第十九羽⑫
俺が放った〈白楼〉は間違いなく入った。
敵の〈イシスズ・スローン《ザ・カタストロフィ》〉は戦闘不能に陥っている。
どう足掻いたとしても死ぬ。それはもう疑いようもない。
けれど、もう動かないとしても、その体重がのしかかるだけでも充分な殺傷能力がある。
たとえ死んでもただでは死なないという辺りが、さすがは伝説級の魔物といったところか。
ズゥン………………ッ!!
その最期の攻撃をアリシアが受け止めた。
……その瞬間のことだった。
ズズズズ……ッ!!
そんな不気味な音を立てて、アリシアを黒い靄が包み込んだ。
咄嗟に躱そうとするが、靄はアリシアにまとわりついて離れない。
「……何だこれはッ……?!」
思わず腕をさすって振り払おうとするが、物理的に干渉できるものではないらしい。
術士のリチアが駆け寄ってきて、すぐに検分が始まった。
ともあれ、これで一件落着かな。
俺たちはその場に腰を落として盛大に息を吐いた。
これで終わりなんだと、完全に気が抜けていた。
それは仲間たちも同様だった。
アリシアもリチアを信頼していた。
リチアならどうにかしてくれるだろう。そう思っていた。
〈破滅〉の悪足掻きがどれほどのものなのか、俺たちは想像すらしていなかった。
ひとり、リチアだけがうっすらと燻った黒い靄を沈鬱な表情で見つめ続けていた。
――
30分後。
素材の剥ぎ取り作業の途中で、リチアが全員をマイホームに集めて話を始めた。
「みんな、心して聞いて欲しいの」
それは弛緩した雰囲気を諫めるには充分な迫力を持っていた。
「アリシアには先に話したんだけど、改めてみんなにも伝える。……いいよね?」
「……うむ」
リチアがアリシアに目配せする。
そんなやりとりに、思わず一同がゴクリと喉を鳴らした。
緊張からか、みんな少し指先が震えているような気もした。
「みんなも覚えてるよね。敵が最期に放った靄。……あれはね、呪いだった」
みんなが息を呑んだのが音で分かった。
呪い。そう言われても俺にはいまいちピンと来ない。
それがどれほど危険なんだろうか。
……まさか、命に関わるようなことも……。
「解呪の方法も探した。……けど、どうしても解けない。せめてもう少し時間があれば……、ッ――!」
リチアが悔しげに拳を握り込んだ。
ちょっと待て。話は順番に頼む。
解けない。間に合わない。それって何だ。何がどうなるってんだよ、おい!
「刻限は明日の正午。太陽が真上に昇る頃までに解呪が出来なければ……」
アリシアは俯いた。
リチアも額に皺を寄せて、辛そうに、けど躊躇わずに告げた。
「アリシアは、死ぬ」
―ー
それはゲームふうに例えるなら『死の宣告』。
カウントダウンが終了すれば、命を刈り取られる。
そういう、死の呪いだ。
マンガふうに例えるならデスノートに名前と時間を書かれたような状態だと言えば分かりやすいだろうか。
それを回避する手段もない。
リチアの解析が間に合えばどうにかなったかもしれない。
けれど、巨大な魔物が全生命力を捧げて掛けた呪いだ。
その解呪にはどう頑張っても不眠不休で一週間掛かるらしい。
しかし刻限は明日の正午。どう頑張っちゃっても死にますよ、なんというイカサマ。
なんてことだろう。
もしアリシアがこの旅についてきていなければ、こんな結末にはならなかっただろう。
そう思うと、自分の体たらくに苛ついてきたりもする。
みんながみんな、やるせない想いを胸に、上の空でただ呆けるのみだ。
ナズナは珍しく泣き出してしまった。
共に旅をしてから情緒豊かに育ってきた少女には、まだこの別れは早すぎる。
泣き疲れてしまったナズナの面倒はルリに任せてしまった。
泣きたいのはルリも一緒だろうに。
菊花は泣いたりしていなかったが、目尻に涙を浮かべて、ただ黙々と素材の剥ぎ取り作業に勤しんでいた
そうやって悲しみを誤魔化しているのだろう。それは目に見えて明らかだった。
分かっていて見逃している。だって、みんな同じ気持ちだから。
そうして俺は、一つの決断を迫られていた。
たった一つだけ、この悲劇的バッドエンドを回避する手段があるからだ。
俺はリチアの提案を思い返していた。
『良い、ツバサくん? アリシアが人である限り、呪いはどうやったって防ぐことができない。……けどね、人でなければ話は別よ』
リチアはそう、前置きした。
