第十九羽⑧
それは、ともすれば神秘的な光景だった。
サンドホエールの亜種、〈イシスズ・スローン《ザ・カタストロフィ》〉に触れた岩盤がみるみる間に砕けていき、砂塵となって消えてゆく。
砂塵はクジラを包む障壁のように纏わりついて、旋回している。
恐ろしいのは岩も石も、恐らくはそれ以外のものも一切関係なく砂に変えているところか。
〈砂化〉とでも呼ぶべきか、その能力は恐ろしい強制力で周囲を支配している。
その権能が人間にも及ぶのなら、触れること自体が致命的かもしれない。
そこまで考え及ぶと同時に、〈破滅〉と名付けた先人にはよく言ったものだなぁと何処か感心してしまう。
……まぁ、それどころの状況ではないわけだけど。
「ツバサ様、恐らくはあの異能、先程から出力が上がっているようです!」
……なんとなく、そんな気はしていた。
つまり強弱が切り替えられる。それは、敵がある程度本気になったことの証左である。
更に言えば、まだ出力が上がる可能性も考えられるわけだが、……そうなると何処まで行くのか見当もつかない。気にするだけ無駄かな。
クジラがじわりじわりと距離を詰めてくる。
攻勢に出るつもりなのだろう。
一気に攻めてこないのは、こちらを警戒しているからか。
こちらとしては逆に助かっているところでもあるが……。
選択肢は多くない。
リチアの解析もまだまだ終わらないだろう。
およそ最大級の攻撃力であろうアリシアの攻撃が防がれた時点で、こちらはある程度詰んでいる。
他に弱点が見つからない以上、対応策は大体ひとつ。
俺は右腕を突き出して構える。
〈翼白〉。
俺は俺が持つ唯一のチートスキルを展開して身構える。
敵の持つ能力は完全には理解できていない。
だが、魔法に付随する能力であれば翼白で無効化できる。
これで対応できるはずだ。
翼白はここまでの道程で何度か使っている。
主に熟練度を稼ぐ目的だったが、身体に馴染ませる意味合いもあった。
まだ自分の身体のように自在に使いこなすには至っていないが、以前のように自我が奪われるようなことにはならない。
来るか、来ないのか……。
睨み合いは神経を磨り減らす。
敵のストレス値みたいなものは設定されてるのかどうか分からないが、あったとしてもこちらより貧弱ということはあるまい。
つまり持久戦はこちらのほうが不利。
だったら、……先手必勝だ!
俺は〈白塵〉を束ねて形状を剣のように構成する。
本来は実在の武器に纏わせたほうが強固な剣になるのだが、鍛冶スキルが低すぎる現状はゼロから作った方が手っ取り早い。
〈白刀〉。
これが今の俺の武器だ。
「来ないなら、こっちから行くぞ!」
言うが早いか、切りつけた白刀はクジラの皮膚を浅く切り裂いた。
魔法効果を無効化しながら攻撃できるこの剣は、特殊能力を持つ魔物にはうってつけの攻撃手段だ。
俺は雷帝の能力、〈白式〉で身体強化しながらクジラの身体の至る所に切り傷をつけていく。
夥しい血が飛び散るが、それでもクジラ全体の質量から言えば大したことない量なのだろう。クジラの動きは決して緩むことなどなかった。
アスレチックの遊具のようにピョンピョン飛び交いながら幾重にも切りつけ続けるが、クジラの体力は底なしのように尽きることがない。
クジラの狙いは主に俺だけのようだった。
仲間たちはあまり積極的に狙われてはいない。
狙う価値なしとでも判断されたのかもしれない。
まぁ、確かに現状では強化や弱体をばらまくだけしか行っていないため、タゲが俺に集中するのも分からなくはない。
だが、合間合間にナズナや夕凪が援護射撃を行っているため、敵の行動は少しばかり愚策ではなかろうか。
