第十九羽⑤
男は〈気狂い〉と呼ばれていた。
〈三者〉に仕える9人の従者をそれぞれの〈三使〉と名付け、専門分野に特化させたのはどの王政の時代だっただろうか。
本来なら〈九使〉とでも名乗れば分かりやすかったものの、ある事情から隠匿する必要もあったため、総数を具体的に表記することはなく、あくまで3人の従者という扱いをされていた。
その中でもひとつ、拷問を生業とする看守の一族がいた。
軍には後ろ暗い役職がいくつかあるが、彼らの生活や習慣はおよそ人としてのそれとは掛け離れていたため、多くの者に忌避されることになった。
〈拷問官〉の一族では生まれてすぐにとあるおもちゃが与えられる。
それは、息絶えたネズミの亡骸だ。
子供は考えることもなく、ネズミを解体して遊ぶ。
内臓を引きずり出してキャッキャッとはしゃぐ。
皮を引き剥がしては上手くできずに放り投げる。
目玉を穿り出しては指で弾いて遊ぶ。
尻尾を掴んでは千切れるまで振り回して楽しむ。
一通りバラして遊び、飽きた頃には次のおもちゃが渡される。
そのおもちゃがネコになり、イヌになり、やがて人間になるまではそう長く掛かることもない。
そうして人体を知り尽くした子供は、成人して立派な拷問官となるのだ。
そして、一族の人間は必ず後にこう呼ばれることになる、――ヤツらは〈気狂い〉だと。
ルイスもそうして生まれ、育ってきた男だ。
〈気狂い〉と呼ばれても、彼には何の感慨も浮かびはしない。
一族の生まれであれば、必ずそう呼ばれることになるのだから。
だから彼にとって、その名はただの記号に過ぎない言葉だった。
今後も彼はその意味を理解することはなければ、それを悔いることもないだろう。
そうしてルイスは、とある民家に足を向けた。
民家には住人がいた。
なにやら声を掛けてきたが興味はないので、ナイフを突き刺した。
住人の女は扇情的な悲鳴を上げて倒れ込んだ。
ルイスはゾクリと腰を震わせる。
下半身の一部が膨張しているのを感じる。
脳がキィンと高まり始めていた。
ナイフを何度も抜き差しする。
女が喘ぐように声を上げ、荒い息をこぼす。
赤い血液が滴り、女の身体を艶やかに染めてゆく。
脈打つように震える身体を支えてやり、何度も何度もナイフを突き刺す。
やがて女は声も出せなくなり、身体だけをピクピクと痙攣させていた。
ルイスは愛おしげにその屍体を抱きしめながら、執拗にナイフを身体の至る所に突き刺した。
ルイスは人を殺す際、何処を何回刺せば死ぬのかがおおよそ分かっている。
それゆえに長く生きられるように、多く刺せるように、深く愉しめるように、女を傷つけた。
噴き出す血液がルイスと女を赤く染めてゆく。
「美しい。なんて美しいんだ……」
ルイスは歓喜の声を上げながら、女の身体をナイフで蹂躙し尽くした。
民家の中は、二人の愛を彩るかのように真っ赤に染まっていた。
ルイスは余韻に浸りながら、女の屍体を見下ろしていた。
「一人殺すのに何時間掛ける気なんだ、……〈気狂い〉」
背後に音もなく立っていたのは黒外套の優男だった。
愛もなく殺戮を行う〈暗殺者〉は一人殺すのに一撃で済ますのが心情なのだそうだ。
そんな男を可哀想に思いながらルイスは振り返った。
「黙れよ〈早漏〉。……そんなに俺と彼女の語らいが羨ましいか?」
しかし、優男は表情を微塵も変えることなく踵を返す。
「名も知らぬ女を彼女呼ばわりか。……俺には貴様の恋愛観が理解できん」
「名前? そんなラベルに意味なんてないだろう?」
ルイスは血塗れの顔をシャツで拭うと、そのまま無造作に脱ぎ捨てた。
よく鍛えられた筋肉質な身体が汗で濡れて光を反射している。
「さて、それよりもそろそろ勇者がここに来るのだろう? どんな服で出迎えれば良いか、一緒に考えてくれないか?」
〈暗殺者〉シンはくだらない、と肩を竦めると無言を貫くことを決めたのだった。
――
何度目かの休息地。
腰を下ろそうと辿り着いたその集落は、既に人の住む地ではなかった。
およそ数時間前まで、もしかしたら数分前までは10人に満たない人数が暮らす集落だったのだろうが、今は言葉にするのも躊躇われるような惨憺たる有様に成り果てていた。
すぐさま物陰に隠れて胃の中身を吐き出したアシュレイを責める者は一人もいなかった。
誰もが息を呑み、口元を押さえていた。
それほどの異様。それほどの異形。それほどの異常。
思わず目を背けたくなるような風景がそこには広がっていた。
「魔族の手の者か……」
アルスが溜息交じりにこぼし、「そのよう……ですわね……」とロサーナが顔色を青く染めながら続いた。
キャシーは何も言わなかった。というよりは、何も言えなかったと言ったほうが正確だろうか。