『アリシアの従者化。アリシアを救う方法はこれしかない。けど、よく考えることね。従者になれば人でなくなる。もう彼女はこの世界で暮らせなくなるし、これから先、平穏無事で生きていくことはできなくなる。それは〈一生〉、なんて生易しいものじゃないのよ。〈永遠〉、なの。この意味が分かる?』
そうして、今までずっと聞くことのできなかった従者というシステムの説明を、ようやく聞くことができた。
従者とは翼龍としての俺の使命を手伝う存在。
より明確に言うならば、〈眷族〉と言うらしい。
〈従者契約〉。更に言うなら〈眷族化〉。
眷族となることで、人の器を超えて不老の存在になる。この時点で人の社会には適合できなくなる。何故なら、人の社会は人間の寿命を前提にして構築されているからだ。寿命がなければ年金もへったくれもないだろうし。
人の社会に適合できなくなれば、もはや安住の地などない。毎日旅をしながら根無し草として生きていくしかなくなる。
そんな生活を永遠だ。それは不幸以外の何物でもないだろう。謂わば生き地獄だ。
なので、従者はもう二度と故郷には帰れない。人としての一生はいずれにせよ、そこで終わる。
だが、眷族化さえ果たしてしまえば、眷族には龍術が有効となる。
リチアや夕凪みたいに異能も使えるようになるし、〈不死鳥〉も機能する。
つまり、死んでも生き返れる。
なんて便利なんだ、〈不死鳥〉。
これさえあれば、従者は不死身だ。俺もだけど。
アリシアが従者になれば、ナズナとルリ以外はいくらでもゾンビアタックが繰り出せることになる。
それはチートだ。間違いなくズルイ。汚いなさすが翼龍きたない。
問題はアリシアの気持ちだな。
チョロイン属性のせいか、いつの間にかある程度の好感度は稼げているみたいだが、今後の人生全てを棒に振るわせるわけにはいかない。
かと言って死なせるのも忍びない。
俺は夕食後の片付けが終わったタイミングでアリシアの自室を訪ねることにした。
――
アリシアの部屋はマイホームの二階、階段を上がって一番目の部屋があてがわれていた。
普段からキッチンにいることが多く、寝るとき以外はほとんど使われてない印象だな。
ノックをすると、アリシアが出迎えてくれた。
アリシアは質素な部屋着で、鮮やかな赤髪からは風呂上がりの石鹸の匂いがした。
「悪いな、もう寝るところだったか?」
「いや、そうでもない。……あ、その……入るか?」
「……そうだな、それじゃあ失礼して……」
お互いにぎこちない雰囲気で女の子の自室へと這入る。
部屋中がアリシアの放つオレンジみたいな柑橘系の匂いで満たされていた。
「……そんなに匂いを嗅ぐんじゃない。……ひょっとして、臭いのか?」
「とんでもない。ずっと嗅ぎたいくらい良い匂いだ」
「……莫迦者」
怒られた。
けど、照れ隠しみたいな怒り方で、なんだか逆に困らせてやりたくなるな。
アリシアは間に困ったのか、ベッドに腰掛けて隣をポンポンと叩く。
「ほら、立ち話も何だろう? ここに掛けたらどうだ?」
「まさか、こんなふうに女性からベッドに誘われる日が来るとはな……」
「そっ……! そういう意味で誘ったんじゃないぞっ?!」
いや、分かってるけどさ……。
でもやっぱり緊張するもんだ。
長く一緒に旅してきてるけど、相手は美女だし。そのうえ、呼吸するたび狂いそうなくらいアリシアの匂いが充満してるし……。
「何を今更遠慮しているのだ! はよ座らぬか!」
なんだか強引に手を引っ張られてベッドに座らされた。
ギシリと、スプリングが跳ねる。
俺は未だ握ったままの左手から、目が離せない。
アリシアは、手をそのまま放そうとはしなかった。
「……一度聞いておきたかったのだが……、私はきちんとそなたの役に立てていただろうか」
「今更何言ってんだよ」
「いや、確かにそうなんだが……。しかし、ちゃんと聞いたことなかったな、と……」
アリシアは手を握ったまま、視線は合わせずにそんなことを言った。
「……アリシアは充分役立ってるよ。お前の作る料理は世界一だし、槍を持たせたら誰よりも頼りになる。それに、お前の声は周りを鼓舞する、力が漲るんだ。だから、俺には、このパーティにはお前が必要だよ」
最期かもしれないから、できる限り本音で話した。
偽るのも誤魔化すのも、ここでは無しだ。
「そそそ、そうか……。そんなにか……」
アリシアは顔を赤らめてそっぽを向く。……握った手が心なしか熱くなっているような……?