いくらダメージが通りづらいとはいえ、俺の攻撃で傷の付いた場所を的確に狙い撃たれれば、そのダメージは無視できるほど軽微ではないというのに。
やがて、痺れを切らしたかのようにイシスズ・スローンは再び大きく吼えた。
地響きが周囲を揺らし、攻撃の手が一瞬止まる。
振り回された尾ヒレが辺りを瓦礫ごと吹き飛ばすが、そもそも至近距離には俺しかいない。そして、俺は翼白の効果でデバフもほとんど効かない。
戦況は逼迫していた。
だが、やはり〈破滅〉と名付けられた敵は伊達ではなかった。
クジラが一際大きな声で唸ったかと思うと、突然俺の身体は浮遊感に包まれた。
突如足下の砂が消え去ったからだ。
恐らくは砂を操作するスキルだろう。
これにはさすがに肝が冷えたが、翼白の効能は重力に対しても働く。
だから重力を無効化して空中に停滞した。
そんな俺に怒り狂ったかのようにタックルをしてきた。
その圧倒的巨躯から放たれるタックルは一撃必殺の威力があるのだが、俺は白刀を突き立てて攻撃を受け止めた。
が、これは完全に悪手だった。
そのままゴリゴリと地面に擦りつけられ、そのまま大空洞の天井付近まで吹っ飛ばされるハメになった。
飛びそうになる意識を辛うじて保ちながら視認性の高い敵の巨体を睨み付ける。
よくよく考えれば持久戦は不利でしかない。
だが、一気に仕留めようにも敵の体力は無尽蔵だ。
そのうえ、敵は硬い外皮に守られていてダメージが通りづらい。
攻める手段は翼白以外には有り得なかった。
それでも高出力を渋って戦ったのはこれ以上の記憶の喪失を防ぎたかったからなのだが、それも命あっての物種だ。
〈不死鳥〉で蘇れるとか、そんな甘いことを考えていて、それで果たして勝てるのか。
敵はそんなに甘いのか。
そんな舐めプが許されるのだろうか。
そうだな。少し本気を出そう。
俺は、そう決意した。
〈白矛〉。
俺の翼白を纏わせた刺突が、極太のレーザーのようにクジラの表皮を灼く。
俺は落下に身を任せながら、何度も何度も刺突を放つ。
撃ち貫かれた〈破滅〉はのたうちながらもがいている。
敵は強い。まだだ。まだ死なない。
俺は吸い上げた魔力を剣に纏わせてひたすらに放つ。放ち続ける。
〈白矛〉の雨が敵を撃滅するまで、何度でも繰り返してやる。
やがて〈イシスの玉座〉と呼ばれたクジラは悲鳴のような声を上げて地に伏した。
地面には巨体が流した大量の血液が巨大な花を咲かせたように異様な紋様を描いていた。
〈白嶽〉。
無数の剣山のように〈白矛〉を放つ連続技は下手したら〈白楼〉よりも消耗が激しいかもしれない。だが敵の魔力も膨大だった分、エネルギーを吸収して放った今回は、記憶を失うほどの消費は防げたようだった。
まともに着地できなかった俺を抱き留めてくれたのはルリだった。
今回の戦闘では後詰めを任せたため、出番が少なく、その分体力が有り余っていたといったところか。
俺が礼を言ってルリの腕から降りた瞬間に、ガクン、と。
足の力が抜けてしまった。
どうやら翼白を使いすぎたらしい。
それでも突然意識を失ったりしなくなった分、ちょっとは慣れたということだろうか。
「だいじょうぶでございますか?!」
と、慌てて肩を貸すルリ。
俺は嬉し恥ずかしその肩に身体を寄せることにするのだが、そこに一つの影が差した。
ォォォォォォオオオオオオオオオオオ……――――!!!
そんな低く不気味な声を上げつつ、〈破滅〉が大口を開けていた。
嗚呼、なるほど。絶望とはこういう光景を言うのだな、と少し達観したことを考えながら俺は……。
その顎門が視界を黒に染めていくのをただ呆然と眺めていた。
翼白強すぎじゃね?