なにせ臭いが凄まじい。息を止めていなければキャシーも逆流する胃酸を抑え切れそうになかったからだ。
集落の広場に積み上げられたオブジェは悪夢のように醜悪で、ぶちまけられた『中身』はクリスマスツリーの飾り付けのように周囲に張り巡らされている。
雪の代わりに、血で赤く染められた集落の風景は、およそ人の美的感覚では到底受け入れられない状態だった。
アルスも嫌悪に顔を歪めながらも、警戒しつつ前進を続ける。
そして、小腸のアーチを潜り抜けた先で、それは現れた。
「ようこそ。待ちわびたよ、勇者……」
声は頭上から届いた。
アルスが振り返ると先程通り過ぎた建物の屋根に立っている人影があった。
それは、黒いタキシードを着た色男だった。
オールバックにまとめられた黒髪は、どこか耽美な印象を受ける。
広い額から伸びる山羊のような角が、その男の異様さを際立てている。
角はともかく、場所が場所なら喝采を浴びるような出で立ちだが、こんな場所で逢おうものならやはり感想は不吉でしかなかった。
慌てて戦闘態勢を取る一同だったが、アルスだけは冷静に質問をひとつ投げ掛ける。
「一応訊こう。君が彼らを殺したのか……?」
「おいおい、ちょっと待ってくれ。確かに私は魔族だ。人を殺してやりたいとも思っている。だが、それは君の早とちりだ。……私は彼らを殺してはいない」
その言葉はあまりにも白々しいが、彼は『私は』という言い回しをした。しかし、『関与していない』などとは一言も言っていない。
アルスは得物を抜かずに色男と相対した。
剣呑な眼差しで黒タキシードの男を睨み付ける。
「……やれやれ。困ってしまうな。そんな目で見つめられると……、滾ってきてしまうじゃないか」
男は凄絶な笑みを浮かべ、一振りのナイフを抜く。
「こちらにも事情があってね。話さなければならないことがいくつかあるんだ。だが、先を急ぎたいところでもあってね。前振りとかは飛ばしてしまってもいいだろうか」
タキシード男が身構える。
筋肉が膨れ上がり、タキシードのボタンが吹き飛ばないのが不自然なほどだった。
「私の名はルイス=バルサック。魔族の三使が一人、拷問官の一族の生まれだ。そしてひとつ、提案がある。勇者くん、君の仲間を全て引き渡してくれないか? そうすれば生き残りの住人を一人、解放してやろう」
その発言に、一同は停止せざるを得ない。
「この有様で、一人生かしてある、だと……?」
「おやおや、信用ないようだねぇ。まぁ、仕方あるまい。信じる信じないは君に任せるよ。こちらとしても楽に済めば良いというだけの話だからね。信じてもらえないのであれば、人質には死んでもらうしかあるまい。役に立たないのであれば無意味なのだからねぇ」
まだ顔色の悪いアシュレイだったが、ルイスへ鋭い視線を向ける。
「信用に値しません。人質がいるかどうかも、解放するという言葉すらも」
それを聞いたルイスはというと、とても残念そうにハァっと息を吐くとわざとらしく髪をかき上げていた。
「君たち、今私が立っているこの家の中はもう見たかな? ここに例の人質がいたのだが……残念。役には立たないみたいだ」
言うと、ルイスはパチンと気障に指を鳴らした。
それを合図に柱でも破壊されたのか、屋根がまっすぐに地面まで落下する。階下を潰して、無残に崩壊する。
「貴様ッ!!」
即座に剣を抜き放ち、ルイスへと一足飛びで立ち向かうアルスだったが、この判断は適切ではなかった。
アルスは考えるべきだったのだ。
『私は彼らを殺してはいない』という言葉から、まだ見ぬ刺客の可能性を。
そして、パーティが分断されるこの状況を、敵は待ち望んでいたのだということを。
影から躍り出たもう一方の敵は、残された仲間たちのうち、一番無防備な者を狙った。
ロサーナは術士だが、それゆえに防御手段として結界術を使用している。
アシュレイも同様だ。術士の防御は存外に堅く、この場の標的としては不適切だった。
それゆえに、暗殺者はターゲットを一人に絞った。
狩人キャシー。この女を攫う。
遠隔攻撃に秀でたキャシーにも近接攻撃はできる。
だが、隙を突かれた状況下で対応できるかというと、そういうわけでもない。
ましてや卓越した近接戦闘の使い手が相手であれば、太刀打ちなどできようはずもない。
一撃で昏倒され、暗殺者に担がれながらキャシーはアルスを探していた。
――いけない、アルスを……助けなきゃ…………。
しかし、その瞳にアルスが映ることはなかった。
色々とヤバイ話ですみません。ルイスは殺人と情愛を一緒くたにしている狂人……というイメージがあったのでそのまま書いてみたら、なんだかかなりぶっ飛んだサイコ野郎になりました。