「お前はどうなんだ? この旅は楽しめているか?」
「当たり前だろう!?」
アリシアは急に振り返るとぐいと顔を近づけてきた。
「みんな私の料理を美味しそうに頬張ってくれるし、戦いではみんなが私に合わせてくれている。菊花殿はツバサ殿に関わるところでは妙に頑固だが、常に気配りを欠かさない良い娘だ。ナズナ殿は甘えてくっついてくるときは温かいし可愛い。夕凪殿は時折何を言っているか分からんが、衣服の相談では非常に心強い。リチア殿はいつも頼りになるが、ちょくちょく悪戯をしてくるのは困りものだ。ルリ殿はペットの世話を甲斐甲斐しくやってくれるし、よく料理も手伝ってくれている。ツバサ殿は、……セクハラばかりで妄想が口から止めどなく溢れてくるしょうもない男だし……」
そこまで言うと、アリシアは口籠もった。ええい、何故だ。何故俺のことで口籠もる。そんなに言いづらい感想持たれてるか俺?!
アリシアは困ったように笑うと、上目遣いで見つめてくる。
「……最初は情けない男だと思った。私が騎士として正しく導こうと、守ろうと、そう思っていたのだが……」
今度は両手が俺の手に乗せられた。
彼女の体温が、より明確に俺へと伝わる。
「気づけば、守られているのは私のほうだったな」
そうだろうか。割と守られっぱなしだったような気もするんだが……。
雷帝が目覚めて以来、確かに戦闘面では前に出れるようにはなったけども。
「いいや、戦いだけの話ではない。共に過ごすうちに分かったのだ。頼られている、そう感じることこそが私の支えだった。私は誇りを守ってもらっていたのだよ」
そういうもんだろうか。
それでアリシアが満たされているのなら、それはいわゆるWINーWINの関係か。
人間関係としては理想型だ。チョロイン属性ここに極まれり、だな。
「……何か失礼なことを考えている目だな」
「なんで分かるんですかね」
「そなたが分かり易すぎるのだろう?」
アリシアはそう言うと、ハハハと笑い始めた。
俺はというと溜息しか出ないんだけどな。
「でも、ありがとう。あなたと一緒にいれて、良かった」
アリシアは朗らかに、微笑んだ。
まるで女神だな。と、俺はその笑顔を忘れないように見つめ続けていた。
「……ふふ、そんなふうに見つめられていると、求められているのかと勘違いしてしまうな」
「悪いが、そういう捨て鉢な考えを抱いてるうちは相手にしないぞ」
「これはこれは、振られてしまったな……」
アリシアはそこで手を放した。
思わず顔を上げる俺。
そこで不意打ちのような衝撃。
口に触れる柔らかな感触は、しかし一瞬だった。
「これ以上は、菊花殿に怒られてしまうかな……」
それに関しては、何も言えない。
しかし、アリシアは大事に思う気持ちは、間違いなくある。
彼女が勇者を忘れたい、とかそういう後ろ向きな気持ちでなく、求めてくるのであれば俺はそれを受け止めたいと思っている。
たとえ、その後菊花に殺されるとしても。
なにせ従者になってしまったら永遠に生き続けることになってしまうのだ。
ならば可能な限り幸せにしてやる義務があるのではなかろうか。
つまりハーレムルート以外ありえないのではなかろうか。
「今日はずっとここにいて欲しい。次にこの手を放したら、私は泣いてしまうぞ?」
「しょうがないな。添い寝くらいなら菊花も許してくれるだろう」
「最悪、私も土下座に付き合おう」
「それは心強いな」
アリシアはランプを消すとベッドまで手を引っ張ってきた。
まさか本当にベッドにお呼ばれするとは思わなかった。
けど、ベッドインはしてもホールインはできない。
せめて彼女が安らかに眠れますよう、俺は息を殺して眠るのだった。
結局朝まで、俺の手を握るアリシアの握力が緩むことはなかった。
あとがきSS
『なになぜ! リチアてんてー! そのにっ!』
さぁ、今回もあとがき欄に進出よ。
作者の気の向くまま思うままに展開されてゆくから気をつけることね。
それじゃあ今回のゲスト、アリシアちゃんよ!
