第十九羽⑬
思えば、異性と夜を共にするのは初めてのことかもしれない。
恥ずかしながら、アリシアはそんなことを思っていた。
アリシアの人生は、ほとんど騎士としての修行の中にあった。
生まれつきアリシアの家系は、筋力(STR)特化の傾向にあった。
幼い頃のアリシアのその例に漏れず、生まれつき馬鹿力を備えていた。
騎士として主に仕えることを信条とする騎士の一族に産まれたアリシアは、当然のごとくその思想に染まって生きてきた。
その馬鹿力を勇者の力に役立てようと考えるのは、自然の成り行きであったと言えよう。
木刀から真剣へ。槍から馬上槍へ。
武器がより鈍重に、巨大になるにつれ、その極端な筋力は研ぎ澄まされていった。
力だけでなく、戦うための技術や戦術を学び、堂々と騎士を名乗れるようアリシアは軍務に従事した。
騎士としての誇り、矜恃はそのときに師事した人物の影響を多分に受けている。
そうして、今のアリシアとしての人格が形成されていった。
アリシアの人生は順風満帆と言っても良かっただろう。
それくらいに彼女は、騙されることもなく、虐められることもなく、優しく正しいまま生きてきた。
それが幸か不幸かは分からない。
だが、もしそこで苦渋を味わっていたのなら、あるいは違う人生が待ち受けていたのかもしれない。
だが、彼女は正しいまま、間違わぬまま進み続けた。
美しく成長した。――あるいはそれこそが間違いだったのかもしれない。
魔族との戦いは、辛く辛酸を舐めさせられるものだ。
それは今、勇者たちがこれ以上もないくらい体感していることだ。
アリシアは挫折を知らない。
失敗がなかったわけではない。だが、人の悪意を知らずに生きてきた。
それはこれからの戦いにおいて、あまりに致命的な隙だった。
彼女を戦列から外す。それはあまりにも英断だった。
敢えて言うならば。
アリシアの挫折はその瞬間にこそあったのかもしれない。
初めての裏切り。信愛する勇者からの拒絶。
それは信じがたいものであっただろう。
受け入れがたいものであっただろう。
それでも彼女が立ち止まらずに進み続けたのは、ツバサの影響が少なからずあった。
ツバサとの出逢い。
それは初めは義務感でしかなかった。
捨て置くわけにはいかない。
騎士として、正しい振る舞いをしなければならない。
そう思えばこそ、彼女は正しく彼らを導こうとした。
正しく冒険の手ほどきをし、時には助け、導きながら、あるべき方向を指さし続けた。
裏切られたはずの矜恃に、再び力が宿った。
間違っていない。
今までの行為は決して誤りではない。
そう実感することで、アリシアは再び立ち上がった。
自らの支えを取り戻したのだ。
そして、その瞬間こそが、彼女がツバサを特別視するきっかけになったとも言える。
冒険が続くと、やがて気づくようになる。
ツバサたちの成長速度が尋常ではないと。
守る立場だったはずの自分が、いつの間にか支えられている。
いつしか守られる側に立っている。
そう気づいてしまうことがあった。
そこでアリシアは、僅かに表情を曇らせることになる。
守りたいはずなのに。守らなければならないのに。
自分が守られていてはしょうがないではないか。
このままではいけない。もっと前線に出なければなるまい。
そう思うも、戦いの最中にその勘違いに気づく。
戦列を乱し突出すれば、戦況は乱れる。
勝ち目は薄れる。
そうなれば自分は誰も守れなくなる。
パーティを危険に晒すなど、騎士の名折れにもほどがある。
アリシアは思いとどまった。
しかし、葛藤は残る。
守りたい。守れない。
黒ずんだ炭がいつまでも煙を吐き出し続けるように、彼女のなかの騎士道精神は燻り続けていた。
アリシアはベッドの上で天井を仰ぐと溜息をひとつこぼした。
呆れた話だと思った。
自分は明日死ぬと宣告されたのに、思うのは騎士としての在り方ばかりだ。
人間としてではなく、ひとりの女としてでもなく、ただ騎士としてありたい。
もし明日死ぬとしたらどうしよう?
何がしたい? 何ができる?
勇者にはもう一度逢いたかった。
せめてちゃんと話して欲しい。
何も言われず、騙し討ちのように立ち去ったことは許せない。
豪腕と呼ばれた右腕でアイアンクローでもかましてやろうか。
仲間たちには何ができる?
