第十九羽⑦
それは、本来守護者であった。
大切な土地を守るため、放たれた守り神。
しかし、時間が経つにつれて世界は変質していった。
豊富な自然もいつしか失われ、一面は荒野地帯へ。
華美な宝物庫は薄暗いダンジョンへと変貌を遂げていた。
しかし、いくら世界がその装いを変えようとも、彼に与えられた使命は塗り替えられることもない。
命令すべき主すら、失われて久しいのだから。
それでも、守護者は守り続ける。
秘境を守り続ける。
全ては遙か昔に契約を交わした、主の悲願のために。
やがて彼は巨体を翻し、再度活動を開始する。
主の安らかなる眠りを、守るために。
――
洞窟が震えていた。
今更説明するまでもない。分かりきった回答だった。
答えは――敵は、まもなく姿を現すことだろう。
まるで世界そのものが鳴動しているかのような振動。
頭蓋骨を直接揺さぶるような騒音。
情け容赦なく絶望の二文字を植え付けるプレッシャー。
二度目だ。分からないわけもない。
「ま、来るわよね。……もうすぐ秘境の入り口だろうし」
「ツバサ様、気をつけてください!」
「……ああ、さすがに分かる。いくら鈍感な俺でもな」
きゅっ、とナズナが俺の裾を引っ張った。
恐怖に身が竦んだ。というよりは、覚悟を決めるための動作だろう。
ナズナの目には戦意が宿っていた。
「何処から来る……!?」
アリシアが大槍を構えて周囲を警戒するが……。
振動ばかりで、肝心の姿が見えない。
近くなのは間違いないんだろうが……。
相変わらず周囲は暗い。
まずはこの状況からどうにかしようか。
「リチア、明かりを」
「……そうね、もう温存も無意味だしね」
リチアが光魔法を上方へ放つと、スパークするみたいに一気に光が周囲を満たした。
これで大分見渡せるようになったが……。
しかし、姿が見えないな。
これはこれでなかなか気味が悪い。
こちらを緊張させて消耗させようというのが向こうの魂胆なのだとしたら、なかなか賢いが果たしてどうだろうか。
などと、考えていると――
「旦那様ッ!! 下でございます!!!」
ルリが叫び終わるのを待たずに地面が弾け飛んだ。
足場を崩され、空中に放り出された俺は身動きも取れないまま砂クジラのヒレに巻き込まれた。
かろうじてヒレに対しては受け身は取れたが、地面への着地姿勢までは取れない。
ダメージを覚悟していた俺だったが、柔らかい砂の上だからか思ったほどのダメージにはならなかった。
だが、返す刃――というにはあまりに巨大すぎるが、着地と同時の体当たりを仕掛けてくる破滅の王。
「ォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!」
アリシアが雄叫びを上げて山のような巨体を受け止めていた。
いくらなんでも無謀すぎる。だが、逃げ切れる距離でもないのだ。
ならば、受けるしかない。その思い切りの良さはさすが騎士様。さすが勇者一向。さすが三使の一人である。
とはいえ、俺も指をくわえている訳にもいくまい。
風魔法でアシストしつつ、反撃の手を探す。
……いや、そもそも反撃とか無理じゃね?
ゴリゴリゴリ……と唸るような音を上げて巨大クジラは掘削機のように地面に穴を空けながら潜ってゆく。
アリシアはというと、疲労した身体を槍で支えるようにしてなんとか立ち上がった。……どうにか受けきるだけはできたらしいな。
そして、再び地面がゴゴゴ……と不吉な音を響かせている。
オイオイオイ、今時ジョジ○やブ○ーチだってここまで効果音入れないだろってくらいやかましい。
「ツバサくん、一旦引くわよ!」
「ここでは足場が悪すぎます!」
そんなリチアと菊花の声でどうにか脳が再起動してくれたらしく、俺たちはそれぞれ走り始めた。
そんな俺の背後ではドゴォッ! バゴォッ! ズォオンッ! と大盛況な有様だった。
「ホントに、この先、足場は、変わるんだよな!」
「ええ、そう……よッ!」
リチアが俺を思いきり突き飛ばした。……かと思ったら、さっきまで俺がいたところからクジラが大口開けて飛び出してきた。
「嘘だろッ?!」
「嘘じゃ……ありません!」
今度は菊花が俺の頭をどついてしゃがませる。……と同時に頭上をクジラの尾ヒレが擦り抜けてゆく。
「とにかく走るのじゃ! 追いつかれれば、死しかないぞ!」
その名の通り、俺たちは死に物狂いで走り続けた。
崩れた石柱を潜り抜け、空いた大穴に足を奪われそうになりながら、闇雲に前だけを目指した。
全員追いつけているだろうか。脱落者がいても手助けする余裕はなさそうだ。
「伏せ、るの、じゃッッ!!!」
夕凪に思い切り頭を掴まれ地面を転がされる。
そして、そんな俺の頭上をクジラの尾ヒレが通過してゆく。
危うく胴体と頭が離れて特大ホームランされるところだった。
俺は背中を岩盤にしこたまぶつけてもんどり打つ羽目になったが、どうにか逃げ延びた。
ようやく流砂地帯を抜けた。
足下は堅い岩盤だ。縦横無尽に潜り続けることは、もうできない。
ようやく、敵の行動パターンをひとつ潰すことに成功したわけだ。
ブァァァアアアアアアアアアアアアアアォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!
