠の従者を守り続けることを、誓いますか?」
キターーーーッ!!!!
これ、ホントに答えなきゃダメなの? 無視しちゃダメなの?
けど、これも儀式と一環である可能性だってある。
そうだとしたら誤魔化したり茶化したりしてご破算となるのは、かなり不味いのでは?
だとしたら、これ、答えなきゃダメなの?
「え、あああああの、えっとその……」
メチャクチャ緊張する。
あれ? 喋るだけなのにこんなに身体って震えるもんだっけ?
ってか、喋るのってこんなに難しかったっけ? なんだかコミュ障治ったかと思ってたけど、全然そんなことなかったよ!
なんならたった五文字すら言えないよ!
どうするどうするどうするどうするどうする?!
目が回りそうで思わず倒れ込みそうになった俺の手をアリシアが掴んだ。
「……まったく、あなたはすぐにこれだからな……。やっぱり私がついていないと心配で仕方ないぞ」
俺はそんな苦言を呈する騎士様のお手に触れられて決意が瞬時に固まった。
俺の胸中を表すなら一言だ。
きゃあイケメン抱いて!
「誓います」
――かくして、菊花とルリが熱暴走して暴れ始めるのを尻目に俺は倒れ込んだ。
そして、そんな俺を優しく抱き留める騎士様が傍にいた。
頼れる騎士様は俺をベンチに預けるとヴェールを外して、俺の顔を覗き込んだ。
「やれやれ、誓いの儀式はまだ途中だろう?」
そうしておもむろに口元を寄せる騎士様はあまりにもイケメンだった。
もうお姫様役でも何でもいいや。
俺は意識を手放したのだった。
あとがきSS
『なぜなにリチアてんてー! そのよんっ!』
今回のゲストは夕凪ちゃんよ。
今回のエピソードではヴェールを作ったりツバサくんの衣装関連を担当してくれたわ
「のう、我が師よ。始めに聞かなければならないことがあるのだが、良いかのう?」
あらあら、どうしたのそんなに怖い顔をして。夕凪ちゃんの可愛い顔がそんなんじゃ台無しよ?
「分かりきったことを。何なんじゃあれは?! どうして結婚式ふうなのじゃ?! 妾のときは違ったのに?!」
夕凪ちゃんのときは切羽詰まってたからしょうがないでしょ? 一日くらい時間が取れれば違ったかもしれないけど……。
「……確かにそうかもしれんが……。…………ズルいわそんなん」
ふふ、でも考えてみて。
アリシアちゃんにはこれで従者契約の儀式を行ってもらったけど、逆にそれだけなのよ?
つまり、あなたにだってチャンスはあるの。
「チャンスって何の?」
やぁね、結婚式に決まってるでしょ?
従者契約はもう済ましちゃってるけど、結婚式はまだじゃない?
もちろんそれはあなたも菊花ちゃんもルリちゃんも同じだけどね。
今回みたいに結婚式ふうとかじゃなくて、本物の結婚式ができるでしょう?
それともなに? キミは紛い物の結婚式ふうのもので満足なの?
キミの求める幸せって、そんな安っぽいものなの?
「むむ、そうか……。そういうことか…………。ならば仕方ない。我が師の言いたいことは良く分かった。それならば良いのじゃ。下らぬ質問をしたな」
ええ、相変わらず握りやすい手綱で安心したわ。……ううん、こっちの話よ気にしないで?
さて。それはそうとして夕凪ちゃん。
本番のための衣装、案くらいは練っておいてもいいんじゃない?
「おおっ! さすがは我が師匠じゃ! まずはウェディングドレスにするか白無垢にするか、そこから考えねばなるまい。そして、某アルトネリコのような戦闘装束としても優秀な服に仕立て上げたい。ふむ、そうすると素材はどれにするべきか……。試したい組み合わせはいくらかあるが、デザイン性を疎かにするのは論外じゃ。してからに、……う~む……。済まぬ、我が師よ! 妾は少し席を外すぞ! 降りてきた! 降りてきたわ! さぁ、今こそ具現化せよ、我が生涯を掛けた究極の花嫁衣装よ!! ふははははははっ、はははははははははははは……っ!!!」
ふふ、これでツバサくんの周りの恋愛事情も、盛り上がりそうね。……楽しみだわ。