一日で返せる恩などたかが知れているだろう。
仲間たちに報いるためには、あまりにも時間が足りない。
ツバサ殿。
あなたのことを考える時間が日に日に増えている。
自分はひょっとしたらだいぶ惚れっぽいのかもしれない。
そう考えると、少しだけ恥ずかしい気持ちになる。
もし死なないとしたら、自分には何ができるだろう。
永遠に生き続けることになったとして、それをあまり如実に想像することは難しい。
だが、故郷に帰ることも許されず、人としての生はもう終わることになってしまう。
それはそれで辛い気もする。
どことなく、自分はもっと標準な人生を送ると思っていた。
当たり前に騎士道を邁進し、誰かとお見合いでもして結婚するのだと。
そのうち子供もできたりして、言うことを聞かない子供にやきもきしながらも、忙しなく幸せな人生を送る。
そんなふうに死んでいくんだと思っていたのに。
それが叶わないと悟ると同時に、悔しくて涙がこぼれそうになる。
けど、これは自業自得だ。
自分自身が騎士道精神を発揮して、戦いのさなか敵の悪足掻きを察知し、味方の前に飛び込んだのだ。
それは自分が騎士としての矜恃を育てすぎたからこその結末なのだろう。
それを選んだのは自分だ。周りの影響は確かに受けたが、それを選んだのは紛れもなく自分なのだ。
だからその結末を憎むこともない。恨むこともない。
ただ、悔しいだけだ。
当たり前の終わりを迎えられないことが。当たり前の人生が、もう手の届かないところに行ってしまったのだということが。
泣きたいくらいに悔しいだけなのだ。
でも、泣くのは何処か卑怯だ。
悲劇のヒロインの振りをして、自分の責任から目を離そうとするのは卑怯だと思った。
だから、涙がこぼれないように顔を上に向けたまま動かさない。
瞬きさえもしない。
僅かな身じろぎひとつで、自分が卑怯者になってしまう気がした。
こわばる全身を持て余して、アリシアは息を大きく吐いた。
ベッドが一度、僅かに軋んだ。
アリシアの呼吸と、ツバサの呼吸が重なったのだろう。
思えばツバサのお腹は一定のリズムで上下していた。
そのリズムは、アリシアのそれと同じペースで繰り返している。
その柔らかな呼吸音に耳を澄ましていると、不思議と心が落ち着くのを感じた。
繋いだままの手を通して、ツバサの体温を感じていた。
その感覚をもっと感じようと意識を研ぎ澄ませると、ささくれだったアリシアの心が急速に凪いでいった。
アリシアは目を閉じて、こわばった身体の力を抜いた。
すると、ゼンマイの切れた人形のようにぷつりと意識が途絶えた。
アリシアは安らかな表情で眠りに就いた。
あとがきSS
『なぜなにリチアてんてー! そのさんっ!』
そろそろこのコーナー、飽きてきたわね……。
「いくらなんでもそれは酷いと思います……」
さて、気を改めて。
今回のゲストは今回にうってつけのこの方! 菊花ちゃんで~っす!!
「……どこをどう捉えたらこのタイミングでうってつけだと思えるんですか、リチアさん……」
それはもちろん、鬱屈した感情をぶちまけてくれそうでなんだか面白そうだからに決まってるでしょ? わざわざ言わせるなんて、菊花ちゃんってば想定以上に欲しがりさんよね。お姉さん、ぞくぞくしちゃうわ♪
「……帰っていいですか」
うふふ、懸命な菊花ちゃんなら、その質問に対するあたしの答えも分かってるんじゃないの?
「……早く、終わらせてくださいね」
だいじょうぶよ。天井のシミの数でも数えてればすぐに終わるから。
「……その終わり方はなんかイヤです」
そう? やっぱり激しく絡み合って求め合うほうが好きなの?
「そそそそ、そういう意味じゃないですぅ!!」(><)←こんな表情になる菊花氏
あらあら、そんなふうにムキになって否定するなんて……。ツバサくん、可哀想。
うそうそ、冗談よ。菊花ちゃんそんな顔しないの。
それはさておき菊花ちゃん。
アリシアちゃんとツバサくんの初夜だけど、何か言いたいことある?
「……黙秘します」
う~ん、嫌われちゃったかな?
けど、そんなふうに拗ねたところであたしが止まるとでも思っているのなら、まずはその勘違いから否定してあげなきゃいけないわね。
「どうしてそこまでノリノリなんですかっ?! ちょ、ちょちょっ! 私の顔を掴まないでくださいっ! モニターに近づけないでくださいっ! ああっ?! 見たくない! 見たくないんです~!!」
ふふふふ、再生中の二人の睦言から目を背けないの。
さぁ、ちゃんと見て。そのうえで率直なコメントを残すの。……分かった?
「うぐ、くぅ……。………………そ、その……。アリシアさんについてですが……」
うん、どうなの? ねぇ今どんな気持ち?
「正直、複雑な心境ですが……。けど、実際のところ、アリシアさんには幸せになって欲しいと思ってるんです」
あら、意外。もっと罵詈雑言の類いが飛び出てくるかと思ったのに。なんだかつまらないわ。
「そこで期待外れみたいに言われるのも釈然とはしませんが……。でも、アリシアさんは素敵な方ですし、とても不遇な方だとも思います。私、いつもアリシアさんに助けられているんですよ? だから、それほど悪い感情はありません。だから、勇者さんから除け者にされた彼女には報われて欲しいとは思いますし、それでも笑顔を絶やさない強さは尊敬してたりもします」
…………で、本音は?
「あの大きなおっぱいが赤く腫れ上がるくらい思いっきり抓ってやりたいです」