「こういうタイミングで呼ばれるのは最悪ではなかろうか……」
何言ってるのかしら。ヒロインの面目躍如でしょ?
それはそうと、アリシアちゃん。
唐突だけど、『白鯨』という小説を知ってるかしら?
「確かに唐突だな。……しかし、はくげい……? いや。まったく知らん。生憎と文芸には疎くてな」
『白鯨』というのは前のツバサくんの暮らしていた世界に出版されている小説のひとつで、クジラを狩る漁師たちの物語なの。
何故ここで唐突に話を振ったかというと、そこに出てくるクジラの名前こそモビー・ディックという名前だからよ。
前回の回想中でディッキーと呼ばれていたイシスズ・スローンの名前の由来は、たぶんこのモビー・ディックのことでしょうね。
「ふむ……。興味深いな。だが、ひとつ訊いても良いだろうか?」
あら、どうしたの?
メタルギアソリッド5との関連性を訊きたいのかしら? あちらも白鯨をオマージュしている部分があるそうだから、前もって勉強しておくとより楽しめるかも知れないわね。
ちなみに翼白の作者のほうは、あらすじしか呼んでないニワカだそうだから気をつけて。
「……そこまでは聞いてないのだが。私が聞きたかったのは、どうして異世界の小説の話から、影響を受けることがあるのだろうかと思ったのだ。知らぬものに影響など受けないだろう?」
へぇ、なかなか良い質問ね。
けど、答えはいくつか考えられるわ。
まずひとつはアイデアの電波説。
ほら、よく聞くでしょ? アイデアというのは電波みたいなもので、同じようなアンテナを持っている人は同時に受信しちゃうことがあるの。
同時に同様の作品が発表されることは歴史上決して少なくはないけれど、この説を信じるなら有り得なくはないと考えられるでしょうね。
けど、それよりもシンプルにただ盗んでパクって同時に発表しただけ、というのも考えられるし、同じ知識があれば同じ考え方の人が同時期に起こった事件とか出来事をきっかけにして同様の作品を作ることはやっぱりゼロじゃないでしょうしね。
そんな与太話以外にも、単純に同じ知識を持った人間が何かしらの理由で転移してきた、というのも有り得るでしょうね。
この場合は、盗作疑惑も出てくるけど、それ以前に異世界だったら著作権もへったくれもないのだし、ある意味好き放題できちゃうのよね……。
「……そうか。そうやってどこかで不思議とリンクしているということもあるのかもしれないのだな。……それにしてもそのアイデアの電波説は面白いな。それが本当なら、もっとみんな似たようなものを作りそうなものだが」
けど、歴史を紐解くと多少説得力もあるのよね。
多くの文明が文字を作り出したし、音楽を奏でて、作物を育ててる。
同時期とは言い切れないところはあるけど、どこかで繋がってる可能性はゼロではないわね。
まぁ、こればっかりは過去に戻れない限り分からないことだけれど。
「しかし、何故その白鯨に出てくる名前を付けたんだろうか」
さぁ、どうしてでしょうね。
由緒正しい名前だからか。これから巨大に育つことを見越しての名付けだったのか。強く育って欲しいという願いからなのか。
こちらも直接聞いてみないと分からないわねぇ。
けど、案外大した意味もないかもしれないわよ。ただなんとなく、とかね。
「はは、それこそ翼白の作者ではあるまいし」
そうよね、ふふふ……あはははははは……!!
……ふぅ。なんなら本当に有り得そうだから怖いのよね。