強烈な嘶き声を上げる破滅の王。
久方ぶりに全身を拝むことができた砂クジラだが、やはりその姿は巨大だ。
ゼロから始まりそうな異世界ものでいうと白鯨のような大きさ。
だが、砂を潜り続けるためなのか、鱗のような堅い表皮と所々にコブのような突起も見える。
よりモンスターっぽい外見をしたこいつはクジラというよりはクジラ型の古龍といったほうが適切な気がする。龍撃槍の準備をお願いします。
……どう考えても無理っぽい。
こういう手合いとはディスプレイ越しじゃないと立ち向かえないと思う。
そんなわけで……。
「お腹痛いので帰っても良いですか」
「わ、妾も! ちょっと立ちくらみが!」
及び腰の腰抜け二人に、何故か冷たい視線が突き刺さる。
「ツバサくん夕凪ちゃん、帰っても良いけどタクシーは出さないわよ」
「ツバサ様、夕凪さんも、そろそろ覚悟を決めてください」
「……まったく、そなたという男はいつも……」
どうしてかアリシアは俺だけを責めている。
そうやって依怙贔屓するのは良くないと思います。
「……旦那様、リチア様は戦闘中にゲートを開けないのでございます。わたくしが全身全霊で守りますので、それでご勘弁いただきとうございます」
「むむッ! そうやって点数稼ぎしますかそうですかだったらこっちにだって考えがあります。……ツバサ様、絶対に守りますので私から離れないでください!!」
「ああ~ん、ダメでございますぅ! 旦那様はわたくしと……!」
いつものやりとりに入り始めていた和風少女たちをリチアが諫める。
「そんな場合じゃないでしょ?! 来るわよ!!」
イメージ的には蛇がうねるような動きだが、もぞもぞ……というような控えめな速度ではなく、戦車がキャタピラをガタガタ言わせながら突っ込んでくるような暴力的な突撃が来る。
ど真ん中に突っ込んできたため、早速パーティが分断される。
通過後に合流できるが、反撃する時間までは取れそうにない。
案の定、慌てて回避した体勢を整えるだけで敵はもう遠くまで進んでいた。
そして折り返し、再度突進の挙動を見せる。
「このままヒットアンドアウェイさせてたらジリ貧じゃねえか?!」
「OK。それじゃあひとまず、動きを止めてみましょうか」
ちょっとコンビニ行ってくるみたいな軽いノリでリチアは飛び上がった。
「神の御柱に連なる者よ、戒めとなり彼の者を封じたまえ……」
リチアが袖の下から暗器のナイフを扇のように閃かせ、サンドホエール目掛けて放った。
放たれた暗器は一つ一つ光を帯びてそれぞれがホーミングミサイルのように誘導されて地面へと突き刺さった。
暗器が一際大きな光芒を放つと魔方陣が描かれて魔法が発動する。
「聖臨、光鎖、〈七天封陣〉!!」
スパークするような火柱を上げて、クジラは身体をくねらせる。
拘束している、だと……?!
そこへ仲間たちの追撃が突き刺さる。
「チア姉、援護する、です!」
ナズナが溜めていた雷弾を連続で射出する。威力、射程ともにここ数日で相当に強化されている。
いくら硬い表皮に覆われていようとも、電撃は内部まで浸透する。そうそう耐えられるものではないはずだ。
「妾もゆくぞ、覚悟せい! 〈フリーズランサー〉!!」
大弓を構えた体勢から矢と一緒に魔法を放つ。氷の弾丸が嵐のように吹き荒れ、クジラにぶち当たる。
ゲームで見たことある技だし、なんなら見た目までそっくりに演出されてるんだが、破壊力は申し分ない。
「私も行きます! 〈千迅、鏡冥刹〉!!」
菊花は分身(したように見える身体捌き)からの連撃をお見舞いしていた。
技名はなんだか最終秘奥義みたいだが、その派手さは確かに秘奥義級だ。
「これでトドメだァ! 〈爆炎烈風大戦槍〉」
アリシアの技は炎魔法と馬上槍の合わせ技なのはいつもどおりなのだが、直撃と同時に火炎魔法が爆発を起こし大ダメージを与えるという単純だが、非常に強力だ。
溜めがいるのと大振りなのとで、使いどころがほとんどないとっておきなのだが、協力プレイさえできればこの威力である。凄まじい限りである。
爆炎に包まれたクジラは沈黙しているが、少なくともそれなりのダメージは負わせたはずだ。
これで多少なりとも隙ができる、はず……。
「ツバサ殿、まだ油断するな!! まだ戦いは、……終わっていない!!!」
地面が震動する。
初期微動のような細かい、緊張感のある揺れ。
ドクンドクンと自分の心臓が馬鹿みたいに大きく聞こえる。
そして、……。
ブゥゥゥゥウウウウウウァァァァアアアアアアアアアォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!
頭蓋骨に反響するような激音。頭が割れるように痛む。
脳が、震、える! なんてふざける余裕はさすがにないな。
三半規管にまでダメージが及んだのか、立っていられないくらいだ。
そして、振動の正体を知った。
振動は、頭を割るような嘶きの所為ではなかった。
振動は、立ちはだかる者全てを平らげるような威圧感の所為ではなかった。
振動は、地中を掘り進める巨体が地面を揺り動かしている、所為でもなかった。
この。
この振動は。
岩盤が砂に変わる振動だった。
岩が、石柱が、岩壁が、あるいは世界の全てすら、砂に変えるための力。
そして。
砂が渦を巻き、砂クジラの周囲に陣を形成してゆく。
それはまるで、砂を自分の手足とするかのように。
あるいは、砂に包まれたこのエリア一帯が、自らのテリトリーであるとでも言うかのように。
そして、クジラは吠える。
『傷一つ』ない身体を雄々しく震わせて、侵入者たちを見やっている。
敵対者への最後通牒とでも言うように、クジラはひとつだけ息を吐いた。
俺たちは垣間見た。
それこそがまさしく、〈破滅〉と呼ばれる最強の魔物の姿だった。